「ブーイング」とは何物なのであろう?

 格好良いとか格好悪い、という問題なのか? 例えば、プロサッカーの世界におけるブーイングとは何であるかを考えてみた。

 サッカーで起こるブーイングを分けてみた。

 まずはチームに対してのブーイングがある。それはチームの不甲斐ない結果、内容に対して試合後に起こるブーイング。または相手チームに対して起こるブーイング。
 
 そして個人(選手)に対してのブーイング。これも自分たちのチーム、相手チームの選手の場合がある。

 ブーイングが起こるタイミングは、といえば、試合前、試合中、試合後のどんな時間帯にでも起こり得る。

 昔は、日本のサッカーではそれほどブーイングは起きなかったと記憶している。

 僕はJリーグ発足前のJSLという日本リーグでプレーした経験があるが、勝っても負けてもブーイングが起きることはほとんどなかった。そして流石に個人に対してブーイングは起きなかったと思う。

 それはきっと、日本のサッカーが当時、アマチュアリーグでもあり、世界ではメジャースポーツだったが日本ではまだまだマイナースポーツだったのだから、今のような厳しい目ではなかったのだろう。

 記憶としてあったとしても覚えていない(笑)程度だった。

 やはり日本では、プロリーグであるJリーグが発足してから大きなブーイングが起こったのであろう。

 そして僕はJリーグの選手として、いち早くサポーターからブーイングを受けた選手かもしれない。

 ブーイングのエピソードはいくつかある。

 Jリーグが発足して間もなく、清水エスパルスの敗戦にサポーターが、挨拶に並ぶ選手に向かってブーイング。当時、初代キャプテンを務めていた僕は「あとで会社の前で話そう!」と言い払った。

 彼らはクラブ(会社)の前で泣きながら「申し訳ありませんでした」と謝罪した。Jリーグ元年前の話だ。

 サポーターも不甲斐ない試合に負けたのだからブーイングするのは当たり前。

 しかしサポーターよりもっと悔しいのは僕らだ。選手たちは観ている人以上に悔しく、自分自身を責めているのである。

 ただ、不甲斐ない試合、だらしない負け試合にブーイングがないのもおかしい話だ…。エスパルス愛の強いサポーターの我々への想い、愛がブーイングという形になったとも言える。

 個人的には僕は清水からヴェルディ川崎へ移籍した。読売クラブから清水エスパルスへ移籍して4年後、またヴェルディへ戻ったという背景が生まれたわけだ。

 V川崎のホーム等々力(当時)での試合前、移籍した僕の名前がV川崎でコールされた瞬間。清水サポーターから大きなブーイングが起こった。

 これがプロだよな…と少し嬉しくも、少し悔しくも、これがプロの世界で生きると言うことだ。そのブーイングを大きなモチベーションに変え、ピッチに向かったのを覚えている。

 そして、これは何年か経つと元在籍していた選手の名前が呼ばれると拍手で暖かく迎えるように変わっていった。

 アビスパ福岡では残留争いをする選手にブーイングは頻繁に起こった。

 何度も何度も起こった。

 試合に負けたのだから当たり前だと選手として受け止めていた。福岡では余りにも多くのブーイングをもらい、エピソードは多過ぎた…笑。

 ペットボトルを投げ付けられ、罵声を浴び、ブーイングは当たり前。福岡での選手時代、僕は負けじと頑張った。

 一方で感動したブーイングもある。浦和が埼玉スタジアムでACLで優勝した試合だ。

 2007年11月、相手はセパハンだった。試合前から試合中、相手チームにボールが渡る度、浦和サポーターはブーイング。

 そのせいか、相手選手は90分間、何も起こせなかった。見事、選手とチームをアシストするブーイングが勝利に繋がり、ACL初王者の座を掴んだ。もちろんブーイングだけで勝った訳ではない。しかし、ホームの利を作り上げたのは間違いなかった。

 そうでありながら、浦和サポーターの敗戦後のブーイングも半端ではない。引き分けでも納得がいかず、バスを囲むこともあったという。

 サポーターがクラブやチームに、説明を求めるブーイングもある。それに対し、社長や選手がサポーターが陣取るゴール裏スタンドに向けて説明をするシーンもある。

 そんなシーンを見れば、サッカーのブーイング=(イコール)悪。醜い、格好悪い、非紳士的に見える、となるのかもしれない。

 しかし、それがサッカーの魅力でもあり、ある意味サッカーの歴史、文化のようなものだと思う。
 
 もちろんブーイングとは無縁なスポーツもある。

 テニスやゴルフのようにプレー中に声援を禁止するスポーツもあれば、水泳や陸上などではスタートに繊細な集中力を要するため、観客も声を潜めて見守る。

 またバスケやバレーボールなどでは、サッカーのようなサポーターの声援はあるが、禁止されてはいなくともブーイングまでは余り聞かない。フリースローの瞬間や3ポイントシュートの瞬間にブーイングは起こらない。ラグビーでも試合の前後、試合中にブーイングなど聞いたことはない。野球でも、試合前や試合中などにブーイングが収まらない風景など記憶にはない。
 
 僕が何を言いたいか? 他のスポーツの現状を見て、サッカーでのブーイングが良いのでも、これから気をつけようでもない。

 上品に、静かに観戦をすれば良いのではない。見ている人もやっている人も、感情を爆発させながらサッカーを楽しんで良いのだと思う。

 世の中もサッカー界も変化している。しかし、嬉しさは表現しても良いが、悔しさを表現してはいけないなんてことはない。今の世の中、なんでも進歩、発展している。サッカーにおいても、各自が理想の観戦スタイルを追い求め、チームとの関わりを持って良いのだと思う。

 もちろん、だからと言って人としてなんでもやって良いとは言えないが、ただ、ブーイングが必要だと思えば、感情を抑えずに、そうすれば良く、それで傷つくかどうかはプロの世界。成長する選手もいれば、伸び悩んでしまう選手もいるであろう。決してブーイングのせいではない。

 クラブもチームも選手も、ブーイングをどう受け止めて次に向かうかが大事なのである。負けた時のアンセムやBGMのようなものだと思えば良い。

 しかしアマチュアカテゴリーは別だ。難しいのはプロを目指す人やクラブであろう。育成年代と成人している年代の違いもアマチュアにはある。

 ブーイングを早く経験すれば、免疫も付く。早く強くなれるだろう。ブーイングもサッカーの内(その一つ)。相手の激しいプレスや、厳しいマークやスピードのある多彩な攻撃と一緒だと思って、ブーイングを受け入れることが大事なのだ。

 ボールをキープしている選手のボールを必死に取りに来る相手に威圧感があるように、ブーイングという威圧感に勝てるかどうかだ。

 それも選手として大事なメンタルな部分なんであろう。

 昔とルールも変わり、基準も変わり、必死に最後まで諦めないでプレーすることと、悪質なプレーの差が分からなくなってきている。

 必死にならず、いつも冷静に、人に譲るような行為がフェアープレーとは違う。例えば、必死なプレーがラフプレーと判断される。すると、レフェリーのジャッジにブーイングが起こる。忘れてはいけない。レフェリーにもブーイングが起こる。

 ブーイングを受ける人になるということは、プロとしての責任ある一人の人間、選手であるということの証明なのであろう。

 だからブーイングをしてはいけないという論争よりも選手は受けた後、どうするかであり、ブーイングをする側もブーイングした後、どうするかが大事なのであろう。

 ブーイングする、されるは結果であり、サッカー人生の中で起こる事と割り切り、必死に勝利のためにチームのため、仲間のため、自分のためにブーイングなど恐れることなく走る。

 それに尽きるだろう。

 ブーイングなど辞めろ! でもなく、ブーイングもサッカーのひとつ。サッカーの試合のルールのひとつと思うしかない。

 やるしかない!笑

2024年4月1日
三浦泰年

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