次の誰かのために・・・

『両側全摘で頭がいっぱいで再建のことまで回らない』53歳女性

に大きな反響をいただきました。

『私はがんにならないと思っていた』55歳女性

『只今、55歳。53歳の誕生日に乳がんであることを告知されました。母が、乳がん、甲状腺がん。姉は、卵巣がん。父親は、胃がん、前立腺がん。こんなにがんが身近だったのに、何故か私はならないと思ってました。

コロナ禍でなかなか検査結果がです、初診から6ヶ月もたってからの手術でした。これが、なかなか精神的にきました。病院で結果を聞く度、再検査。昼も夜も冷や汗と恐怖心で、じっとしていられない。正気を保つことがやっとでした。

もう、手術までに神経がヘトヘトになりかえって、告知されたあとの方が気楽になれました。再建手術なしで、回復の早い方を選びました。その後は、霧が晴れたように全てが吹っ切れてたのしく過ごしています。

何かある度、お酒に逃げてなど、色々ありましたが、やはり死を目の前にして、家族と過ごす日々を記憶に残しておきたいと思った時、お酒などをやめることが出来ました。

だから、私にとって乳がんは、色々なことを教えてくれました。あまり、先のことまで考えず今を楽しむことを、心がけています。

この前は、健康ランドに行ってきました。おっぱいがないのは、私ひとりでしたが、それはそれで、私の個性と受け止めました。裸になる機会は、そんな時ぐらいで以外に苦労もありません。』

コロナ禍でたいへんなときに悩まれた方のお話を多く聞きます。初診からの日数もいやですよね。

気持ちをガラリと前向きにするのはとても難しかったと思いますが、精神科医の先生も先のことまで考えずに今を楽しむことを勧めておられますので

がん患者の『不安』には特徴が・・・

『がん患者とココロ』乳がん患者が精神腫瘍医に聞く!(https://youtu.be/D-j4RrGSgkw)

先ではなく、今を楽しむ、という気持ちに共感します。

『毎年検診を受けていたのに・・・』50代女性

『私は左側だけですが、浸潤していたので、抗がん剤治療が1年間あり、副作用がスゴく大変でした。心が常に折れました。

非浸潤であったらこんなにツラい経験をしなくて済んだのにと思いました。

毎年検診を受けていたので、見逃した医師を恨みました。今でもその気持ちに変わりはないです。

全摘と同時にティッシュエキスパンダーを入れました。

その後、化学療法+分子標的治療を1年間し、1ヶ月空けて、エキスパンダーを抜去し二期再建(腹部穿通枝皮弁)しました。

9時間におよぶ手術で、術後は1ヶ月の安静が必要です。それが先週までの経過です。

私の場合、ホルモン療法もしなければならず、結局全ての治療をしなければならない状況で、不安しかないです。』

現在も治療中とのこと。その中でのご共有ありがとうございます。分子標的薬もホルモン治療も、ということでHER2ルミナル双方をお持ちのタイプ、ということですね。

中間期乳がんは一定数おられます。なんで私が、という思いをお持ちになる方も本当に多いと思います。なんで半年前に、、という思いをしたこともあります。そんなときの私の主治医は、『見つかったときがタイミング』『治療ができる選択肢があることを前向きにとらえてみては』とアドバイスを受けたこともあります。

割り切れない思いがありますが、そこに立ち止まるのはもったいないな、と感じます。私自身がそうだったので。

また、自分のお体で再建されたとのこと。どうぞどうぞお大事になさってください。

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