俳優の高嶋政宏(58)が、6日放送のNHK「ファミリーヒストリー」(後7・30)にゲスト出演し、父の故・高島忠夫さん(享年88)の教えを振り返った。

 この日は芸能ファミリーとして知られる高嶋家を特集。政宏や弟で俳優の高嶋政伸、忠夫さん、母の女優・寿美花代さんの祖先をさかのぼった。

 神戸出身の忠夫さんは、地元の名門・神戸一中(現・神戸高)に進学した。時折しも太平洋戦争のまっただ中。勤労奉仕として、高射砲の陣地作りに駆り出され、軍需工場でも働いたという。

 水泳部にも在籍した。当時のふんどし姿の写真が公開されたが、長身ながらもろっ肋骨が浮いた、貧相な体だった。政宏は忠夫さんの思い出として、「そういう経験があったから、とにかく“食え食え食え食え”って。自分も食べ物がある時は全部食べるという習性で」と、とにかく食べるよう口酸っぱく言われたことを明かした。

 終戦から長い時が過ぎ、当時の食料難も感じられなくなっても、父の言うことは変わらなかったという。「食べ物あるのに、“政宏、政伸、食え食え”で、太りまくりましたからね」と、笑って明かしていた。

 学生時代はギターにはまっていった忠夫さん。しかし、戦時中ともあって学校からはいい顔をされなかったようで、その後別の高校へ移り、大学に進んだ。

 20歳の時、神戸の甘味処の女性店員に「あんたが俳優にならなかったら、誰がなる?」と容姿を褒められたことに気をよくした忠夫さんは、新東宝スターレット(ニューフェイス)の募集告知を見て応募し、見事に採用された。ギターなど音楽の才能にも秀でていたことから、ミュージカルなどにも進出し、スター街道を駆け上がっていった。

 ところが、女性店員の褒め言葉は、忠夫さんの思い違いだったという。忠夫さん自身が後に出演した番組で「そのお姉ちゃんは、雨が降ってても、“今日はいい天気ですねえ。いらっしゃいませ、何にしましょう?”って(言うタイプの人で)、おあいそやった。あの辺一帯のやつは、あのぜんざい屋に行ったやつは、みんな役者にならなかった。みんな分かってるから、ならない。それを君(自分)はバカだったから、本気にして」と、笑い話として明かしている。

 政宏は「あれは、あのままいつもネタとして話してました。漫談ですよ」と懐かしんでいた。