web Sportiva×BAILA special collaboration
feat. 田中佑美(陸上100mハードル)後編

◆田中佑美・前編>>「もうひとつの顔」ハードラーがユニフォーム姿から華麗に変身!

 女性向けメディア『BAILA』とのコラボ企画の後編(@BAILAでも異なる内容のインタビュー記事を配信)。女性誌で活躍中のヘア&メイクアップアーティスト、スタイリスト、カメラマンが撮影を担当した。

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競技中とは違った田中佑美選手の笑顔 photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)

 今、陸上競技の女子100mハードルという種目が盛り上がっている。かつては日本人にとって夢の記録だった12秒台を6人がマークし、覇権争いが激しさを増しているのだ。

 その主役のひとりが田中佑美(富士通)。昨夏のブダペスト世界選手権に出場するなど存在感を示している。

 田中は高校、大学と世代トップを走ってきた選手だ。それだけに、期待どおりの成長とも言えるかもしれない。だが、関西から関東に拠点を移した社会人1年目はなかなか結果を残せず、苦しんだ時期があった。

 それを乗り越えての昨シーズン、社会人3年目のブレイクだった。

◆田中佑美「ファッション&メイクアップ」ビューティphoto&競技プレー写真>>

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↓↓↓【動画】田中佑美選手の生音声インタビュー【動画】↓↓↓

── 社会人1年目は苦戦していたように見えました。ご自身ではどのように捉えていたのでしょうか。

「おっしゃるとおり、社会人1年目は本当に苦しいシーズンでした。原因を挙げていけば、環境の変化や周りのレベルが上がったことなど、いろいろあるんですけど、社会人として陸上をしていくうえで至らない点があったと思っています。

 社会人1年目のシーズンが終わったあとに振り返ると、自己ベスト(当時)を出した大学3年生の時の平均記録よりも、実は社会人1年目の平均記録のほうが速いんですね。なので、数字的に見ると決して悪いシーズンではなかったんです。

 でも、レベルが上がって予選落ちしたり、勝てなかったりすることが続いたので、精神的に参ってしまったことが、苦しんだ理由のひとつです。

 環境の変化という点では、社会人になり、立命館大学から筑波大学に拠点を移しました。筑波大学は学術的に競技に取り組み、知識をベースにしてトレーニングする環境です。その能力が足りないことが拠点を移した理由でした。

 でも、実際に筑波に来て、周りと自分とのレベルに大きな落差を感じたことが、もうひとつの(不調の)原因だったと思っています」

【真っ先に浮かんだ谷川コーチの存在】

── 筑波大学では男子110mハードルの元日本記録保持者である谷川聡コーチ(シドニー五輪とアテネ五輪に連続出場)の指導を受けています。

「谷川コーチに見ていただきたかったのも、筑波に来た理由のひとつでした。

 練習場所を選ぶうえで大事にしていたポイントが、ハードル選手がいること。そして、私に足りない知識的なものをフォローしてくれるコーチがいるところであること。このふたつでした。そこで真っ先に浮かんだのが、谷川コーチでした。

 とはいえ、今から谷川コーチのように賢くなるには、人生がもう1個必要です。そうではなくて、側に生き字引がいるので、そのなかから必要なものをチョイスしていくっていう感じで取り組んでいます。

 社会人1年目の苦しかった時期は『自立できていない』という思いがあったのですが、全部を自分でやる必要はなかった。私にとっての自立は、周りの方々の力を上手に借りながらコーディネーションしていくことでした。今は、それがしっくりきています。

 できないことがたくさんあっても、それで見捨てるコーチではありません。結果がなかなかでなかった時でも、落ち着いてまたがんばろうと思うことができました。

 また、それまでは練習などで1本走ってみて、それからどこを変えたいかを考えていたのですが、コーチがついたことで、自分が目指すものを先に見据えたうえで、逆算してトレーニングを組むことができるようになりました。それが一番、大きな変化かなと思います」


リラックスして撮影を楽しんでいた田中佑美選手 photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)

── 谷川コーチとの取り組みがハマったと感じたのは、いつ頃からですか。

「社会人2年目の日本選手権のあとぐらいから、動きがよくなってきたと思いました。でも、そのタイミングでケガをしてしまい、試合に出場できないまま冬季に入りました。そして、社会人3年目の結果につながりました」

── 社会人2年目の日本選手権では3位に入っています。

「あれは本当にラッキーな3番だったと思っています。でも、あのタイミングで目に見える形で成果を得ることができたことは、精神衛生上、とてもよかったと思っています」

【これまでの私ならチャレンジしなかった】

── 3年目に12秒台、そして世界選手権出場と、飛躍を遂げることになります。2年目のシーズンで得られた手応えが大きかった。

「3年目のシーズンの前に、初めて単身でヨーロッパ遠征に行きました。私にとっては、それ自体がチャレンジでした。これまでの私なら、たぶんチャレンジしなかったと思うんです。

 でも、周りの薦めもありましたし、オレゴン(2022年の世界選手権)に行けなかった悔しさも後押しして、ヨーロッパに遠征しました。これも(飛躍の)大きなきっかけだったと思います」


パリ五輪出場を目指す田中佑美選手 photo by ©Fujitsu

── 単身での海外遠征は苦労もあったのではないでしょうか。

「そうですね。でも、単身と言っても、同じ大会に出場する日本人選手もいたので、ずっとひとりぼっちだったというわけではありません。楽しい遠征でした。

 海外の大会では、初めて会った外国人と同部屋になることもあります。それで仲良くなって、インスタグラムをフォローし合い、その子の大会結果を追ったりしています。言葉は流暢には話せませんが、陸上を通じてコミュニケーションを取れるのは得難い経験ですし、楽しいです」

── そういった変化も楽しんだ。

「はい。食事が変わっても大丈夫ですから。(遠征中の苦労話も)終われば全部ネタなんで(笑)」

 社会人2年目に手応えを得た田中は、3年目のシーズンが始まって早々、日本人4人目の12秒台をマークする。そして、12秒台が5人(当時)も名を連ねた日本選手権では、2年連続して3位に入り、その後、世界選手権に出場を果たした。群雄割拠の女子100mハードルにおいて田中は精彩を放っている。

── 昨年の日本選手権は12秒台の選手が5人もいました。12秒台で走っても、世界選手権の日本代表が保証されているわけではありませんでした。どんな心境で臨まれましたか。

「緊張しました。今思うと、『よく生き抜いたな』と思うぐらいです(笑)。決勝のレース前は『音が鳴ったら出る』『落ち着いて走る』『あとはやるだけ』などと口に出して、自分を鼓舞しながらレースに向かいました」

【電光掲示板を見つめながら祈っていた】

── 決勝は4レーン。ほかの12秒台の選手は全員が外側のレーンでした。

「私は周りが気になってしまうタイプなので、特にこういう大事なレースでは先にスタートリストを見ないようにしています。横を気にせずに走るために、自分でやるべきタスクを極力減らしています。

 それでも、『追いつかれたらどうしよう』とか、いろいろ考えてしまうんですよね。でも、そう考えるといい結果につながらないので、思考が出てきては、丸めて捨てて、丸めて捨ててっていうのを繰り返していました」

── 決勝は、4人が横一線でフィニッシュし、結果が出るまでに少し時間を要しました。

「世界選手権に出るために自分が何ポイント獲得しているか、だいたい把握していたので、3番に入れば出られるだろうという算段でレースを走っていました。

(フィニッシュ後は)周りでいろいろ起きている(※)のは気づいていたんですけど、それどころじゃなくて、ひたすら電光掲示板を見つめながら、お願い、お願い......と祈っていました。3番に名前があって、よかったです」

(※=速報で真っ先に名前が掲示されたのが4着の福部真子だったため、混乱を招いた)

── 2022年に出場を逃した世界選手権に、昨年は出場を果たしました。ユース、U20と各世代で世界大会を経験してきましたが、シニアの世界大会はやはり違うものでしたか。

「はい。まったく違うなと思いました。出場が決まった時点で、雰囲気に飲まれたり、浮き足立ったりするのは目に見えていたので、そうならないように気持ちの準備はしていたのですが......。逆に、気持ちを抑えすぎて、要らないプレッシャーだけを背負って臨んでしまいました。

 国内の試合では簡単にできているのに、ほかのヨーロッパの試合でもちゃんと走れていたのに、この大事な舞台で自分のやりたいことが何ひとつできませんでした。実際に、準決勝に進めませんでしたが、そういう悔しさでいっぱいでしたね」

【冬季トレーニングの方向性は間違っていなかった】

── 世界との力の差を痛感する以前に、力を発揮できなかったことに反省点があった。

「『何しに来たんや』っていう感じでした。

 その次に出場したシニアの国際大会がアジア大会でした。コンディション的には世界陸上の時から下がっていたので、記録を目指せる状態ではなかったんですけど、その反省を生かして、不要なものは背負わずに、競技を楽しむことを執拗に意識して大会に出場しました。(銅メダルを獲得したが)負けたのは悔しかったんですが、結果として楽しい大会になりました。

 昨シーズンは、うれしさも悔しさも味わいましたが、今後、大切なシーズンになるだろうなと思っています」

── 昨シーズンの結果を踏まえて、この冬はどんなことに取り組んできたのでしょうか。

「冬季トレーニングの計画を大雑把に立てた際に、最初に考えたのは『大きく変えないでおこう』ということでした。

 以前は、練習で1本走るたびに『あそこが悪かった』とか『あそこを変えたい』とコーチに熱く語っていたのですが、そうではなくて、『できたところを見ようよ』と言われる機会が多くなりました。

 私自身はもっと、もっと......と思うんですが、昨シーズンはしっかり成長できたし、内容としても悪くはなかったから、方向性は間違っていなかった。そこをぶらさないように、このまま強くなろうというのが、この冬のテーマでした」

── この冬も海外遠征し、インドアの60mハードルでは自己記録も連発しています。手応えを得て新シーズンに臨めそうですね。

「いやあ、ストレスですよ(笑)。去年もシーズン中に、急に肋骨が痛くなることがあったんですが、シーズンが終わったらなくなりました。

 でも先日、朝起きたら肋骨が痛かったんです。それで『シーズンがいよいよ始まったな』と思いました。けっこう楽しく競技をやっているつもりなんですけど、体は正直ですね」

【パリ五輪に出場できた時の具体的な目標は...】

── 今夏はパリ五輪が開催されます。東京五輪の時とは違って、現実的に見えるところにあると思うのですが。

「もちろん出場したいですし、出場したら昨年の後悔を払拭するように、下手なことは考えずにバチンとスタートを決めたいと思っています。

 でも、その前に国内選考があるんですよね。昨年の世界選手権が終わった直後から『来年もあれがあるのか』と思うと、気持ちがどんよりしていたんですけど......。

 間違いなく緊張しますが、そんな緊張する土俵に立てていること自体、数年前の自分には考えられないことでした。ビビらずに勝負したいと思います」

── パリ五輪に出場できた時の具体的な目標は考えていますか。

「具体的な目標はありません。ただ、行けるところまで行きたいって思っています。準決勝、決勝に進めるかは、自分の記録だけでなく、ほかの人のパフォーマンスも関わってくるので、それを目標にしたところで正直わからない。

 なので、それよりも、自分のパフォーマンスに集中したいと思っています」

<了>

◆田中佑美「ファッション&メイクアップ」ビューティphoto&競技プレー写真>>


【profile】
田中佑美(たなか・ゆみ)
1998年12月15日生まれ、大阪府出身。中学から100mハードルを始め、中学3年の万博ナイター陸上競技大会ユースハードルで大会記録を更新。関西大学第一高ではインターハイを連覇し、第9回世界ユース選手権に日本代表として出場する。立命館大学では関西インカレ4連覇、2019年には日本インカレ優勝。2021年4月より富士通に所属し、2022年の日本選手権で3位、2023年世界選手権(ブダペスト)日本代表、2023年のアジア大会で銅メダルを獲得する。Instagram→Tanaka Yumi(@yu____den)

<スタッフ>
山﨑静香●スタイリスト、吉崎沙世子(io)●ヘア&メイク、動画撮影&制作●市川陽介、動画ディレクター●池田タツ(スポーツフォース)

<衣装クレジット>
ジャケット¥107800、ドレス¥36300/ボウルズ(ハイク)、ビーズキャミソール¥42900/ミュラー オブ ヨシオクボ、グローブ¥25300/ピーアールワントーキョー(ツヨシヤオ)、ピアス・靴/スタイリスト私物

著者:和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi