アイルトン・セナ没後30年 特別企画
堂本光一 インタビュー

 1994年5月1日、F1レーサーのアイルトン・セナはレース中の事故により34歳でこの世を去った。没後30年の節目に、芸能界屈指のF1ファンである堂本光一さんがセナの思い出を振り返る。


アイルトン・セナの思い出を語った堂本光一さん photo by Ryo Higuchi

【ニュース速報に呆然とした気持ちになった】

堂本光一 今年でアイルトン・セナが亡くなって30年と聞くと、もうそんなに時間が過ぎたのか、というのが率直な感想です。時が流れるのは本当に早いですね。セナが亡くなったのは34歳の時ですから、生きていたら64歳。どんな人物になっていたのかな......。

 僕は日本でF1中継がスタートした1987年頃からF1を見始め、日本人初のレギュラーF1ドライバーの中嶋悟さんを最初に好きになりました。その後、ホンダエンジンを搭載するマクラーレンで圧倒的な速さを見せるセナにも魅かれていきました。

 セナが亡くなった時、僕はすでに芸能界の仕事を始めていました。前の事務所でF1中継のテレビ放送を見ていると、セナがサンマリノGPでクラッシュして、病院に運ばれていきました。レースは再開されましたが、セナが収容先の病院で亡くなったというニュース速報が流れ、茫然とした気持ちになったことを今でも覚えています。

 当時からF1を見ている人にとっては、今のF1と比べると、マシンの性能、チーム間の競争力の差、ドライバーに求められるもの、イベント数や開催地など、あらゆることが違っていて、まったくの別ものと言ってもいいほどです。

 それでもセナの「勝利のために全身全霊で戦う」というDNAや戦いの記憶がF1界だけでなく、我々ファンの心のなかにも残り続けています。それ自体がすごいことだと思います。セナは今でもF1の象徴であり続けていることだと言えます。


アイルトン・セナは1960年3月21日、ブラジル・サンパウロ生まれ。1984年にトールマンからF1デビューを果たし、その後、ロータス、マクラーレン、ウイリアムズで活躍。マクラーレン・ホンダ時代に3度、ドライバーズチャンピオンを獲得

【ホンダを叱咤激励も...勝利への執念に感動】

 セナが亡くなってからたくさんのドライバーが登場し、ミハエル・シューマッハ、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネンなどを僕は好きになり、応援してきました。でも僕のなかでセナは特別な存在です。うまい言葉で言い表すことができませんが、僕にとってのアイドルなんですよね。憧れであり、僕をF1好きにさせた存在ですから。

 セナの速さは誰もが認めるところだと思いますが、カリスマ性もありました。どこかもの悲しげな雰囲気を漂わせていながらも、時にはマクラーレン時代のチームメイトだったゲルハルト・ベルガーといたずらをしてはっちゃけた姿もあり、セナというキャラクターが愛される存在でした。

 ホンダエンジンで走っていたこともありますが、ファンが勝手にセナに対して思いを乗せて応援していました。今はそういう存在のドライバーはいませんよね。

 時代もあったと思います。それこそ常々言っていますが、現代のドライバーは行動やコメントも優等生であることを求められます。今では考えられませんが、当時のセナは公の場で「ホンダのエンジンは使えない。もっとパワーが必要だ」と批判して、ホンダのスタッフを叱咤激励していました。

 勝利のためには限界まで力を尽くす姿にも、僕は憧れました。セナは勝つためには時には手段を選ばず、ライバルにマシンをぶつけることもありました。

「汚い手を使ってまで勝ちたいのか」と非難されたこともありましたが、僕はむしろそこまで純粋に勝利を追求する姿に感動しました。そこまでやったからこそ、セナは偉大なチャンピオンになれたし、亡くなって30年経った今でも多くの人に愛されているのだと思います。こういうドライバーはあとにも先にも出てこないと思います。

【記憶に刻まれている伝説の名勝負】

 セナの名勝負はいろいろありますが、1993年のブラジルGPは印象に残っているレースのひとつです。予選で当時ウイリアムズのアラン・プロストに2秒もの大差をつけられていましたが、レースでは突然の大雨となり、トップを走行していたプロストを始め、クラッシュが続出します。

 そんななか、セナは真っ先にレインタイヤに交換し、ポジションを上げていきます。その後、雨が上がってレースが再開すると、今度はすぐにドライタイヤに交換して、プロストに代わって首位を走っていたウイリアムズのチームメイトであるデーモン・ヒルをオーバーテイク。そのまま母国GP制覇を達成します。

 ドライではまともに勝負できなかったウイリアムズを相手に雨と絶妙なタイヤ交換のタイミングで優勝をもぎとった。今でもすごいレースだったという記憶があります。

 もうひとつはセナとナイジェル・マンセルが歴史に残る死闘を繰り広げた1992年のモナコGPです。当時、僕は12〜13歳。芸能の仕事を始めたばかりか始める直前かというところだったと思いますが、子ども心にとてつもなく燃えましたね。


「モナコマイスター」と呼ばれ、モンテカルロ市街地コースで無類の強さを発揮したセナ。1992年のモナコGPではマンセルと伝説的なバトルを繰り広げた photo by Sakurai Atsuo

 ただ今にして思えば、マンセルの乗るウイリアムズ・ルノーのマシンがセナのマクラーレン・ホンダよりも圧倒的に速かったとはいえ、コース幅の狭い市街地コースのモナコでは抜けないんですよね。

 今となっては、しかるべきレースだったと思いますが、マンセルがガードレールに囲まれたモナコでマシンを左右にゆすりながら隙をうかがい、セナはミスのない走りでトップを死守していく。2台の超接近戦のバトルには本当に興奮しました。

【近年のF1の「いきすぎ」を疑問視】

 1970年代のジェームス・ハントとニキ・ラウダのライバル関係を題材にした映画『ラッシュ/プライドと友情』(※日本では2014年に公開)で、僕は日本語版のハント役の声優を務めさせていただきました。映画では「毎年25人のドライバーのうち2人が死ぬ」と紹介されていますが、この頃のF1は死と隣り合わせの時代でした。

 セナが1994年にサンマリノGPで死亡したあと、F1のマシンやサーキットの安全性は大きく向上しました。先人たちの尊い犠牲があるから今があります。今後も安全性の追求を怠ってはいけないと理解していますが、最近のF1はあらゆる危険を排除するという方向にいきすぎているような印象を受けます。

 ドライバーが世界最速のマシンに乗り込み、リスクを恐れずに強靭な体力と高い技術でスピードの限界に挑む姿に観客はワクワクします。だからこそドライバーは、ヒーローであり、みんなが憧れる存在だと思います。やりすぎはF1の魅力を削いでしまう。何事もバランスだと感じています。

 大スターだったセナが亡くなったあと、日本ではF1から離れていった人が多かったと思います。僕もサンマリノでの事故が起こるまでは、単純に大好きなセナが勝つことを応援していただけだったので、セナが亡くなったあとはどうやってF1を楽しめばいいのかと一時、途方にくれました。

 でも、その後もF1を見ているうちに、ドライバーやチームの歴史、マシンのテクノロジー、戦術など、いろんなことに興味が広がっていきました。F1というスポーツはチームやドライバー、マシンなどの情報や知識を知れば知るほど、より深く楽しめます。

 最近、F1を好きになった人のなかには、セナ没後30 年ということで初めてアイルトン・セナの名前を聞いたという人がいると思います。過去にセナという偉大なチャンピオンがいたことをもちろん知ってほしいですが、セナをきっかけにして、マクラーレンやホンダの歴史、プロストとのライバル関係などにも興味を持ってくれたらうれしいですね。

"セナプロ"の前にはラウダとハント、あとにはシューマッハとミカ・ハッキネン、そういうライバル関係が連綿と受け継がれている歴史を知ると、きっとF1をもっと楽しめるはず。セナ没後30年というメモリアルが、F1ファンが新たに増えるきっかけになってくれればいいな、と僕は思っています。

【プロフィール】
堂本光一 どうもと・こういち
1979年生まれ、兵庫県出身。日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟氏がデビューした1987年頃からF1のファンに。2023年12月に「KinKi Kids」17枚目のアルバム『P album』、47枚目のシングル『シュレーディンガー』をリリース。2024年でラストとなる主演ミュージカル『Endless SHOCK』が4月と5月に東京・帝国劇場、7月と9月に大阪・梅田芸術劇場メインホール、9月に福岡・博多座、11月に帝国劇場にて上演決定。

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著者:川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi