韓国人Jリーガーインタビュー 
オ・セフン(FC町田ゼルビア) 後編

今季開幕からFC町田ゼルビアの最前線で奮闘する、FWオ・セフンにインタビュー。後編ではJリーグでプレーすることになった理由や、今後の目標について聞いた。

前編「未来を嘱望されたユース時代。オ・セフンが来日するまで」>>

【批判もあった日本行き】

 Kリーグで苦しんでいたオ・セフンが、ようやくトップチームで結果を出せるようになったのは、兵役を終え、蔚山現代(現蔚山HD)へ戻ってきたあとの2021年シーズンだった。19試合に出場して7ゴールを挙げる。

 そして、翌シーズンを迎えようとしていた2022年1月、オ・セフンに大きな動きがあった。

「清水エスパルスからのオファーが届いたんですよ。ただ状況が状況だったので、少し良くない印象でKリーグを去ることになりましたね」


FC町田ゼルビアの韓国人FWオ・セフンに、Jリーグでプレーすることになったきっかけを聞いた photo by Kishiku Torao

 2022年シーズン開幕前、1月末のことだった。チームは新たな体制をスタートさせようとしていた。1月上旬からのキャンプでは、当然本人は戦術の重要なピースとしてトレーニングが進められていた。

 しかしオ・セフンサイドは、18憶ウォン(約1億8000万円)以上の移籍金を払えば契約解除できるというバイアウトの契約条項を行使。Jリーグ行きを進めた、と現地メディアはこぞって報じた。

 当時、韓国の最大手紙「朝鮮日報」にこんな批判的論調が記された。

「ヘルタ・ベルリン行きを予約した(東京五輪代表)イ・ドンジュンのようにヨーロッパでもなく、バイアウト条項まで行使しながら、昨シーズンのJリーグで14位に終わった清水に移籍することは、納得がいかない」

「ヨーロッパなら『第2の挑戦』のために大胆に勝負に出ることができる。しかし、アジアのトップクラブである蔚山より低いレベルのチームに移籍することは、選手にとってもメリットがない」

 近年、Jリーグと韓国人プレーヤーの関係性が激変している証だ。ヨーロッパ優先という考えがより強くなり、そのほか、中東や中国といった高サラリーが見込めるリーグが望まれる。

 韓国代表選手に占めるJリーガーの割合は年々減っていき、2002年W杯時には海外組の最大派閥として5人が所属したが、先のカタールアジアカップ最終エントリーはGKのソム・ボムグン(湘南ベルマーレ)1名だった。

 しかし、当のオ・セフン本人にはまったく違う考え方があった。

「日本がずっといいサッカーをしていることを知っていたんですよ。確かにU−20W杯では僕の決勝ゴールで勝ちましたが、基本技術が高く、いいサッカーをやっていると感じていました」

 オ・セフンはこの時のみならず、蔚山のユースチーム時代や、年代別代表チームで幾度も日本と対戦してきた。それゆえ、周囲の評価に関係なく自分自身で感じるところがあったのだ。

「『海外移籍するならまずは日本』『その後に欧州に』というイメージも描いていたんです。僕、韓国ではちょっと動きが鈍い部分もあると評価されてきたんですよ。ボールタッチとか、動きとか、そういう細かい部分が苦手だったのですが、日本ではその部分を成長させられると考えてきたんです」

 かくして、2022シーズンのキャンプ中盤から日本の地に足を踏み入れた。

【町田での日々に感謝して、しっかり結果を出す】

 ピッチ外の風景で「感動」を覚えることも多かった。

「道にあまりゴミが落ちていないこと。違法駐車している車が少ないこと、運転中にクラクションを鳴らす人が少ないこと。そういったことですね」

 その秩序に驚いたのだった。

 しかし、肝心のピッチでは苦しい時間が続いた。清水エスパルスでの1年目は13試合1ゴールに終わる。J2で戦うことになった翌2023年シーズンは、4月から秋葉忠宏監督体制に変わったが状況は好転せず、ほとんどが途中出場での25試合2ゴール。シーズンのクライマックスだった東京ヴェルディとの昇格プレーオフではベンチ外となった。

「出場機会を与えられ、チャンスはあったのに、それを簡単に逃してしまっていました。自分のプレーも相手に簡単に読まれてしまい、味方選手だけでなく監督の信頼も失っていました。つまりは外国人としても、ストライカーとしても役割を果たせなかった。ゴールを決められないのだから、試合に出られないのは当然だったと思います」

 この年、J2リーグで戦う日々のなかで、5月21日と8月19日の2度、町田と対戦した。苦しい日々のなかで、その相手チームのサッカーに感じるところがあったのは確かだ。

「自分はこちらのサッカーのほうがフィットするのでは、と感じるところはありました。レンタル移籍のオファーをいただけた際には『前線でターゲットになれる選手が必要』と声をかけていだきました」

 そうやって、オ・セフンは現在のJ1上位クラブの最前線を担う日々に至る。突出した能力を発揮していた10代があり、その後の挫折と決断を経て掴んだ日々だ。

 もちろん、安泰の日々ではないことも理解している。昨季のJ2でのチーム躍進に大きく貢献したエリキ、ミッチェル・デュークといった他の外国人選手が控えている。実際インタビュー時に「不動のポジションを得ているオ・セフンさんにお話を...」と切り出すと「いえいえ」と否定した。「ゴール数だけを見られていたら、もう使われてなくても不思議ではない」とも。


オ・セフンは「町田での日々に感謝して、しっかり結果を出す」と語った photo by Kishiku Torao

 望んだJリーグでの日々と、最初のクラブでの失敗。ここ町田で、一つ一つの試合で結果を残し続けてこそ道が拓ける。その先にあるものとは何なのだろう。「最終的な目標は?」と聞くとこんな返事が返ってきた。

「まずは町田での日々に感謝して、しっかり結果を出すこと。そしてヨーロッパに行くこと。最終的には大韓民国の国民として、もっとうまくなりたい。大韓民国のために、いい選手になって代表としてプレーするのが一番大きな目標ですね」

【現代サッカーのイメージに近い選手と見られたい】

 最後にひとつ、気になっていたことを聞いてみた。

 町田の今のサッカーは、パワーやスピードを押し出していて、それは既存の"韓国スタイル"にも見える。そこにあなたは前線のピースとしてフィットしようと努力している。韓国人だからこそ、合う。そんな面があると思いますか、と。

 逆に聞かれた。「韓国サッカーはパワーとかスピード、という風に見えますか?」と。

 そうだ、と答えた。ただ、ここ最近の韓国サッカーは、技術志向のように感じる。はっきり言って昔のほうが日本にとって怖かった。違いがあったから。今の町田には似たものを感じる。Jリーグのなかで違いを出していて、そのスタイルが際立っているから、強いんじゃないかと。

 オ・セフンの答えはこうだった。

「昔は、もちろん精神力、力で勝てるサッカーもありましたが、最近は頭を使わなければならないでしょ? 力とスピードをよりうまく使うためには、頭が一番良くなければならないと思うので......。もちろん一生懸命走るのは大事だけど、それよりもより賢く走ること。より多くのチャンスを作ってゴールを決めること。韓国の選手としての特徴より、現代サッカーのイメージに近い選手。そういう風に見られたいです」

 2024年のMZ世代コリアンJリーガーの考え方か。

 3月30日のJ1第5節での町田での初ゴールの際には、ヒーローインタビューでフィアンセへの感謝を伝えて見せた。ヨーロッパ移籍も、大韓民国国家代表への道のりも、すべて今の町田での日々から始まる。やらなければ道は拓けない。

 オ・セフンは自ら決断してギリギリの日々を過ごす。過去から未来をつなぐ場として日本が存在するのだ。
(終わり)

オ・セフン 
呉世勲/1999年1月15日生まれ。韓国仁川広域市出身。ヒュンダイ高校を卒業後2018年蔚山現代(現蔚山HD)に加入。2019年には牙山ムグンファ、2020年からは尚州尚武に所属し、2021年途中から蔚山に戻ってプレー。2022年に来日し清水エスパルスでプレー、2024年からはFC町田ゼルビアに移りプレーしている。2019年U−20W杯で準優勝した韓国代表メンバー。

著者:吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho