ドイツ最大のサッカー専門誌『キッカー』の計算によれば、2023-24シーズンのフランクフルトのホームゲーム17試合の平均観客動員人数は56,959人。スタンドの占有率は99パーセントだという。

 ドルトムントとバイエルンのホームに次ぐ、ブンデスリーガ第3位の規模の動員数を誇るフランクフルトのホームスタジアムで、長谷部誠は現役を引退した。

 5月18日、今季の最終節となったライプツィヒ戦の試合当日は、長谷部ラストマッチの特別Tシャツが販売された。Tシャツの背面には、ウサギのイラストと一緒に「ありがとう HASE B.(ハーゼベーと発音する)」という文字がプリントされていた。HASE(ハーゼ)はドイツ語でウサギ。ウサギと長谷部をかけた語呂合わせだ。試合前には売り切れてしまったそうだ。


駆け寄ってきた子どもたちに笑顔を見せる長谷部誠 photo by Watanabe Koji

 同じタイミングで、セバスティアン・ローデも現役を引退した。ローデは2010年に19歳でフランクフルトに入団し、バイエルンやドルトムントを経て最終的にフランクフルトに戻ってきた元ドイツ代表のレジェンド。フランクフルトにとって大事なレジェンドふたりが引退するこの日は、スタジアム全体が特別な惜別感に包まれていた。

 この最終節のライプツィヒ戦は、試合としても重要な意味を持っていた。順位を争うホッフェンハイムが勝利したため、フランクフルトが負けてしまうと、来季のヨーロッパリーグ(EL)出場権を失うことになる。何がなんでも勝ち点1を得なくてはいけない試合だった。

 だが、試合はライプツィヒが2点を先行する。長谷部とローデがピッチに立つことができたのは、すでに2-2となっていた後半ロスタイム11分のことだった。

 レジェンドたちがピッチに立つ姿を目に焼きつけたいファンを尻目に、ディノ・トップメラー監督は時計を指差し、大きなアクションで試合終了を審判に促す姿は異様に映った。長谷部は一度もボールにタッチすることなく、現役ラストマッチを終えた。

【顔をうずめて、どうにか涙を隠した】

「まあ、僕自身はもう、前節が終わった時(ボルシアMGと引き分け)から、チームがすごく喜んでいたりfeiern(ドイツ語=お祝い)しているのを見て、僕自身は全然まだ(EL)決まってないのになんでこんなに喜んでいるんだろうなって、正直思っていた」

 前節が終了した時点ではEL出場圏獲得の6位は確定しておらず、長谷部はチームの祝賀ムードに疑問符を感じていた。最終節で6位キープを目指すのか、それとも結果を問わないのかで、今季先発機会の少なかった長谷部の出場時間が変わってくることを理解していた。

「サッカーをこれだけ長くやってきた経験上、そんなに物事がうまくいくことはないっていうのは、自分のなかでわかっている部分がある。もっと試合に出られる時間が長く、最後のAbshied......お別れをできる可能性もあったかもしれないですけど、そんなにうまくいくもんじゃないというのは、サッカーの世界で長く生きてきて感じている部分もあって。

 だから、そこに関してはまったく何も思っていない。今日こうして試合が終わって、スタジアム全体でお別れの雰囲気を作ってくれて、そのことは非常にありがたかったですけどね」

「物事がうまくいかないことはある」という言葉は、前日に引退試合を行なった岡崎慎司が「選手でいれば理不尽なことはある」と話していたのと重なって聞こえた。

 サッカーの世界でほぼ頂点に立つ彼らのような選手でも、理不尽で不可抗力な出来事を飲み込んで戦っているのだ。時にあきらめも覚え、それでも立ち上がってきた、おそらくはそんな現役生活だったのだろう。

 引退に対して「うーん、なにも感じないんですよね」と事前から話していた長谷部だったが、さすがに涙をこらえられなかったのは、試合後に娘と息子が駆け寄ってきた場面だった。

 3人でぎゅーっと抱き合ったまま、長谷部の顔は見えない。そのうちキョロキョロとし出す娘と息子に、長谷部が顔をうずめるようにして、どうにか涙を隠した。

【移籍はまったく考えていなかった】

「今日まで感情的になることは全然なかった。この年齢までやれて、だいぶ時間をかけてサッカー選手をやめるっていう準備もできていたので。だから今日が近づいてきても、特に感情的になることはなかったんですけど、終わって子どもが寄ってきた時はさすがに......それだけでちょっと......感極まってしまいました」

 ふたりが母親のもとに戻ったあとも、長谷部は顔を上げず、しばらくの間、涙を流した。ようやく顔を上げた時には、泣き顔はなく、ふだんの表情に限りなく近かった。


さすがの長谷部誠も涙を抑えることができなかった photo by Watanabe Koji

「自分にとって、家族はとても大きな存在だった。それが思ったよりも、感情が出たっていうのが、恥ずかしながら」

 恥ずかしながら、と振り返るあたりが、やはり長谷部らしい。

 前日の岡崎やこの日一緒に引退したローデと長谷部が違うのは、大きな負傷を抱えて引退するわけではないということ。時折出場した際に魅せるプレーは、今でもトップレベルで通用する。まだまだできるように見える。仮にトップメラー監督の構想と合わないのであれば、よそに活躍の場を求めようとは考えなかったのか。

「そうですね、もちろんそういうことを考えなかったかって言われると、考えなくはなかったです。だけど、そういうオファーが大前提にあっての話だと思うし。次のステップに進みたい、進むべきかなっていう。

 まあ、そういうときはね、いつか来るんで。もちろんドイツ国内で(移籍)っていうのはまったく考えてなかったんですけど、国を変えて(ドイツ以外で)プレーするというのは、ほとんど想像してなかった」

 ということは、プレーができなくなってフェイドアウトするのではなく、自ら引退を選択できるうちに決断したいと考えていたのか?

「まあでも、クラブからはこれから先もずっと(プレーしても引退してもいい)と言われていたので。2027年(までの契約があるが、それまでという意味ではなくいつでも)というのではなく、毎年毎年という感じだったので、いつかは自分で(決めなくてはならない)。

 クラブもね、そういうタイミングは自分で決められると思っていたので、そういう権利を与えてくれたと思うんですけど。今というタイミングが、みんなにとってハッピーなんじゃないかなと思います」

 それほどの信頼関係があるこのクラブで引退するのは、自然なことなのだろう。

 今後は数カ月の休みをとったのち、フランクフルトでアカデミーコーチに就任し、同時にライセンスの取得も目指すという。「第二の故郷」というフランクフルトで、長谷部がどのような指導者になり、どのような選手を育てていくのか。今から楽しみだ。

著者:了戒美子●取材・文 text by Ryokai Yoshiko