50m自由形で五輪出場をめざす松田隼人 選手

競泳の50m自由形で身長193cmの選手が注目を集めている。長い腕で水をかき生み出す推進力は短距離レースで大きな武器だ。東京五輪の男子50m自由形でも1位と2位は190cm超だった。18歳の大学生は2028年ロサンゼルス五輪の出場を目指している。


腕の長さを生かした推進力


松田隼人選手

2024年2月、競泳の50m自由形で22秒12の静岡県新記録(短水路)を出し、3月には国内最高峰のスイマーが集うオリンピック代表選考会に出場した選手がいる。

この春、静岡市の高校を卒業した松田隼人さん(18)だ。

2028年のロサンゼルス五輪出場を目指している。


水泳クラブのチームメートと

身長は193cmで、手を伸ばすと年齢の近い高校生と比べてもリーチの差が歴然だ。

東京五輪の水泳に出場した日本人選手の中で最高身長は塩浦慎理 選手(男子4×100mリレー)の188cm。

静岡県はもちろん、全国的にも190cm以上のトップスイマーはほとんど前例がない。


松田隼人選手

水泳では水をかく時にどれだけ推進力に変えられるかが重要だが、その点、松田選手は腕の長さを活かすことでひとかきで得られる力が大きく、特にスピード勝負の短距離レースでは優位に働く。

2021年の東京五輪50m自由形では1位と2位の選手はいずれも身長190cm以上だった。


小学生時代から「大きな泳ぎ」を意識

松田選手は「大きな泳ぎができるメリットだけを水泳の練習で常に考えてきました」と話す。

そのメリットに最初に気づいたのは地元クラブのコーチだった。

両親の身長が高かったことから「息子も身長が伸びるに違いない」と、小学校1年生から熱心な指導を受けたという。


中学生で肺の病気に


肺気胸で入院した松田さん

ところが、中学生の時に思いもよらない出来事が襲う。急に呼吸が苦しくなって歩けない状態になった。

呼吸困難を引き起こす病気「肺気胸」を発症したのだ。練習に復帰しても再発を繰り返す日々で苛立ちが募った。

松田選手は「焦りや悔しさ、いろいろな負の感情が毎晩あって、水泳ができないのがすごく悔しかった」と当時のことを振り返る。


闘病生活を振り返る松田さん

才能はあってもそれを伸ばせない。若くして引退も考えたが、それでも諦めなかった理由は目標を捨てなかったからだ。

「小学校から夢見ていた全国大会なので、インターハイに行きたいという強い信念を持って諦めることなく頑張れた」と松田選手は話す。


手術4カ月後に全国大会出場


リハビリを振り返る松田さん

夢への挑戦が彼を奮い立たせ、高校2年生の春に肺気胸を克服するため手術を決意した。つらいリハビリ生活だったが思い切った決断が功を奏す。

腕を鍛えて水をかく時の手の動きが意識できるようになり、陸で感覚をつけて水中でも生かせるようになったそうだ。

「パワーをつけてスピードのある泳ぎができている」とレベルアップを実感している。


2022年

病気を克服した松田選手は急成長。

大きな体を最大限に活かす腕の動きやパワーを身に着けると、手術から4カ月後の2022年夏には県大会と東海大会の二度の予選会を突破し、念願の全国大会インターハイに出場した。


静岡県の高校生記録を更新(2024年2月)

高校3年になった2023年のインターハイでも50m自由形に出場し、23秒42で10位だった。

そして、2024年2月には22秒12(短水路)を出して静岡県の高校生記録を更新した。高校生を含むすべての世代の静岡県新記録だ。


筑波大に進学しロス五輪目指す


松田隼人さん

無限の可能性秘めた大型スイマーに対しては、全国17の大学から誘いがあった。その中で「科学的な研究に基づいた指導が受けたい」と、2024年春に筑波大学へ進学。

松田さんは筑波大学を選んだ理由について「絶対的な(指導の)根拠がある方が自分のレースに自信を持って取り組むことができるし、そういう意味で自分にあっていると感じた」と話す。


松田隼人さん

病気を克服した今、彼の成長を止めるものはない。大型スイマーはさらなる夢に向かって泳ぎ続ける。

筑波大学1年・松田隼人 選手:
大学生になると一人暮らしになっていろいろ誘惑があると思うが、時間を無駄にせずに筋トレや食事はもちろん、練習にも取り組んでいきたい。自信も持って、ロサンゼルス五輪をかけた日本選手権に出場できるようにしたい


松田選手は2028年ロス五輪出場目指す

病気を乗り越えた競泳選手というと池江璃花子 選手が記憶に新しい。2019年に白血病と診断されたが、驚異的な回復で2021年の東京五輪に出場。2024年3月にはパリ五輪の出場権も獲得した。

池江選手のように病気を克服して五輪出場へ。

長身スイマーの松田選手は強い精神力でパリの次、2028年のロサンゼルス五輪を目指す。