※2023年11月撮影

トップ画像は「京王よみうりランド駅」の【駅ぶら】で参拝した「穴澤天神社」の「手水舎」の「花手水」。綺麗なので先にお目にかけました。

神様にご挨拶する前に手口を浄めます。

※2023年11月撮影

拝殿。神様にご挨拶しました。

※2023年11月撮影

拝殿奥の本殿、写真は撮っていませんが、稲城市教育委員会の案内によれば、

「稲城市指定文化財 穴澤天神社本殿

穴澤天神社本殿は、市の社寺建築調査により江戸時代前期(17世紀前期)に建立されたことが明らかであり、稲城市で最も古い神社建築である。構造は、一間社流造、こけら葺、丸柱で桁行4.84尺(約1.47メートル)の規模である。

彫刻が少なく質素な建築技法は、豊鹿島神社本殿(東大和市)、熊川神社本殿(福生市)(共に東京都指定文化財)と共通する技法が多く、和様が基本であった中世の多摩地方平野部における神社建築の手法を良く伝えるものである。

全体として建築当時の形式を良く伝えており、市内の神社建築のなかでは、最も古くかつ歴史的価値の高い本殿建築である。

令和2年3月18日   稲城市教育委員会」

「筆塚」がありました。

※2023年11月撮影

横に立つ案内。

「稲城市指定文化財 筆塚 指定 昭和55年2月22日

筆塚は書道の師や文筆家が死亡した際に、その人物の功績をたたえて門弟たちによって建てられた供養塔である。

この筆塚は江戸時代の後期に筆学を業とした原田金陵(天真堂という)の功績をたたえて、文久3年(1863)に、矢野口村・長沼村・押立村の門弟164名によって建てられたものである。

原田金陵は江戸時代に現在の府中市で筆学を業として原田塾を開いた原田玄藩(誠堂という)の弟子で、川崎市多摩区管の福泉寺(今は廃寺)に住んで手習塾を開き、矢野口においても教えていたと伝えられる。

明治時代を迎える直前の、この地の教育の記録として重要な碑である。

平成4年9月30日   稲城市教育委員会」

拝殿を離れて少し戻ると「辨天坂 辨天社 御神水」という碑があります。ここを下りる様です。

※2023年11月撮影

下までかなりの高さがあります。同じ高さの石段74段よりも長い分緩やかなので歩きやすいです。

※2023年11月撮影

坂を下りました。左に「御神水」右は「辨天社」。

※2023年11月撮影

10年ほど前に「三沢川」に沿って散歩をしていて、人集りで偶然この「御神水」を見つけたことがあります。何人もの人が大きな空のボトルに水を詰めていました。今回は人のいないタイミングで撮影できましたが、ほとんどの場合、誰かが「御神水」を大きなボトルに詰めに訪れています。ミネラルウォーターの様に使うのでしょうか?

※2023年11月撮影

「辨天」様にもご挨拶します。

※2023年11月撮影

横穴があいていて奥に石の小さな社があります。足下は湧水でビチャビチャでした。右の横穴の奥まで「穴澤天神社」の起源という「石仏安置跡」を探しに入りました。でも途中で曲がっていてマジで真っ暗、ヨク分かりませんでした。

※2023年11月撮影

石段74段(クドい!)に昇る前に見えた石の鳥居は「三沢川」にむかっています。

※2023年11月撮影

「三沢川」の上流に向かって駅に戻ります。

※2023年11月撮影

次回は「京王よみうりランド駅」から「稲城駅」にむかいます。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和〜平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)