日本バレーボール協会(JVA)の2023年度の女子日本代表登録メンバー(40人)に、31歳の青柳京古(182センチ、埼玉上尾メディックス)が初めて選出された。中学1年からバレーを始めた遅咲き選手で、バレー界では30歳を超えて初めて日本代表に選ばれるのは異例。高校1年で、ともに将来のオリンピアンを誓った級友は2016年リオデジャネイロ五輪のアーティスティックスイミングで銅メダルを獲得しており、約束の実現に一歩近づいた。

「夢じゃないんですか」

 今年3月中旬、埼玉県上尾市内の合宿所1階の監督室で、青柳は大久保茂和監督の目をじっと見つめた。

「夢じゃないよ。よかったな」。ひと呼吸置き、壁に掛かる時計を見て、机を挟んで向かい合う大久保監督から出された手を握り返した瞬間、涙が溢れ出た。

 昨年、代表内定の知らせがチームに届いたのは1月のこと。今年は2月になっても連絡がないことから「(今年度は)もうないんだ」と諦めていた。だからこそ、喜びもひとしおだった。
  夢かどうかを確認したのには、理由があった。

「日本代表になって、オリンピックに出場してメダルをとることが私の目標だったんです。いつも代表になることをイメージしていて、佐藤さん(嗣朗GM補佐)に監督室に呼ばれ、代表入りを告げられる夢などを、何十回も見ていました。でも朝、起きると『夢だったんだ』とがっかりすることばかり。だからあの時、時計を見たんです」

 長野県信濃町出身。ママさんバレーを続けていた家族の影響で、乳幼児のころから体育館に連れられバレーとつながりはあったが、地域に小学生のチームはなく、競技を始めたのは町立信濃中学に入ってから。身長が高く「JOC杯全国都道府県対抗中学大会」の長野県代表に選抜されたが「長身選手枠」で選ばれた意味合いが強く、コートに立った記憶はないほど。進学した長野日大高校、愛知学院大学では全日本大学選手権の出場があるくらいで、ほとんど大舞台での経験はない。
  日本代表と五輪出場、メダル獲得を意識したのは、高校1年の夏。同じように背の高い同級生の箱山愛香さんの存在。放課後、毎日23時頃までプールで過ごす同級生が、アーティスティックスイミングで五輪を目指していると知った時からだ。

「自宅に遊びに行くと、メダルやトロフィーがたくさんあって、『私も五輪目指す。一緒にメダルをとろう』と約束しました」と青柳。

 箱山さんは2012年のロンドン五輪に出場し、チームで5位入賞。2016年のリオ五輪ではチームで銅メダルに輝いた。

 一方、青柳は愛知学院大時代に、2012年の東アジア地区女子選手権(北京)のメンバー12人に選ばれたこともあるが、全国的にはほぼ無名の選手。4年時に、本格的にアウトサイドヒッター(OH)からミドルブロッカー(MB)に転向した。

「高校時代にMBの経験があり、ワイド攻撃が出来ていたので、将来を考えて転向をアドバイスしました。本人も『Vリーグでプレーしたい』と、高いレベルで競技を続けていく意識が高く、真面目に練習に取り組んでいましたね」というのは、4年次の1年間、指導にあたった2010年アジア大会女子代表監督で、元トヨタ車体監督の谷口幸雄さんだ。

 チャレンジリーグ(現V2)の上尾メディックスに入団後は、内定選手として出場したチャレンジマッチ第2戦で11得点を挙げ、V・プレミアリーグ(現V1)昇格に貢献したが、代表への道は遠かった。

 スピードがあり、キレのよいクイックに幅広い攻撃、高い打点からのアタックが魅力。21/22年シーズンは、33試合に出場し、リーグ11位、日本人選手として4位のアタック決定率43.1%の好成績を残し、代表候補入りに近付いたが、吉報は届かなかった。

「実力がないから選ばれなかったのです。ボールを強く叩くのが得意ですが、アタックのミスを少なくするためにはブロックの上からコースを狙って打つ技術も必要だし、サイドの選手との息を合わせることも大事です。何が足りないのか、埋めていく作業を続けました」

 落ち込んだが、現実を受け入れるのに時間はかからなかった。大久保監督からは「いつも思うようなトスが上がってくるわけではない。ここに上がれば自分は決めることが出来ると考えるのではなく、どんなトスに対しても準備をどれだけ出来るか。近いトスや低いトスでも、チームとして有利に展開することが出来るように、粘り強くやっていこう」とアドバイスを受けた。
  結果、22/23シーズンはアタック決定率で43.9%と自己記録を更新し、チームのレギュラーラウンド2位に貢献。3月27日にJVAが発表した2023年度女子日本代表チームの登録メンバーに初めて、名前を連ねた。

 登録選手40人のうち、初選出はロンドン五輪銅メダル獲得に貢献した大友愛さんの長女、秋本美空(16歳、共栄学園高校1年)ら12人。青柳と27歳のリベロ目黒優佳(JT)を除くと、23歳が最年長。30歳を超えて初めて選出されるのは珍しいことだ。

 中村貴司・JVA女子強化委員長は「日本人選手としては大型MBでありポテンシャルも高く、努力して花が咲いた選手。22/23シーズンの埼玉上尾メディックスの躍進に貢献した選手として、眞鍋さん(政義女子代表監督)もプレーを見たかったのだと思います」と選考理由を語る。
  31歳での初選出に、埼玉上尾のMB栗栖明歩(24、京都橘大学)は「年齢を感じさせないプレーや、年齢に関係なく女子バレー界での可能性を広げて下さる姿は、本当にカッコいい。折れない心で常に高みを目指すところは頼もしく、学べることも多く目標になります」と語る。

 青柳と同じ31歳で、3年間一緒に埼玉上尾を引っ張って来たOHの内瀬戸真実は「いつも前向きな人で、私もそれに引っ張られた一人。どうしたら代表になれるかを考えて行動をしていて、その結果が結びついたと思います。同級生ということもあり、アドバイスをし合って来たので、私自身もうれしかった」と喜んだ。

 小学1年生でバレーを始め、14年から代表で活躍し続けてきた内瀬戸は、5月の黒鷲旗全日本選抜男女選手権を最後に、ユニホームを脱いだ。キャリアを積み重ねてきた歴史は違うが、同年代だけにことさら常に向上心を失わない青柳をリスペクトするのだろう。

 大久保監督は、青柳の前向きな姿勢に驚いたことがある。監督就任約2か月後に行なわれた岩手県陸前高田市の合宿での夜の出来事。選手一人ひとりに、どのようにバレーと出会い、なぜ今この場所にいるのかなどを「マイヒストリー」と題して発表してもらう場で、青柳はバレーを続けている理由に、代表入りして五輪でメダルをとるという目標を挙げた。

 30歳の大台に乗り、本来なら現役引退を考えてもおかしくない年齢。キャリアを積んだベテランが、臆することなく若手選手のように自分の目標を宣言できる姿に「自分が何を目指しているのかを堂々と言えるのはカッコよく、全力でサポートしたいと思いました。バレーが本当に好きなんだと感じました」と大久保監督。

「監督就任後にも面談をしたのですが、バレーを愛する気持ちが伝わって来ました。普通はキャリアを積んでくると守りに入って、このくらいやればシーズンを乗り切れるという計算が入ってくるものなんです。彼女の場合、それが全くなく常に自己ベストを更新していくという内面のエネルギーがほかの人とは違うと感じました」と続けた。
  5月8日に発表されたネーションズ・リーグ(VNL)に登録予定の20人に、青柳の名前はなかった。

 しかし、VNLメンバー以外で編成される9月のアジア選手権(タイ)やアジア大会(中国)などの大会でアピールすれば、A代表に抜擢される可能性はある。

 8日の日本代表女子の記者会見で、眞鍋政義・女子代表監督はサーブの重要性を説き、「どれだけいい選手であっても、サーブが悪ければ代表には残さない」と明言した。

 眞鍋監督からは「高く、速い攻撃はアピールしてくれた。あとはサーブ」と直接、告げられた。

 5月の1カ月間、チームはリーグ戦の疲労をとる意味もあり休養にあてるが、青柳は「攻撃面ではアピールできましたので、次はサーブを磨きます」とコートに立つ。

 一昨年8月に、大学院でコーチ学を学んだ男性(30)と結婚。海外でのコーチ修行も視野に入れる良き理解者と、二人三脚で「課題をつぶす作業」に入る。

 座右の銘は、憧れる元ブラジル男子代表ダンテ・アマラウが気に入って口にしていた「昨日より今日。今日より明日」。

「夢」の実現へ、今日の努力を惜しまない。

取材・文●北野正樹

【著者プロフィール】
きたの・まさき/1955年生まれ。2020年11月まで一般紙でプロ野球や高校野球、バレーボールなどを担当。関西運動記者クラブ会友