【白井元調教師と学ぶ血統学「温故知新」】
 元JRA調教師の白井寿昭氏に指南役をお願いし、様々な角度から血統を考える連載の第112回。愛読者から寄せられた質問に対し、白井氏が一つひとつ答える特別編。本来は有料会員限定の当コラムも、今シリーズは無料開放となっているので、この機会に競馬への見聞を広めていただきたい。

 進行は東スポ競馬・関西地区本紙担当であり、白井氏との親交も深い松浪大樹記者。今回も白井氏の本音を掘り起こす重要な役目を担っている。

究極の質問にもキッパリ!

グラスワンダー(左)に敗れたことでスペシャルウィークの凱旋門賞挑戦は幻に
グラスワンダー(左)に敗れたことでスペシャルウィークの凱旋門賞挑戦は幻に

 松浪大樹(東京スポーツ記者=以下、松浪)今回も読者の方による白井先生への質問コーナーです。早速ですが、前回の最後に告知した質問に答えてもらいますか。

 白井寿昭氏(元JRA調教師=以下、白井)スペシャルウィークが凱旋門賞に挑戦していたら勝てたか? こんな感じやったな。

 松浪 はい。厳密にいえば、「モンジューとエルコンドルパサーに勝てましたか?」との質問だったので、あの年(1999年)の凱旋門賞に出走して、そこで勝てたかどうか…ということになりますね。

 白井 これはハッキリしとるよ。勝ってない。それが答え。

 松浪 誰よりもスペシャルウィークの能力を知っている先生の言葉。説得力があります。理由を聞かせてもらっていいですか?

 白井 多くの人が知っとると思うけど、スペシャルにも凱旋門賞に行くという話は出とった。実際、オーナーサイドはかなり行きたがってたしな。でも、僕は行かなかった。行かせんかった…と言ったほうがええと思うね。で、そのようにした理由は「勝ち目がない」と判断したからで。

 松浪 宝塚記念の敗戦が、遠征を断念した直接の理由でしたよね?

 白井 そう。あそこで負けたやろ、グラスワンダーに。で、行かないと決めた。実際、行ってもダメやったと思うし、そこに行かんかった馬がさ。「凱旋門賞に行ってたら…」と話をするのも、どうかと思うし。

 松浪 先生らしいコメントです。挑戦しないという決断は、「挑戦しても勝てない」と同じ意味。そういうことですね?

 白井 その通り。正直な話をすれば、絶好調ではレースを迎えられない。こういう気持ちが強かった。それまでのいろいろなことも含めてね。あの馬は僕が見つけて、ずっと成長を見てきた。その僕がダメと言ったら、やっぱりダメなわけ。僕の考えをオーナーも信頼してくれていて、僕が決めたことなら…と。で、行かなかった。英断やったと思う。

 松浪 ちなみに「先生の管理馬で、凱旋門賞に挑戦させたかった馬はいますか?」という質問も来ていますが、スペシャルウィークでも行かなかったわけですから…。これに関しては、「いない」という答えでOKですよね?

 白井 うん、いないね。スペシャルで無理なら無理。ほら、その前にダンスパートナーで僕はフランスに行ってるやんか。日本人、日本馬に対しての向こうの人間の見方というか、扱いがちょっとな…。下のほうに見られているというのがわかったし。

 松浪 当時は調教も思ったようにさせてくれなかった…と言っていましたね。

 白井 そう。今でこそ、日本馬の地位が上がって、受け入れ態勢もしっかりしていて、いい状態で出走できる馬も増えた。馬券も売ってるし、向こうも「来てほしい」と言っているけれど、我々のときは違うから。「別に日本馬なんて来ないでもええわ」。そんな感じやもん。

 松浪 これはタラレバ中のタラレバになりますけど、現在のような受け入れ態勢があって、スペシャルウィークの状態も絶好調。そういう状況であれば、勝ち負けはできたと思いますか?

 白井 そういう状況であるのならね。チャンスはあったと思う。能力的には足りとるからさ。でも、そういったことも含めての競馬。当時は受け入れの態勢が整っていなかったし、向こうで状態が上がるとも思えんし。

 松浪 エルコンドルパサーの挑戦が1999年。ディープインパクトが2006年。今年のスルーセブンシーズ(4着)までの長い期間で培ってきたものがある。当時とは違いますよね。

 白井 行くまでだけでも大変やからね。飛行機の状態とか、いろいろな問題があるわけよ。もちろん、行ってからのサポートは特に大事なことやけど。

歴史を塗り替え続けたスペシャルウィーク

1999年のジャパンCで凱旋門賞馬モンジューを撃破したスペシャルウィーク(右)
1999年のジャパンCで凱旋門賞馬モンジューを撃破したスペシャルウィーク(右)

 松浪 JCに参戦する外国馬が少なくなっていますけど、こちらのサポートは万全。でも、出走頭数は減っていますよね。これに関しては?

 白井 受け入れはええけども、これは単純に能力の問題やわ。あっちに行っても、こっちに行っても日本の馬が活躍しとる。勝てない、稼げないと思うところには行かんわな。昔のJCは違うもん。賞金はええのにさ。対戦する日本の馬の能力は明らかに低い。それなら来るわ。

 松浪 その年のJCには、凱旋門賞を勝ったモンジューがやってきました。結果はスペシャルウィークが1着、モンジューは4着でしたね。

 白井 モンジューがJCに来ると聞いてさ。スペシャルの強さを見せてやろう。そのように思った。モンジューの状態がどうやったかはわからんけど、勝ってうれしかったよ。エルコンドルパサーには1年前のJCで負けていたので、あの馬とも一緒には走りたかったな。3歳のときのJCは強行軍で、力負けと思ってなかった。それもあったから、余計に走りたかったわ。

 松浪 当時の菊花賞は天皇賞(秋)の翌週に行われていたんですよね。JCまでは中2週の日程でした。

 白井 僕は欲張りやからJCにも…という気持ちで参戦したけどな(苦笑)。でも、3000メートルを走ったあとでの中2週は、やっぱり厳しいなあ。そう思ったわ。実際、3歳馬の日程をずらしてほしい…と競馬会に言いに行ったことがあるよ。それが決め手とは思わんけど、それでも現在のような菊花賞の日程になって。3歳馬でもJCに出やすいような、そんな番組になった。

 松浪 スペシャルウィークの功績といえば、皐月賞のAコース開催を否定したことがあります。最終週の内ラチ沿いにグリーンベルトができてしまうのはおかしいと。

 白井 そう。あれも変わったよな。スペシャルで負けて、問題提起をした後にさ。

 松浪 それだけでなく、菊花賞の日程変更にも影響していたというのであれば、これも大した功績ですよね。歴史を変えた馬と言えそうです。

 白井 いろいろなことがあって、現在がある。なんでもそうやけどさ。積み重ね。これが大事ということ。質問からは話が少しそれてしまったかもしれんけど、凱旋門賞に対する僕の見解というかね。まあ、海外遠征全般に関するものやけど、それも似たようなもので。それが伝わってくれたのであれば、今回のもグッドクエスチョンと言えそうやな。

 松浪 どのような問題が起きて、それを多くの人が考えて、徐々に改善されて、現在の競馬がある…と考えると、このコラムタイトルはピタッとハマる気がします。特別編が終わっても、多くの人に閲覧してほしいと強く思いますね。

 白井 ホンマやな。松浪君はそういうところも商売上手やね(笑い)。

☆白井寿昭(しらい・としあき)1945年生まれ。広島県呉市に生まれ、大阪で育つ。68年に上田武司厩舎の厩務員となり、78年にJRA調教師免許を取得。79年に開業した。95年のオークスをサンデーサイレンス産駒のダンスパートナーで制してGⅠ初勝利。98年日本ダービーなど、GⅠ4勝を挙げたスペシャルウィーク、国内外でGⅠを6勝したアグネスデジタルなどの名馬を管理した。2015年、定年により調教師を引退。現在は競馬評論家として活動している。

著者:松浪 大樹