【東スポ競馬で振り返る昭和の競馬史】3冠馬シンザンが教えてくれたこと 競馬報道にも変化の兆しが/昭和39年=1964年

【東スポ競馬で振り返る昭和の競馬史】
 昭和39年は日本競馬にとっては歴史的なシーズンとなった。シンザンが昭和16年のセントライト以来となるクラシック3冠を奪取したのだ。

 前年2冠馬メイズイがトライして敗れた経緯を考えると、興行的にはこれ以上ないストーリーといえる。「スポーツが発展するための要素はスターが適正なタイミングで出現するかどうか」と前回書いたが、競馬サークルにとっては極め付きの僥倖だった。

 シンザンは接戦を勝ち切る「渋い」タイプの馬で、3冠最終戦の菊花賞を走る時点ではすでに3敗(7勝)。取りこぼしてもおかしくない雰囲気を醸しつつの達成だった。勝ち切れば当然の祝賀モード、敗れても波乱による躁状態が生まれて別の意味で盛り上がる…どちらに転んでもOKのオイシイ状況で戦線が進行して、競馬の裾野は大きく広がった。

 東スポの競馬面も秋には菊花賞を分厚く扱い「3冠なるか」に繰り返しフォーカスを当てていた。メンバー確定後の紙面では本紙予想はシンザンが◎だったが、記事のトーンはライバルのダービー2着馬ウメノチカラ有利…。実際シンザンは夏負けの影響で本調子になく、菊花賞は2番人気に甘んじた。このように期待値がかなり下がった中での勝利だっただけに、シンザンへの評価はV字回復。週明けの紙面では「三冠馬の秘密」の大見出しをつけて偉業達成を分析する大きな企画記事を掲載した。

 当時はGⅠ級のレースでも後記の原稿は質量ともに極めて小さかっただけに、これは異例の扱いといえる。

 昭和30年代後半の日本競馬は、メイズイとシンザンによって大きく底上げされたわけだ。

著者:東スポ競馬編集部