「植物に栄養なんていらないの。余計なことはしないほうがいい」

これが浅野の口癖だ。最初に聞いたときは、ピンとこなかった。栄養が不要なら、土づくりなのか? そう尋ねると、とぼけたような答えが返ってきた。

「土づくり? そんなの、できるわけないじゃん」

畑と食卓が、直接つながった

首をひねりつつ、ニンジン畑に立つと、優しい土の感触とともに、靴先がゆっくりと吸い込まれるように沈んでいく。

その瞬間、脳裏に浮かんだのは、心地よい土の中をしなやかな根が深くまっすぐに下りていくイメージだ。

その心地よさというのは、浅野が植物に対し、「こう育ってほしい」と願って作ったものではなく、「こう育ちたい」という植物の声を聞いて浅野が手助けをした結果であるように感じる。

植物がその生命を維持するためのミネラルと、ひとつでもいいから生まれ育った原産地に近い条件をどう与えてやるか。肥料の量よりも先に、それを考えることのほうが大切なのだと浅野は話す。

ニンジンを収穫する浅野(写真:筆者提供)

浅野は1961年、地元の農業高校を17歳で中退して就農した。麦と落花生、サトイモを市場出荷しながら外国産野菜の栽培に挑戦。30年ほど前から、少量多品目生産の直売農家となった。

それまで、フレンチやイタリアンの店では輸入業者が提供する野菜を使うのが一般的だったが、山田宏巳氏の他、「銀座レカン」の最盛期を担った十時亨氏、「アクアパッツァ」オーナーの日高良実氏といったスターシェフが浅野と取引を開始。畑から農場へ、直接つながる道が拓いた。

旧知のシェフたちは、こう口をそろえる。

「食材をより広く深く知る機会を得て、料理の幅が広がっていく。浅野さんは、その基盤を作ってくれました」

「Farm to Table」という言葉は、生産者と消費者、食の提供者が物理的に、また概念として近い距離にあることだけでなく、その関係性のあり方までをも包含する概念だ。

浅野の農園の納屋には、来日した海外の名シェフたちが訪れた際の写真が何枚も飾られている。

浅野は日本の農家として、誰より先にFarm to Tableを実践してみせた先駆者だからだ。

著者:成見 智子