福岡 私は、同じ環境が再現されれば同じ結果がもたらされるというのは、イデアを求めすぎる考え方ではないかと思うんです。

同じ条件で隕石が落ちても、一部の恐竜は生き残ったかもしれないし、その後に残った哺乳類もいまのように栄えなかったかもしれない。

進化の過程にはさまざまな岐路が存在し、そのうちどれを選ぶかの選択には、偶然としか思えないことがたくさんあります。

たとえば、私たちの体をつくるアミノ酸にはL体とD体という2つの異性体があって、地球の生物はすべてL体を使っています。

そこに必然はなく、たまたま最初に誕生した生命がL体を選んだに過ぎない。同じ環境が繰り返されれば、次はD体が選ばれるかもしれません。

そう考えると、同一の進化のプロセスは二度と繰り返されないと思えます。

とくに西洋には、環境さえ再現されれば必ず人間が地球を支配するというある種のドグマ(独特の教義や教理)がありますけど、それはちょっと違うと思うんです。

佐藤 そうですね。ただ、私自身は、知的生命体についてはもう少し別の見方ができると思っています。

確かに進化の過程でたくさんのサイコロが振られることを思えば、2、3回の実験でいまと同じ人間が生まれてくるとは考えにくい。しかし、地球のような星が他に無数にあるとするなら、どこかで人間のような知的生命体が生まれることは、統計的に必然です。

つまり、いま恐竜が知的生命体になったかもしれないと申し上げましたけど、ありとあらゆる場所にありとあらゆる生物が生まれ得るなら、そこには何らかの形で必ず知的生命体が含まれるはずです。

その場合、それがわれわれと同じように、DNAから生まれる生命体である可能性も決して低くないのではないでしょうか。

宇宙が広すぎて出会えていないだけ?

福岡 だとすると、私たちが地球外の知的生命体とまだ出会えていないのは、宇宙が広すぎるからでしょうか。

佐藤 そう考えるのが、おそらく最も可能性が高いと思います。

銀河系における恒星間の平均距離は、およそ3光年(1光年はおよそ10兆キロメートル)。一方、いま人間がつくれる最速の宇宙船の速度は、光速の0.1パーセントにも満たない。これでは、隣の星へ行くだけで何万年もかかります。

おそらくこうした距離が、お互いの邂逅を妨げているのではないか。しかし、電波などの調査で今後も知的生命体の存在が確認できないとなれば、その理由をもっと深刻に考えないとなりません。

著者:福岡 伸一,佐藤 勝彦