NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第19回は、道長を支えた四納言と道長のエピソードを紹介する。

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父の仇である「藤原氏」に近づく源俊賢

一条天皇の治世で活躍し、藤原道長の全盛期を支えた4人の公卿のことを「四納言」(しなごん)と呼ぶ。源俊賢(としかた)、藤原公任(きんとう)、藤原斉信(ただのぶ)、藤原行成(ゆきなり)の4人のことだ。それぞれどんな人物だったのか。

4人のなかで最年長が、左大臣・源高明の3男にあたる源俊賢だ。「安和の変」によって、陰謀の疑いをかけられた父が失脚。二人の兄が出家するなか、11歳の俊賢は父の高明について太宰府へ。2年後に許されるも、父が政界に復帰することはなかった。俊賢は自身で道を切り開くべく、大学寮で学んでいる。

「安和の変」で父を失脚させた藤原氏を恨むのではなく、その権勢に近づくべく、俊賢は藤原兼家や息子の藤原道隆に仕えて、出世していく。正暦3(992)年には、道隆に自ら働きかけて、34歳で蔵人頭に就任。父の失脚劇を目の当たりにしているだけに、出世を果たして、その地位を守ることの大切さを痛感したのかもしれない。