数十人の部下を率いる戦闘機部隊のリーダーになるのはどういう人なのでしょうか。戦闘機を操るのが上手いだけでない、それ以上のスキルが求められるとか。航空自衛隊の現役飛行隊長にハナシを聞いてきました。

F-35装備のエリート飛行隊長 その経歴は?

 航空自衛隊において、戦闘機を運用する部隊を飛行隊といいます。これは戦闘機に限らず、輸送機や空中給油機などの支援機も同様です。ここには航空機を操縦するパイロットとそれを支援する整備員たちが所属しており、そのトップに立つ部隊指揮官を飛行隊長と呼びます。

 飛行隊長になれるのはパイロット資格を持つ隊員だけであり、しかも様々な性格のパイロットを束ねる立場のため、一般的には「パイロットの中のパイロット」というイメージで見られるかもしれません。

 実際にはどうなのでしょうか。三沢基地に所在する第302飛行隊の隊長を務める入田(いりた)太郎2等空佐に、飛行隊長に就任するまでの経緯とその役割などについてハナシを聞きました。なお、この第302飛行隊は、航空自衛隊の最新鋭ステルス戦闘機F-35A「ライトニングII」を運用するエリート部隊です。

 最初に伺ったのは、自身が航空自衛隊の戦闘機パイロットになったきっかけです。

「戦闘機パイロットになろうと思った一番の理由は、子供のころに見た映画『トップガン』でした。私の世代だと1986年に公開されたF-14『トムキャット』が出てくる最初の作品の方ですね。それまでは戦闘機について興味は持っていなかったのですが、父親は陸上自衛官でヘリコプターのパイロットだったので、航空機というものが比較的すぐそばにある存在でした。ですから、戦闘機パイロットを職業として考えることを、自分も家族もすんなりと受け入れた感じです」

 今でこそ飛行隊長を務める入田2佐ですが、空の世界へと憧れるようになった経緯は、我々一般人と大きな違いはなかったといえるでしょう。

千歳で異例の10年勤務「ベストガイ」にも

「パイロットになって最初の任地(勤務地)となったのは、北海道の千歳基地でした。部隊は第203飛行隊です。私はここで10年間ほどF-15『イーグル』戦闘機のパイロットとして任務についていました。これは、現在のパイロットの勤務期間と比べると極めて長く(筆者注:現在は2年程度で転勤を繰り返す)、この時には映画にもなった『ベストガイ』に選ばれたこともあります」

『ベストガイ』とは1990年に公開された東映作品で、織田裕二演じる航空自衛隊のF-15パイロットを中心に据えたスカイアクション映画です。航空自衛隊が撮影に全面協力しているため、本物のF-15Jや航空自衛隊の基地が撮影に使われており、邦画版『トップガン』という渾名もある映画です。

 タイトルの「ベストガイ」は、実際に千歳基地で使われているパイロットへの称号で、「人格・技量に優れる模範的な隊員」に与えられます。映画では、それを巡って競い合う航空自衛隊パイロットたちの活躍を描いています。

 入田2佐はその称号を付与されたパイロットの1人ですが、彼いわく「映画のように派手なモノではないです(笑)」とのことでした。

 パイロットとしてある意味で現場一筋だった入田2佐ですが、その後は飛行隊を離れ、東京都目黒区にある航空自衛隊幹部学校へと進みます。幹部学校とは部隊指揮官や幕僚(指揮官を補佐する立場の隊員や組織)としての知識や技能を学ぶ航空自衛隊の教育機関です。

 戦闘機パイロットというと、職人芸を極めた存在であり、そのトップには徹底的に技術を磨き上げればなれるというイメージがあるかもしれません。しかし、実際の飛行隊長の任務は戦闘機の操縦だけではなく、部隊全体を指揮するという特別な技量も必要になります。

 民間企業でいえば、マネージャーとしての資質も求められるようになるのです。そのため、入田2佐もその後、戦闘機を操縦する飛行隊とデスクワークが主体の幕僚勤務を交互に繰り返していきます。

那覇基地での経験がいまに

 そして、入田2佐が三沢基地の第302飛行隊に赴任する前にいたのが、南西諸島の最前線である那覇基地です。

「沖縄県那覇基地の第304飛行隊では、飛行班長を務めました。飛行隊には役割に応じてさまざまな部署が設けられていますが、その中でパイロットを中心に構成されているのが飛行班です。ここでは主に航空機の飛行運用に関する業務を行い、班長はそこのトップにあたります。飛行班長の仕事は戦闘機の飛行運航に関する業務に及びますが、その中には新人隊員に対する訓練もありました」

 筆者(布留川 司:ルポライター・カメラマン)は、入田2佐が第304飛行隊所属だった時期に、この部隊を取材で訪れたことがあります。この時は、入田2佐もまだ1階級低い3佐で、飛行班長として自らもF-15戦闘機を駆って新人パイロットの訓練指導を行っていました。

「訓練では、私自ら新人パイロットを実際に教え、検定フライトまで行ってその技量を判定することもありました。しかし、全体的には複数の訓練幹部とともに分担して行いました。班長の役目は、なんでも自分でやるのではなく、あくまでも班全体を指揮し、それをチームとして動かすことにあります。このときの飛行班長の業務は、私自身がパイロットだけでなく部隊の運営というものに関われた良い機会だったといえますし、それが今の飛行隊長という立場にも繋がっていると思いますね」

重要なのは「協調性」パイロットとして理想系は?

 入田2佐は、約2年にわたって第304飛行隊で任務についた後、今度は東京・市ヶ谷にある防衛省の航空幕僚監部で勤務しています。そして、いよいよ航空自衛隊の最新鋭機であるF-35の飛行隊の隊長となりました。

「正直に言えば、自分も航空自衛隊の戦闘機パイロットである以上、F-35という機体を操縦したいという願望は常にありました。ただ、日頃より自ら周囲に対して『F-35の飛行隊長になりたいです』とアピールしていたわけではないですよ(笑)。まあ、真面目に今の(F-35の)飛行隊長というポストに就けた理由を挙げるとすれば、どんな任務や勤務地であっても『常に目の前のことを一生懸命やった』結果だと思います。これまでのパイロットや幕僚といった航空自衛官としての全経験が、今の職務に役立っていますからね」

 どうやって戦闘機飛行隊の隊長になれるのか。その直接の答えにはならないかもしれませんが、入田2佐のこれまでの航空自衛官としてのキャリアが大いに参考になるといえるでしょう。そこで求められたのは、パイロットとしての技量だけでなく、同じ飛行隊の隊員との協調性や統率力だったといえそうです。

 最後に入田2佐は映画『トップガン マーヴェリック』を例に出して、パイロットのひとつの理想形を語ってくれました。

「映画『トップガンマーヴェリック』では、任務で集められたパイロットたちが、お互いに自分の腕を誇示するというストーリーであったため、尖った性格のパイロットが多かったように思えます。しかし、現実の戦闘機部隊は、協力してチームで戦うことが極めて重要であり、あのような尖ったパイロットよりも、チーム全体を引っ張って戦うリーダーシップを持つ人間のほうが求められると思います。ですから、強いチームを作るのであれば、私が最初に見た初代作の『若くて尖った頃のマーヴェリック』よりも、新しい作品の『年老いた分別のあるマーヴェリック』と飛ぶ方が理にかなっているのではないでしょうか」

 現代戦は、総合力での戦いです。「戦闘に勝って戦争に負ける」ということにならないためには、チームとしての戦い方を極める必要があり、そのための能力が飛行隊長を含むリーダーには要求されるといえそうです。