能舞台に上がり “本番” さながらに能面をつけ “すり足” で歩いたり “笛” や “太鼓” を実際に演奏したり…。小学生から一般市民、能楽愛好者までの幅広い世代で能楽の奥深さを体験するイベントが、5月6日に開かれます。主催する「富山県宝生会」は、来年の創立90年を前に​​​能楽の愛好者を広げようと意気込んでいます。

富山県宝生会副理事長、水口純治さんによりますと「能楽(能・狂言)」は、古くは猿楽(さるがく)といわれ、飛鳥時代に中国から伝わった散楽(さんがく)が起源とされています。

平安・鎌倉時代に猿楽といわれるようになり、曲芸、物まね、寸劇、滑稽芸などの様々な芸が劇形式に変化。現在の能は、室町時代に観阿弥・世阿弥親子により大成され、観世元雅、金春禅竹、観世三郎信光のほか多くの人々によって作られていきました。

富山能楽堂(富山市)
TUT

武士の“たしなみ”から庶民の“芸能”へ…

やがて「能」は武士のたしなみとして受け継がれていきますが、前田利家が開いた“加賀藩” (金沢)では五代藩主の前田綱紀のとき、徳川幕府五代将軍の徳川綱吉が宝生流を取り立てていたので前田綱紀も宝生流を学び、元禄元年(1688年)に町民にも能を奨励し、町民が城中での演能に出演することが許されていました。

また税の減免や苗字を名乗るなどの優遇措置もあったとみられ、金沢は能の盛んな地域となりました。

よく「金沢の空から謡(うたい)が降ってくる」と耳にするそうですが、庭師や大工が作業をしながら謡を口ずさむので、能楽が暮らしに根付いていたなごりといえます。

加賀藩の支藩であった越中(富山)でも、結納・結婚式で当時の魚屋さんが裏方で謡う「鶴亀」や「高砂」の一節を耳にされた人もいるかもしれません。

富山では、大正時代に富山寶生会として発足、1935年(昭和10年)に創立した富山県宝生会は、終戦直後の混乱期に中断していた時期がありますが、現在も春と秋の能楽大会を柱に謡曲講座や夏の研修会を開催しています。

富山薪能は1981年(昭和56年)に第1回を富山県護国神社で開催して以降、富山大空襲の犠牲者を慰霊し「富山まつり」の前夜祭として現在は毎年7月31日に富山能楽堂で開催しています。

富山県宝生会は2025年(令和7年)に創立90年を迎えますが、年齢構成が高齢化しています。

このため次の世代に引き継いでいくことが、ユネスコの世界無形文化遺産である伝統文化 “能楽” の課題となっています。

すり足や笛、太鼓で本格的な“能”を体験…

「富山能楽堂大探検」は、能楽師の手ほどきを受けながら、能舞台に上がって能面をつけ 、“すり足” で歩いたり “笛” や “太鼓” を実際に演奏したりと本番さながらの能を体験することができるイベントです。

去年(2023年5月)の富山能楽堂大探検
TUT
TUT
TUT

主催する「富山県宝生会」は、来年の創立90年を前に​​​能楽の愛好者を広げようと意気込んでいます。

「富山能楽堂大探検」は、5月6日(月・振替休日)午後2時から富山能楽堂で開かれます。初心者、子どもも参加可能、入場無料です。(参加ご希望の方は、足袋をご用意ください。足袋のレンタルもありますが、数に限りがあります)