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飲むお酢、ピクルス…〜健康志向で酢が大人気


横浜で人気のビュッフェレストラン「ザ ブッフェ ニューマーケット」京急上大岡店。この店で最近人気だというのが「飲む酢」だ。2022年からドリンクバーで提供。特に美容や健康を気にする女性客に人気が高いという。

今、酢が絶好調だ。東京・新宿の「伊勢丹」新宿店の売り場に行ってみると、酢や関連の商品がずらり。3年熟成させた「赤酢」や東京下町のメーカーが作った「黒酢」、「米酢」や「りんご酢」もある。

【動画】今お酢が密かなブームに!一流料理人が絶賛する幻の米酢

「コロナウイルスの影響で、体にいいものや健康志向のお客様が増えている。今まで売れてこなかったお品物も少しずつ売れ行きが好調になっています」(「伊勢丹」新宿店・市川太一さん)

そんな中で、ピクルス専用の酢も流行中。飯尾醸造の「富士ピクル酢」は100%の米酢にうまみ成分が多いドライトマトのだしを合わせたもの。さまざまな野菜に混ぜて1日冷蔵庫に置けばOKだという。

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飯尾醸造の酢にほれ込んでいるのはプロの料理人たちだ。

東京・二子玉川の「すし㐂邑(きむら)」は10年連続ミシュラン二つ星の名店。魚を低温で寝かせてうまみを引き出す、いわゆる熟成魚を使った寿司を世に広めた店だ。ご主人は訪れた客に、最初に酢飯だけを海苔で巻いたものを出す。

「うちの独特な寿司として大事なシャリを感じていただく」(店主・木村康司さん)

この酢飯を作るのに使っているのが飯尾醸造の3種類の酢をブレンドしたもの。

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「(普通の酢とは)違いすぎる。寿司は土台のシャリがおいしくないと基本的においしくないんです。僕はもうあまりお酢と思っていない。うまみの塊だと思っています」(木村さん)

飯尾醸造があるのは日本三景「天橋立」で知られる京都・宮津市。創業131年の老舗だ。従業員数36人という小さな会社だが、こだわりの酢作りで業績は好調だ。

蔵に一台のバスがやってきた。降りてきたのは、ニューヨークにある世界最大級の料理学校「CIA」の生徒たち。蔵の見学に来た。

さっそく料理でおもてなし。イタリアンの具材に自社の酢を使った酢飯。自慢の酢を手巻き寿司で味わってもらおうというのだ。

飯尾醸造5代目当主・飯尾彰浩(48)は「『手巻き寿司は楽しい』と思ってもらえたらいいと、この活動を10年やっている」と言う。

一流の料理人を目指す彼らはもちろん寿司の味は知っている。だが、飯尾の酢飯を口にすると「おいしい」「お酢の香りが豊かでうまみもあって、アメリカにはない味」という感想が。さらに彼らを驚かせたのが、商品になるまで2年かかるという熟成期間の長さだ。

戦わずして勝つ!〜大手ができない弱者の戦略


一般的な酢の多くは米や小麦などの穀物酒と醸造用のアルコールを混ぜて、そこに酢酸菌を加え、機械を使い短期間に発酵させて造る。一方、飯尾醸造は効率の悪い昔ながらの製造法を守っている。だから売り上げは約4億円と、大手とは比べ物にならないほど小さい。しかし、これこそが飯尾の戦略なのだ。

「競わない競争戦略と言っているんです。弱者なので競争になったら負ける。だから競争のない世界を作り出す」(飯尾)

〇弱者の戦略1〜「徹底的に『本物』にこだわる」

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飯尾醸造の酢造りは原料の米作りからはじまる。地元の棚田を耕しているのは農家ではなく、飯尾醸造の社員。農薬や化学肥料を使わない米を安定して調達するため、自社で米作りから行っている。

その米を使い、まずは日本酒を造る。だから飯尾醸造は酒造免許を持っている。今、酒造りから行う酢のメーカーは数えるほどだという。麹に蒸した米や水などを加えてじっくり発酵させること約30日。ようやく酢造り用の日本酒が出来上がる。少し濁っているのは、「きれいなお酒ではなくて、雑味を多く含んでいる。それがお酢になったときにうまみに変わる」(杜氏・藤本真充)からだという。

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出来上がった日本酒に発酵の素となる酢酸菌をそっと浮かべる。混ぜずにじっくり発酵させることでうまみが出てくるという。発酵しやすい適温にキープするため、温度を定期的に計って様子を見る。気温の変化に合わせて樽とふたの隙間を調整していく。商品になるのは1年以上先だ。

こうしてようやく出来たのが看板商品の「純米富士酢」(360ml、648円)。値段は普通の酢の5倍もする。

「効率が悪いものづくりをしているのが強みです。他所がやらなくなって、最終的にはうちだけの世界が作れる」(飯尾)

〇弱者の戦略2〜「大手が作らない商品」

飯尾がしゃぶしゃぶ専用に作った酢が「しゃぶしゃぶに夢中」だ。

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「弱者の戦略のひとつ。いくらおいしいごまだれやポン酢を作っても、すでに他のメーカーが作っている。そうではない3つ目のたれを作ったんです」(飯尾)

飯尾の戦略は、大手はまず作らないような、あえて使い道を絞ったニッチな商品を作ること。他にも料理や用途を絞ったニッチな酢を次々と開発してきた。

その一つが手巻き寿司の酢飯専用の「富士手巻きすし酢」(360ml、1648円)。ピクルス専用の「ピクル酢」(360ml、756円)も他社にさきがけて開発した。

〇弱者の戦略3〜「応援団をつくる」

神奈川・三浦市に住む石橋さんが飯尾醸造のファンになったきっかけは蔵見学。見学ツアーに参加してこだわりの造り方に感動し、以来、家族そろって熱烈なファンになった。

蔵見学以外にも、毎年希望する客と一緒に田植えや稲刈りを行い、交流を深めている。こうした取り組みで熱烈な応援団を獲得。購入客のリピート率は7割にのぼる。

「大きな会社だとマーケットリサーチなどをするが、うちは小さいからこそ1人のお客さんに猛烈に愛されると、結果的に口コミで広まったりします」(飯尾)

米酢の弱点克服へ〜創業131年の革命


飯尾醸造の創業は1893年。以来130年以上、伝統を守りながら新たな酢の道を切り拓いてきた。その礎を作ったのが飯尾の祖父、3代目の輝之助だ。

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農薬を使うのが当たり前だった1960年代。輝之助は、農薬を使わない米でお酢造りを始め、当時言葉さえなかったオーガニック商品を世に送り出した。

4代目を継いだ父・毅はさまざまな商品開発で攻めた。寿司や酢の物などの料理用や飲むためのお酢など、用途に合わせた商品を次々と開発していった。

5代目の飯尾は1975年生まれ。幼いころから家業を継ぐことを意識していたという。

「父が30年前にポン酢を作った時、1カ月ぐらい毎晩水炊きや豚しゃぶを食べてこの味に決まった。中学生でしたが、仕事をしているようで楽しかったです」(飯尾)

だが当時、毅には悩みがあった。主力の米酢の売れ行きが伸びないことだ。味はいいが米酢独特のつんとしたにおいが苦手という声が、一部の客から上がっていたのだ。

「父親の大きな悩みだった。それを中学生の頃から聞かされていて、『大学に行ってお酢の香りを研究してほしい』と」(飯尾)

1994年、飯尾はそんな父の思いに応えて東京農業大学に入学。大学院まで進み、酢のにおいの研究に没頭した。

米酢のにおいの原因となっていたのは、発酵する時に生じるダイアセチルという物質。消すためには米の量を減らすか、発酵期間を短くするしかないが、それでは酢そのものの味が落ちてしまう。結局、在学中ににおいを消す方法を見つけることはできなかった。

「実業としては全く役に立たない研究結果に終わりました」(飯尾)

大学院を修了すると、営業を学ぶために「東京コカ・コーラボトリング」に入社。2004年、祖父の他界をきっかけに家業の飯尾醸造に入った。

「帰ってきた後、年々売り上げが下がっていました。今の看板商品よりも品質の高いものを作ることが必須だなと思いました」(飯尾)

こうして飯尾は新たな看板商品をつくるため、再びダイアセチルのにおいと向き合うことになった。だが、飯尾醸造には大学のような高度な研究設備はなく、専門的な研究はできない。そこで飯尾は発想を変えた。

「お酢の香り全体を俯瞰してみた時に、一つの香りを減らすのではなくて、全体の調和がとれているものづくりができればいい。そう発想を転換しました」(飯尾)

においを消すのではなく、米の量を増やしてできる別の香りで、ダイアセチルのにおいを覆い隠すことにしたのだ。こうして発酵の温度や時間など、試行錯誤を繰り返し完成したのが「富士酢プレミアム」(1800ml、4320円)。旨味を引き出しつつ、つんとしたにおいをやさしい香りで包み込むことに成功した。

「本当にうれしかったです。今までの香りとは全然違う。うまみも増えて、世の中になかったお酢ができた」(毅)

この新しい酢を多くの人に知ってもらいたいと、飯尾が訪ねたのは東京・銀座の「てんぷら近藤」。国内外の著名人から支持され、16年連続ミシュラン二つ星の名店だ。

飯尾はできたばかりの新しい米酢を試してほしいと、店主の近藤文夫さんに直談判した。

「だいたい僕はお酢が苦手なんです。でもこのお酢はなかなか合うとわかった。思ったよりもいい酢だなと。普通売っているお酢は、酸っぱいだけで味がない。味のあるお酢は少ない」(近藤さん)

近藤さんはその場で仕入れを決定。これを機に他の料理人たちにも広がっていった。

「『いいんですか』とびっくりした気持ちでした。雲の上のような存在の料理人の方に使っていただけるというのは、むちゃくちゃうれしかった」(飯尾)

丹後地方を美食の町へ〜名店が続々と誕生!


京都・宮津市で飯尾が経営するイタリアンレストラン「aceto」。築125年の古民家を改築して、7年前にオープンした。

「丹後という町をスペインのサンセバスチャンみたいに、おいしいものがいっぱいあるような町にしたい」(飯尾)

サンセバスチャンは“世界一の美食の街”と言われるスペインのビーチリゾート。飯尾は、サンセバスチャンと地理的条件が似ている丹後地方を美食の町にしたいと考えているのだ。

その実現に向けた活動も行っている。京都・京丹後市の「魚菜料理 縄屋」に集まっていたのは地元の料理人たち。

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観光客を魅了する新たな名物料理を生み出そうと、それぞれがアイデアを持ち寄って試してみる。地元で採れた貝や海藻の炊き込みご飯に、手長エビが丸ごと入ったラーメン、フグを鶏肉で巻いて直火で焼いた料理も……。

こうした活動から、すでに予約困難な店も生まれていた。

ポルトガル人のリカルド・コモリさんと妻の小森美穂さんが営む寿司と和食の店「鮨割烹 西入る」。リカルドさんは、京都や東京の一流店で懐石料理や江戸前寿司を修業。その味が評判となって人気店になっている。

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「自然と食材が近くにある。おいしいですね、魚とお野菜」(リカルドさん)

この店は飯尾に移住を勧められた二人が2年前にオープン。飯尾は家賃などのサポートもしている。

「非常に感銘をうけました。あまり(夫と)意見が合うことはないが、その時はすぐに2人で『ここだ』と思った」(美穂さん)

飯尾は丹後地方を美食の町にするため不動産業まで始めている。

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今、仕掛けている古民家は、裏は敷地が海までつながっており、まるでプライベートビーチのよう。8月にはフランス人シェフが移住して、古民家レストランを開く予定だ。

※価格は放送時の金額です。

〜村上龍の編集後記〜
高度経済成長期の昭和30年代、毒性の強い農薬がどんどん撒かれるようになり、フナやドジョウなどの生きものがいつの間にか姿を消していく。「こんな米から酢を造っとたらあかん」。3代目当主は、無農薬の米から酢を造ろうと決めた。「農薬を使わんとお米を作ってくれまへんか」。無農薬米を作ってもらえるまでに2年が必要だった。おいしい酢はおいしい米からできる。丹後の棚田で穫れる最高の米。農薬不使用栽培の米と、湧き出た伏流水だけが原料。4億円の売上高だが、増やしようがない。贅沢極まる4億円だと思う。

<出演者略歴>
飯尾彰浩(いいお・あきひろ)1975年、京都府生まれ。東京農業大学大学院修士課程修了後、東京コカ・コーラボトリング勤務を経て、2004年、飯尾醸造入社。2012年、5代目当主就任。

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