1.三冠に最も近づいた「準三冠馬」

中央競馬史上、皐月賞、東京優駿、菊花賞に優勝した三冠馬は8頭。1941年のセントライトから、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴル、コントレイルまでの8頭を数える。また、2020年のコントレイルは史上初となる親子無敗の三冠達成の記録を作った。

 しかし、三冠達成の偉業に至らずあと一歩のところで涙を飲んだ馬も多くいた。1990年以降、トウカイテイオーからドゥラメンテまで9頭の二冠馬。春、二冠達成も故障で秋の菊花賞を断念した二冠馬が3頭、残りの6頭は三冠レース皆勤も栄光を逃している。

「準三冠馬」という呼称は正式でないかもしれない。しかし、三冠レースのひとつが2着で終わった二冠馬こそ準三冠馬であり、90年以降に2頭存在する。

 1頭目が1991年のミホノブルボン。

 父マグニテュードから常に距離の不安が囁かれながらも、皐月賞を2馬身半、東京優駿を4馬身の差で逃げ切った。迎えた秋はトライアルの京都新聞杯を危なげなく逃げ切り、菊花賞を迎える。三冠のかかった菊花賞はキョウエイボーガンがミホノブルボンの頭を押さえ、二番手からの追走となった。ミホノブルボンは2週目の4コーナーで先頭に立ったものの、5番手の外で仕掛けるタイミングを待っていたライスシャワーにつかまり、1馬身1/4の差で2着に敗れた。すんなりと先頭に立って逃げていれば・・・と何度見返しても悔やまれるレースだったが、東京優駿、京都新聞杯を共に2着だったライスシャワー。ミホノブルボンのみをターゲットに、狙いすました三冠阻止は「お見事!」としか言いようが無かった。

ミホノブルボンは菊花賞後に脚部不安が発生し、再びターフに戻ることなく引退した。生涯成績8戦7勝2着1回、「パーフェクト連対の準三冠馬」である。

 

 もう1頭が2000年のエアシャカール。

 武豊騎手を背に、皐月賞、菊花賞の二冠を制したエアシャカール。三冠を逃すこととなった東京優駿は、アグネスゴールドにハナ差敗れての2着。僅か7cmの差で三冠に届かなかった、「三冠に一番近い準三冠馬」である。

 エアシャカールは、古馬になって9戦出走したものの、勝つことができず6歳(現5歳)暮れの有馬記念(9着)を最後に引退した。気性の激しい性格もあって、古馬になってからの戦績に目立ったものが無く、準三冠馬としての印象は薄く感じられる。それでも、4歳時のエアシャカールには破壊的な強さがあった。東京優駿2着のあとイギリスのG1、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSへチャレンジ(5着)したように、2000年度JRA賞(最優秀4歳牡馬)に相応しい活躍だった。

20世紀最後のクラッシック戦線。エアシャカールが躍動した春の4歳馬たちの蹄跡は、波乱に満ち、どんでん返しがいくつもあった。私にとって、心に残る年でもある。

こんな年も楽しいものだと、真っ先に思い浮かぶ年。2000年春のクラッシック戦線を振り返ってみたい。

2.20世紀最後のクラッシック戦線

 2000年のクラッシック戦線は混とんとしていた。前年8月の函館3歳Sをスタートとする皐月賞までの重賞戦線で2勝以上したのは、フジキセキの仔ダイタクリーヴァ(シンザン記念、スプリングS)、エイシンプレンストン(朝日杯3歳S、アーリントンカップ、NZT4歳S)、シルヴァコクピット(きさらぎ賞、毎日杯)の3頭。その中でもエイシンプレンストンはマイル路線を選択、シルヴァコクピットは外国産馬で出走権が無く、皐月賞は父内国産馬のダイタクリーヴァがセンターポジションに就く様相を呈していた。

 主役がはっきりしない年は脇役が充実する。ダイタクリーヴァと同じく父内国産馬のラガーレグルス(父サクラチトセオー)は暮れのラジオたんぱ杯3歳Sを勝利し、弥生賞3着で皐月賞に向かった。未勝利からすみれSまで3連勝のアタラクシア、札幌3歳S2着、東スポ杯3歳S優勝のジョウテンブレーヴなど個性派が揃う。トウカイテイオー産駒のチタニックオーもシンザン記念2着で収得賞金を積み上げ皐月賞に駒を進める。輸入種牡馬産駒全盛の中での父内国産馬たちの活躍は、うれしい話題にもなった。

 エアシャカールも武豊騎乗というだけでなく、皐月賞までの戦績から主力の1頭に挙げられていた。

 エアシャカールは、スペシャルウイークが優勝した天皇賞(秋)の日にデビュー。天皇賞と同じ2000mの新馬戦で2番人気に支持され、最後方追走から追い上げるも5着に敗れる。2戦目の未勝利戦は京都のマイルチャンピオンシップ当日。マイルの未勝利戦に登場したエアシャカールは、二番手から押し切って優勝。しかし、父サンデーサイレンス譲りの気性の悪さが随所に顔を出し、一抹の不安を感じさせる勝利だった。

 未勝利戦を勝ち上がったエアシャカールは、平場の条件戦2着を挟んで暮れのホープフルステークスに出走。当時は3歳オープン特別で施行されていたこのレースを、クビ差で勝利し2勝目を挙げて3歳シーズンを終了する。

 エアシャカールが注目され始めたのは4歳初戦の弥生賞。4番人気で登場したエアシャカールは、圧倒的1番人気のフサイチゼノンに最後方から追い上げ、ゴール前でラガーレグルスと共に1馬身1/4まで迫っての2着となった。結果的にはフサイチゼノンの強さが際立ったレースだった。しかし3着のラガーレグルスと4着のジョウテンブレーヴとの差は6馬身あり力差は歴然。弥生賞の上位3頭は皐月賞の主力馬として急浮上した。

3.波乱ムード漂う皐月賞

 弥生賞の勝ち方から、皐月賞の不動の本命馬として注目されたフサイチゼノン。ところが弥生賞後、「フサイチゼノン皐月賞回避事件」が勃発する。フサイチゼノンを管理していたのは田原厩舎(当時)。弥生賞後に脚元に不安が発生して、フサイチゼノンの皐月賞回避を田原元調教師が記者会見で発表した。詳細は不明も、その前後から関口オーナーとトラブルになり、フサイチゼノンは転厩〜長期休養という結末になる。(復帰したのは弥生賞から11か月後の白富士S)

 スプリングステークスで危なげない勝利を飾り4勝目を挙げたダイタクリーヴァを加えて、皐月賞は面白いメンバーになると思われていた。それが一転、混戦の皐月賞に替わって行く。

 2000年4月16日、皐月賞当日。

 前日の最終レースまで降り続いた雨は上がったものの、芝コースは重の状態。7レースの山藤賞から稍重に回復したものの、春開催最終日の中山芝コースはボコボコしている。

 フサイチゼノン不在のメンバーで、1番人気は重賞2連勝で駒を進めてきたダイタクリーヴァ。手綱を取るデビュー4年目の高橋亮騎手は、圧し掛かる1番人気の重圧に耐えうるかどうか。僅差でエアシャカール、ラガーレグルスの弥生賞組が続く。

 5万人を超える観客が見守る中、皐月賞のスタートが切られた。

各馬一斉のスタートと見られたその時、場内が騒然となった。最内のゲートに茶色の塊。ゲートが開く寸前に立ち上がった際引っ掛かったようになった馬がいる。もがくように尻餅をつく姿が、ターフビジョンに一瞬大写しされ、あちらこちらでどよめきが起こっている。

「ラガーレグルスだ!」

 係員が集まって、ラガーレグルスを救助しているシーンが気になり、誰もが4コーナーの方に目が向いている。3番人気馬がゲートから出られず競走中止。弥生賞の主力3頭から2頭目も、ゴールインすることなく皐月賞を終えてしまった。

 波乱をにおわす皐月賞。どよめきと共に先頭に立ったのはパープルエビス。マイネルコンドルやアタラクシアを従えて、1周目のゴール板を通過する。隊列が落ち着く向正面に入っても、先頭集団の配置は変わらず、パープルエビスが引っ張っている。人気を背負った高橋亮騎乗のダイタクリーヴァは4番手の内を進む。馬場の良い外に持ち出そうとするも、アタラクシアの四位騎手が蓋をするように外側から並走して、出すに出せない。対照的にエアシャカールは後方から3番手。馬場の良い外側を武豊騎手は選んで追走している。離された最後方にトウカイテイオー産駒のチタニックオー。前にいるエアシャカールを見るように角田騎手が進む。

 淡々とした隊列が崩れたのは、3コーナーを回り残り600mを切った地点。

 エアシャカールが満を持して外から追撃を開始する。一緒に上がって行くのはヤマニンリスペクト。あっと言う間に中段のジョウテンブレーヴの外に付け5番手まで上がって行く。ダイタクリーヴァは内のまま、先頭のパープルエビスを捕らえる勢い。

 直線の坂の下で仕掛けたのはダイタクリーヴァ。少し早いかなと思う間もなく、先頭に躍り出る。ダイタクリーヴァの勝ちパターンだ。

 対するエアシャカールはロングスパートの勢いが衰えない。武豊騎手は、下がって行く先行勢を外から飲み込み、追従して来る各馬を振り切りにかかる。坂の途中で、内に切れ込みながらダイタクリーヴァを射程圏に入れた。

 残そうとする高橋亮騎手、馬体を合わせていく武豊騎手。二人の、二頭のたたき合いはゴール前まで続いた。しかし、一完歩ずつエアシャカールがダイタクリーヴァに迫り、ゴール手前では完全に逆転していた。

 2分1秒8。エアシャカールはクビ差でダイタクリーヴァを退け、一冠目のタイトルを手にする。3着には、最後方にいたトウカイテイオー産駒のチタニックオーが届いていた。

サンデーサイレンスの孫、フジキセキ産駒のダイタクリーヴァは、サンデーサイレンス産駒のエアシャカールに皐月賞タイトルを寸前のところで持っていかれ、悔しい2着となった。

4.打倒!エアシャカールの東京優駿

 皐月賞を終えて、二冠目の東京優駿はエアシャカールで仕方ないだろうというムードが流れる。2着のダイタクリーヴァは距離が2400mに伸びてどうか。距離が伸びて期待されていた3着のチタニックオーは脚部不安で戦線離脱。ゲートでアクシデントのあったラガーレグルスも、東京優駿に間に合いそうもない。

 不気味な存在は東西のダービートライアル組。

 府中の青葉賞は、藤田伸二騎乗のカーネギーダイアンが人気通りの勝利。フサイチゼノンでのクラッシック騎乗が潰えた藤田伸二騎手が、再びカーネギーダイアンで東京優駿に登場する。

                  

 西のダービートライアル京都新聞杯は、河内洋騎乗のアグネスフライトが、最後方追走から豪快な差し切りで、3馬身差の勝利。2月デビューのアグネスフライトは若葉S(12着)、若草S(1着)を経て東京優駿に照準を絞ったローテーションで出走権を勝ち取った。

 河内洋騎手は1974年デビューで27年目のベテラン。メジロラモーヌの牝馬三冠を筆頭に数々のG1レースを制覇してきたが、東京優駿制覇だけが未達成だった。

エアシャカールの武豊騎手は、スペシャルウイーク(1998年)アドマイヤベガ(1999年)に続く東京優駿3連覇がかかり、エアシャカールの二冠達成と併せて、是非とも勝ちたい2000年の東京優駿だったはずだ。

 武豊騎手は完璧な騎乗だったと思う。

スタートから、エアシャカールポジションとも言うべき、後方からの追走に徹した。向正面では後方4番手。前が速くなっても、大欅を過ぎるまではじっと我慢。4コーナーに向けて大外からのスパートで、先頭集団に追いついていく。4コーナーを回り残り400mの直線では、大外から先頭集団を捕らえていた。

 河内騎手は東京優駿を勝つためのレースに徹していたと思う。

アグネスフライトは終始エアシャカールの直後で、武豊の一挙手一投足を見ている。まるで他の馬は眼中になく、エアシャカール&武豊のみに照準を当てているような河内騎手の騎乗だった。最後方からの不気味な追走。大欅を過ぎてエアシャカールが上がって行った時、アグネスフライトも同じペースで上がって行く。3コーナーから4コーナーにかけて、他の馬たちが止まり、この2頭だけが等間隔を保ちながら、外から順位を上げて行くようなシーンを見た。

 直線半ばで、エアシャカールが先頭に躍り出ても、アグネスフライトはエアシャカールの直後に構えていた。武豊騎手が最後の仕上げに入ったその時、河内騎手の手綱が動いて、外から馬体を併せる。

 1馬身、半馬身、1/4馬身・・・・、2頭の馬体が重なって行く。武豊騎手の手が激しく動く中、河内騎手の低い姿勢が前に出て、ゴール板を通過したように見えた。

「河内の夢はどうだ〜!?」

アナウンサーの絶叫と歓声。

 カメラのファインダーから見た二人の表情。武豊騎手が河内騎手の方を見ている。外の河内騎手の口元から白い歯がこぼれ出たように、私には見えた。

──エアシャカールとアグネスフライトの着差はハナ差。わずか7cmの鼻面のズレが明暗を分けた。

悲願の東京優駿制覇騎手と、東京優駿三連覇が潰えた騎手。

確かに、この時点での「7cmの重さ」は、二人の騎手の重さだった。

しかし、秋にエアシャカールが菊花賞を制覇した時、更に大きな「7cmの重さ」となった。

史上最も三冠馬に近い準三冠馬・エアシャカール。歴史に名を残した、偉大なる名馬である。

 彼が蹄跡を残した、2000年春のクラッシック戦線。豪快で、息が詰まって、最後に勝つことへの執念を実感させてくれた貴重な時間だった。

さぁ、次に訪れるクラッシック戦線には、どんな「喜怒哀楽」が詰め込まれるだろうか?

  Photo by I.Natsume

著者:夏目 伊知郎