年間に約60レース。地方競馬の意地、中央競馬の誇りが激突するのがダートグレード競走だ。

1995年のいわゆる「交流元年」。制度改革によって中央・地方間の連携が強化されると、97年にはダートグレード競走がスタートを切った。G1〜G3まで、中央・地方で共通した格付けが与えられ、所属の枠を超えた戦いが全国で繰り広げられるようになっていく。それまで陰に隠れがちだったダート路線の馬に光が当たるようになり、昨今の繁栄へと続いている。

中央馬からつぎつぎとスターホースが生まれたが、地方馬も負けていなかった。メイセイオペラ、アブクマポーロ、フリオーソ……多くの地方馬が、互角以上の戦いを披露。しかし、どうしても中央馬が主役となることが増えていった。いまでは年間約60レースほどあるダートグレード競走のうち、9割方は中央馬が勝利している。環境や血統、賞金など、その理由は一つに絞ることは出来ない。ただ、中央馬が強いことは紛れもない事実だ。

さまざまな事情があることは理解している。それでも「挑戦しなければ始まらない」。地方馬には交流重賞で強い相手に挑んでほしい。それが地方競馬ファンの願いである。


2020年のかしわ記念。中央馬6頭に対して、地方馬はたった1頭になった。高知優駿馬ナンヨーオボロヅキの果敢なチャレンジ。先に似たようなことを書いたように、ダートグレード競走は中央馬と地方馬がともに戦い、盛り上げていく舞台だと考えている。「地方馬が居なければ、交流重賞ではなくなるので」。ナンヨーオボロヅキの陣営はそのような言葉を残した記憶がある。強敵相手だとわかっていてもぶつかる心意気、その挑戦、その言葉になんだか嬉しくなった。

ナンヨーオボロヅキは中央を2戦で抹消後、高知に活躍の場を求めた。土佐春花賞で初タイトルを獲得すると、高知優駿を勝ち、ジャパンダートダービーにも堂々と“ダービー馬”として参戦。その後も秋まで当地で走り続け、暮れの東京シンデレラマイルから大井・高野毅厩舎に移籍して7着だった。かしわ記念が転入2戦目。ダートグレード競走での実績がなかった本馬には厳しい戦いになるのは確実であった。それでも気概のある挑戦は、馬券的にはともかく、応援する気持ちを駆り立てた。

相手は強力。いや、超強力。近年のかしわ記念の中でも、指折りの好メンバーが揃っていた。モズアスコット、ケイティブレイブ、サンライズノヴァ、ルヴァンスレーヴのGI/JpnI馬4頭に加えて、重賞実績が豊富なアルクトスとワイドファラオ。ここまで濃いメンバーが、よくも6頭の出走枠に顔を揃えたものである。

レースはワイドファラオの逃げで始まり、JRA勢6頭で前を固める展開。ナンヨーオボロヅキは付いていくのが精一杯で、勝ち馬から5.4秒差の7着に終わった。ただ、中央馬に食らいついて必死に走る姿は、画面越しに目に焼き付いている。

同馬を管理する高野毅調教師といえば、筆者にとって忘れられない出来事がある。それは2019年のTCK女王盃。前走のC1条件で4着に敗れていたマルカンセンサーで果敢に挑戦して、直線は内ラチ強襲の2着に激走したのだ。秋華賞4着や、JBCレディスクラシック2着の実績があったラビットランを抑えての連対。「C1で敗れた馬がなんで!?」という思いもありつつ、「やっぱり走ってみないとわからないな」「挑戦してみるものだな」という思いも湧いた。C1で敗れた馬が重賞挑戦……中央競馬で例えれば、1勝クラスで敗れた馬を古馬重賞に使うようなものだと思う。単勝253.4倍という低評価は致し方ない。それでも2着に入った。陣営に確かな手応えがあったのかは私に分からないが、当時の激走も果敢な挑戦から生まれたものであることには違いない。

ゆえにナンヨーオボロヅキの挑戦も心の奥で少し期待していた。結果は残念だったが、大舞台に挑戦してくれたこと、そして交流重賞の立ち位置をしっかり守ってくれたことは嬉しくなった。

これからも、一頭でも多くの地方馬が果敢なチャレンジをして、中央馬とともにレースを盛り上げてくれることを願うばかりだ。

写真:マドレーヌ、キリン

著者:中川兼人