元祖女子アナブームを巻き起こした「レジェンド」
時代の移り変わりは早いもので、元祖女子アナブームを巻き起こしたレジェンドたちも還暦を迎えた。
2025年も60代に突入する御仁は多い。中井美穂、永井美奈子、八木亜希子、福島弓子…。干支は巳。年女でもある4人の“女子アナ絵巻”の封印を解く!
「彼女たちが活躍した頃は、まさに“女子アナバブルの時代”でした。それが来年の2025年、そろって還暦を迎えるというのですから、しみじみ時の流れを感じます」(女子アナライター)
日大芸術学部放送学科を卒業した中井美穂(1965年3月11日生まれ)が、フジテレビに入社したのは1987年のことだった。
「もちろん、これは当時アイドルだった中山美穂(12月6日死去)にあやかってつけられたものですが、『プロ野球ニュース』放送当日の一部スポーツ紙のラ・テ欄に『中山美穂』と印刷されたハプニングもありました」(芸能記者)
1995年、ヤクルトスワローズの古田敦也と“職場結婚”。30歳だった。
「球場や番組で顔を合わせているうちにその気になった。結婚してからも、彼女は当時のまま『古田くん』と呼んでいます」(スポーツ紙記者)
その後、フリーとなり織田裕二とコンビを組んだ『世界陸上競技選手権』(TBS系)でのMCぶりは名物となった。
「織田の無邪気な一面を上手に引き出し、自分は記録や結果などを冷静に伝え、好評を博しました」(スポーツライター)
現在、映画・演劇のコラム、シアタートークの司会、クラシックコンサートのナビゲーターなどを務める。
「婦人科系の大病もあって、子供はいません。宝塚をライフワークと自認し、日々忙しく駆け回っています」(芸能ライター・小松立志氏)
永井美奈子(1965年6月14日生まれ)は成城大文芸学部を卒業後の1988年、日本テレビに入社。
「大学時代は『ミス成城』に輝く評判の美貌。バブル真っ盛りの頃で、バイトはモーターショーのコンパニオン。遊び場は『マハラジャ』でした」(前出・女子アナライター)
「“サラリーマンの朝ドル”として人気を博しました。弾けるように笑う姿に、サラリーマンは釘付けになったのです」(女子アナウオッチャー)
その頃の永井は、「学生時代は、テニスもスキーもかなりハードにやっていたので、体力には自信があるんです。ただ、低血圧なので、朝起きるのが大変なんです。目覚まし時計2つとテレビタイマーをかけています」と話している。
現在、成城大の非常勤講師や日テレ学院の講師、エッセーなどを書きながら、タレント業にも進出したい意向だという。
「子供たちは2人とも大きくなりましたから、タレント活動には何の支障もありません。『(田中)みな実より私の方がウマい』と、女優業にも色気を見せているようです」(プロダクション関係者)
八木亜希子(1965年6月24日生まれ)は早大文学部哲学科(心理学)を卒業して1988年、フジテレビに入社した。
「実は、八木も日本テレビを受けていましたが不合格。フジテレビの面接の折、日テレ不合格が悔しくて『泣きながら面接した』という逸話が残っています」(前出・女子アナライター)
この年のフジテレビには“花の3人娘”として脚光を浴びた河野景子、有賀さつきも入社している。
そして福島は1999年3月にTBSを退社し、同年12月にイチローと挙式。
「以後、彼女が前面に出ることはありません。内助の功に徹しています」(同)
それにしても、歳月人を待たず、とはよく言ったものだ。と週刊実話WEBは報じた。
編集者:いまトピ編集部