野村克也元監督との「確執説」真相

元阪神タイガースの今岡真訪氏が、5月26日に公開された阪神OB・下柳剛氏のYouTubeチャンネルにゲスト出演。長年取り沙汰されてきた野村克也元監督との確執について、自らの言葉で真相を語った。
今岡氏は1997年、ドラフト1位で阪神に入団。1年目から1軍で100試合近くに出場し、翌年には打率2割9分3厘を記録して遊撃手のレギュラーに定着した。しかし、1999年に野村監督が就任すると状況は一変する。
野村監督は、今岡氏のプレーに対して「捕れないと判断した打球を追わない」といった姿勢に不満を抱き、マスコミを通じて苦言を呈する“ボヤキ”を繰り返した。これに反発した今岡氏は成績を落とし、2000年には2軍降格も経験している。
この時期を振り返り、下柳氏が「野村さんの3年間、あまり調子が出なかったというか、合わなかったんやろ?」とストレートに問いかけると、今岡氏はこう答えた。
「僕が野村監督を語るときに、あまり皆さんが思っているイメージではないと思う。そもそも実力もなければ、レギュラーでもない。そういう人間がちょっと若気の至りで、“こうしろ”と言われたときに“僕はこうしたいんです”って、そういう意見を言い過ぎたということですね。簡単にいえば」
さらに、「結果が出なければ、どの時代でもいろいろ言われる。ただ、野村監督の場合はそれをマスコミに語る手法だったので、話が広がって面白おかしくなってしまった」と、報道による“印象操作”の側面も指摘した。
下柳氏が「俺らのイメージはただ単に野村さんに嫌われとったんやろなと思ってた」と率直に述べたのに対し、今岡氏は「(当時)何も残してないんで、嫌われるどころか当たり前ですよ。こういうこと言うと面白くないから、みんなカットされるんですよ。その当時も」とメディアの取り上げ方にも言及。
今岡氏は一貫して丁寧な言葉選びで“確執”を否定したが、関係が良好であったとは言い難い雰囲気も滲ませた。また、若手時代の未熟さや、結果を出せなかった悔しさを正直に語る姿が印象的だったとアサ芸ビズは報じている。
編集者:いまトピ編集部