20日にリニューアルオープンする水木しげる記念館(鳥取県境港市)の開館記念式典と内覧会が17日あり、招かれた関係者は新しくなった展示品の数々に興味深そうに見入った。

 旧記念館より広くなった1階のエントランスホールからエレベーターで2階に上がると、水木が幼いころに過ごした境港市でのエピソードを伝えるマンガなどが眼前に広がる。その先には、水木の過酷な戦争体験を紹介するコーナーがあり、水木が戦地に持っていった本や戦地から家族に送った手紙などが展示されている。水木の作品や言葉とともに、戦争の生々しさが伝わってくる。

 水木の代表作や名言を展示したコーナーでは、この日、次女の武良悦子さんに車いすを押してもらいながら作品を眺めていた妻の武良布枝さんは「これ、描いているときのことを思い出す」などとつぶやきながら、懐かしげな表情を見せた。

 開館記念の式典で、境港市の伊達憲太郎市長は「新しい記念館は、水木先生の波瀾(はらん)万丈な人生を紹介し、追体験する施設になっている。水木ファン、観光客、地元の人たちに、繰り返し足を運んでもらえると期待している」とあいさつした。

 水木プロダクションの原口智裕代表取締役は「今回の展示は水木自身が自分の人生を紹介するような構成。原画を展示することもできるようになり、繰り返しご来館いただけるようにこだわった」と話した。(渡辺翔太郎)

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 リニューアルオープンする水木しげる記念館の館長に、水木ファンに慕われた「庄司おじさん」が再登板した。2021年まで館長だった庄司行男さん(68)。庄司さんは「新記念館は、水木しげるの戦争体験によりスポットをあてている。訪れた人に、過酷な戦争体験を追体験してもらいたい」と考えている。

 09年から12年間、3代目の館長を務めた。アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の第6作では、ねこ娘を慕う中学生の犬山まなの伯父さん「犬山庄司」のモデルにもなった。元高校球児という設定で豪速球を武器に妖怪と戦った。

 実際、庄司さんは元高校球児。地元の境高校の選手として1973、74年の春の選抜大会に4番の中堅手として出場。74年は主将も務めた。

 大学卒業後は境港市の職員として、市の施設だった旧記念館の事務局長、そして館長に就任。65歳で館長を退任するまで計15年も記念館にかかわってきた。

 旧記念館の館長を退いたあとも、ゲゲゲ忌や生誕祭などのイベントに、いちファンとして参加していた。ファンから「庄司おじさんだ」と声をかけられたり、「いっしょに写真を撮ってください」と頼まれたりするなど、ファンとのつながりは切れなかった。

 昨秋、水木プロの関係者から「記念館が新しくなるので、手伝ってほしい」と声をかけられた。館長を打診されたのは昨年暮れ。「3年のブランクがある僕に務まるのだろうか」と不安もあったが、できることをやろうと腹を決めた。

 新しい記念館が以前と最も違うのは、水木しげるの戦争体験にスポットをあてている点だ。

 ねずみ男のセリフで「けんかはよせ 腹がへるぞ」というのがあるが、戦争反対を大上段に振りかざすのではなく、さりげなくねずみ男に語らせている、と庄司さんは受け止めている。

 「戦争体験は作品にも色濃く表れている。平和学習や修学旅行で、子どもたちに訪れてもらいたい。妖怪ファンはもちろん、人間・水木しげるの魅力を、リニューアルオープンした記念館で多くの人に知ってもらいたい」(渡辺翔太郎)