岐阜県白川町黒川の佐久良太神社で27日、戦中の旧満州(中国東北部)への開拓団犠牲者の慰霊祭があった。同町の旧黒川村の開拓団は敗戦後の混乱で、参加者600人余のうち、200人以上が現地で死亡。警護を頼んだ旧ソ連兵に性接待するなどして生き延びたことも明らかになっている。

 約70人が参加し、現地を知る90代は数人だけ。自治体や研究者らも混じった。神職と僧が交互に祝詞(のりと)やお経を唱え、犠牲者の名前が読み上げられる中、冥福を祈った。

 遺族会会長の藤井宏之さん(72)はあいさつの中で、性接待にまで至った歴史について「必ず次の世代に伝えていく」と誓った。戦闘が続くウクライナやパレスチナにもふれ、「とても人ごととは思えない」と話した。

 開拓団団長の息子だった藤井恒さん(90)が慰霊祭後の食事会で、現地で亡くなった15歳の姉の思い出を語ると、座は静まりかえった。遺体を土に埋めようとしたが、凍土は深く掘れず、3日後にお参りにいったら野犬に食い荒らされ、骨や衣服の切れ端が散らばっていて、「この光景は母親には伝えるな、と申し合わせた」という。

 高齢化が進み、全国的に遺族会は解散し、慰霊祭の開催自体が珍しい。黒川の遺族会は今後も隔年で慰霊祭を続けるという。(伊藤智章)