◆ 白球つれづれ2024・第12回

 3月16日。埼玉所沢のベルーナドームには朝早くから熱心なフアンが詰めかけた。

 オープン戦ではない。西武球団初のOB戦「LEGEND GAME 2024」に27,795人の観客が来場、満員のスタンドが、レジェンドたちのプレーを楽しんだ。チケットは発売と同時に完売。改めて黄金期の西武人気の根強さをうかがわせた。

 集結したOBは「チーム LIONS」の東尾修、「チーム SEIBU」の田淵幸一両監督をはじめ、栄光のメンバーたち63人。

 石毛宏典、辻発彦がいる。工藤公康に渡辺久信、郭泰源、松沼兄弟らの強力投手陣が顔を揃える。秋山幸二に伊東勤、さらにオレステス・デストラーデや、エルメスト・メヒアらの“助っ人大砲”まで駆けつけた。多くの元選手が監督経験者だったり、タイトルホルダーがいるのだから、凄い顔ぶれの集まりだ。

 ゲームは6対4で「チーム SEIBU」が勝利。

 73歳の東尾はマウンドに立つも、ホームまでボールが届ない。相対した田淵に最後は死球を与え、お約束の“ミニ乱闘”最後は熱い抱擁を交わしてスタンドを沸かせる。かつての抑えエースだった森繁和も打者一人と対戦を終えると股関節を抑えて苦悶の表情。そんな中でも辻が代名詞の右打ちで安打を放てば、メヒアは左越えに一発。そして秋山が2安打2打点の活躍でMVPを獲得した。

 こちらも61歳。現役時代の代名詞である「バック宙」の再現はならなかったが、この年で「側転」をやってのけるのだから、運動能力は今でも図抜けている。

 難産の末に誕生したOB戦だった。西武には他球団にあるようなOB会が存在しない。そんな状況を見かねた石毛や東尾らが中心となって数年前から第一歩となるOB戦の可能性を探ってきた。かつての栄光戦士たちの熱意に球団側が重い腰を挙げて、ようやく開催にこぎつけた。

◆ 超満員の盛況ぶりを見せたOB戦が意味するもの

 西武の歴史がOB会の設立を難しくしてきた点もある。

 前身の西鉄時代は三原脩監督の下で日本一3連覇の黄金期を築くが、その後、八百長行為にまつわる「黒い霧事件」で凋落。その後太平洋クラブ、クラウンライターに身売りも経営状態は改善されず、西武が球団経営に乗り出したのは1979年のことだった。

 その後もしばらくは低迷期が続くが、戦力の整備には当時の球団本部長だった根本陸夫氏の手腕が光っている。森や石毛と言ったドラフト1位組に加えて秋山や松沼兄弟はドラフト外で獲得。工藤はドラフト6位、伊東は熊本工業高から埼玉・所沢商業高に転校ののちドラフト1位で入団させている。

 1年でドラフトの逸材を複数獲得する荒業は「根本マジック」と評されたが戦充実させたところで、広岡達朗、森祇晶と言ったV9巨人の頭脳が加わることで無敗の軍団が出来上がった。森監督時代の1986年からは8度のリーグ優勝に6度の日本一で我が世の春を謳歌した。


 黄金期が長く続けば、選手の年俸も跳ね上がる。と言って巨人や阪神のような連日超満員の観客動員も望めない。そこにFA制度による人材流失がチームの弱体化に拍車をかける。

 94年の工藤を皮切りに一昨年の森友哉(オリックス)に今季からソフトバンク入りした山川穂高までこの30年間で21選手が他球団に移籍したり、メジャーの門を叩いている。これは12球団最多の多さだ。

 FAに関して「去る者は追わず」の姿勢を貫いた球団の一部にはスター選手の相次ぐ流失に眉をひそめ「どこまでをOBとして認知するのか?」と言う感情論まで加わりOB会設立の機運が広がらなかったとする説もある。

 とは言え、今回のOBドリームマッチの与えた衝撃もまた大きい。

 昨年の観客動員数ではリーグ5位。チーム成績も5位に沈んでいる。たった1試合とは言え今回のOB戦は超満員の盛況ぶりを見せた。ファンは現役世代だけでなく、黄金期の西武の香りも欲している。

「大成功の素晴らしいイベント。(今後の開催も)球団が考えるんじゃないか」と現役251勝の東尾が手応えを語る。

 この4年、リーグ優勝からも遠ざかっている松井西武にとっても、満員の観客を呼ぶには、強いチームを再建して、優勝争いに加わるしかない。これ以上ない刺激をレジェンドたちからもらったはずだ。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)