趣里(33)が主演するNHK連続テレビ小説「ブギウギ」が終わった。往年の人気歌手・笠置シヅ子さんをモデルとした物語だったが、ドラマとしてはどう評価すべきなのか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

開始当初の賛辞はなぜ小さくなった?

「ブギウギ」は放送開始直後から「傑作」「名作」との声が上がった。物語が緒に就いたばかりの時点で、これほどまでに褒めちぎられた朝ドラは珍しい。

 もっとも、賛辞の声は徐々に小さくなっていった。視聴率もずっと平均的かそれ以下。前作「らんまん」を下回った。一定の人気は維持したものの、圧倒的な支持を得るには至らなかった。どうしてなのか。

 第1の理由は笠置シヅ子さんの生涯のどの部分を切り取るのか、どこまで事実に沿うのか、フィクションをどう織り込むのか、この座標軸が曖昧だったからではないか。

 趣里が演じた福来スズ子と笠置さんはどちらも香川県で生まれ、養女となって大阪に住み、実家は銭湯で、少女期に歌劇団に入った。ともに弟は戦死した。「東京ブギウギ」(1947年)などの持ち歌も同じ。まるでセミドキュメンタリーである。

 登場人物もセミドキュメンタリータッチ。スズ子の最愛の人・村山愛助(水上恒司)は笠置さんと内縁関係にあった吉本興業の吉本穎右氏を想起させ、スズ子に楽曲を提供した作曲家・羽鳥善一(草なぎ剛)は笠置さんのために作品を書いた服部良一氏を彷彿させる。スズ子のライバル歌手・茨田りつ子(菊地凛子)は笠置さんと同時代に活躍した淡谷のり子さんを思わせた。李香蘭さん(昆夏美)に至っては本人である。

 だが、座標軸は曖昧。終盤入り後の第117回から登場したキーパーソンの1人・水城アユミ(吉柳咲良)は架空の人物だった。美空ひばりさんを連想させるが、食い違う部分が多すぎる。

「水城アユミ」が生まれた理由

 たとえば水城はスズ子の持ち歌である「ラッパと娘」(1939年)を1956年オールスター男女歌合戦」で歌いたいとスズ子に願い出て、スズ子の心を乱したが、美空さんはこの歌番組のモデルである同年のNHK「紅白歌合戦」に出ていない。一方、スズ子と笠置さんはともに出演し、大トリで「ヘイヘイブギー」(1948年)を歌った。

 水城とスズ子、ひばりさんと笠置さんにはそれぞれ楽曲のカバーをめぐって向かい合う場面があったものの、該当する楽曲も事情も全く違う。1971年に出版された『ひばり自伝―わたしと影』(草思社)によると、1949年に行われたひばりさんの公演の5分前、歌う予定だった「ヘイヘイブギー」について笠置さん側からストップがかかった。ひばりさんは困り果てたという。一方で笠置さんはこの自伝の記述に不快感を示したとされている。

 ほかにも確執があったという美空さんと笠置さん。2人のエピソードを採り入れたら、軽く2〜3週はかかってしまっただろう。複雑な問題なので表層だけをなぞるのは難しい。どちらかの名誉を傷つけるわけにもいかない。

 だから水城というキャラクターを造形し、そのエピソードも完全にフィクションとしたのだろう。なお、ひばりプロダクションに制作者側からモデルとして描くことの許諾願いがあったかどうかを尋ねたが、回答はなかった。

自由度は上がったが無理がある展開も

 セミドキュメンタリータッチの作品がキーパーソンに架空の人物を登場させると、拍子抜けする。半面、水城という人物を作り上げたことにより、その出自やスズ子との出会いを自由に描けるようになった。

 もっとも、水城がスズ子の梅丸少女歌劇団(USK)時代の恩人・大和礼子(蒼井優)の忘れ形見という設定はやり過ぎだったのではないか。第117回(3月18日放送)でスズ子は水城と初めて会い、大和の娘だと知ると、「エーッ!」と驚愕したが、観ていた当方は驚きより、あざとさを感じた。

 第25回(昨年11月3日放送)での大和の告別式の後、ピアニストだった夫の股野義夫(森永悠希)と子供の消息について触れないことが気になっていたが、こういうサプライズな終盤にするためだったのか。まるで伏線の回収である。

 しかも、この筋書きには現実味が乏しかった。スズ子は恩人の回忌法要に一切無関心だったのか。USK時代からの盟友・秋山美月(伊原六花)らに大和の遺族の消息を尋ねなかったのか。もし、スズ子が遺族を気にしてなかったら、途方もない恩知らずということになってしまう。無理がある。

ほとんど描かれなかったスズ子の実父

 笠置さんの生涯のどこを切り取るかについて制作者側は悩んだだろうが、観ていて物足りない部分もあった。たとえば、ほとんど描かれなかったスズ子の実父についてである。

 名家の生まれで、早世したことは物語でも触れられたが、笠置さんの実父・三谷陣平氏の幼なじみである南原繁氏は1950年に彼女の後援会長となる。幼なじみの娘を陰から支えた。笠置さんにとっては亡父と自分をつなぐ存在ともなる。

 当時の南原氏は第15代東京帝国大学総長。今も語り継がれる偉大な政治学者で、戦後の復興のために尽力していたが、竹馬の友である陣平氏の娘に力を貸した。自分の死後に友人を動かした陣平氏とはいかなる人物だったのか。物語ではもちろんデフォルメされるだろうが、観てみたかった。

 実父の話が加えられたら放送時間が延びてしまうが、逆に短縮しても良かったエピソードがある気がする。たとえば、第14回(昨年10月19日放送)から第18回(同25日)まで続いたUSKの「桃色争議」である。USKの女性たちが会社側に抗議し、山寺に立てこもったが、物語では家族訪問日もある楽しい合宿のように見えてしまった。

■趣里は日本版のドリス・デイ

 実際には大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と東京の松竹少女歌劇部(SSK)が激しい労使対立を繰り広げ、東京では逮捕者も出た。暗くなるので描くことを避けたかったのなら、いっそ事実に近い話をナレーションなどで短く伝える方法もあったのではないか。現実味を優先したほうが良かったと思う。

「ドラマなんだから」という人もいるだろう。もちろん、そうだ。しかし、モデルのいる人物や実際の楽曲を次々と出し、リアリティを前面に押し出したのはこの朝ドラなのである。現実と虚構が行きつ戻りつすると、物語に入り込みにくくなる。

 一方で全体的な作風は喜劇的でもあった。スズ子の動きや表情、口調がコミカルだったためだ。第33回(昨年11月15日放送)では恋心を抱いている演出家の松永大星(新納慎也)と会うため、ひょいと2階から飛び降り、笑わせてくれた。第73回(1月16日放送)では自分のもとを去った小夜(富田望生)が米兵と歩いているのを見つけた途端、必死の形相で追い掛けた。愉快だった。

 思い浮かんだのは笠置さんと同じステージにも立った江利チエミさん主演の実写映画「サザエさん」(1956年)。趣里はこのドラマで多才ぶりを見せつけたが、歌えるコメディエンヌとしても一流になれるに違いない。日本版のドリス・デイである。

出色の演技を見せたメッセ黒田

 放送前は話題にならず、伏兵的存在だったが、出色の演技を見せたのがメッセンジャーの黒田有(54)である。役柄は愛助の保護者代わりも兼ねた村山興業東京支社長。スズ子には厳しく、冷たかったが、やがて理解を示し、親身になる。

 故・中島貞夫監督らによると、うまい演技とは「その役柄の人物にしか見えない」ことだが、黒田がまさにそうで、坂口にしか見えなかった。芸能事務所の幹部には坂口のような人がよくいる。

 非の打ちどころのない演技を見せてくれたのはベテラン演劇人・木野花(76)。母親になったあとのスズ子が雇った家政婦・大野晶子を演じた。民放ドラマの大半が若い世代に向けたものであることから、民放にはほとんど登場しないベテランが観られるのも朝ドラの魅力だ。

 スズ子の後年のマネージャー・柴本タケシに扮した三浦りょう太(26)については賛否両論ある。思慮の足りない若者という設定なのでイメージ的に損をしている面もあるが、終戦から10年が過ぎたころの若者に見えないのは確か。役作りにもう一工夫あったほうが良かったかも知れない。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。放送批評懇談会出版編集委員。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。

デイリー新潮編集部