前にも書いたと思いますが、僕は〆切に追われるのが嫌なので、〆切の日よりもうんと早く書いて逆にこちらから編集部に催促をする(実際にしたことはないけど)ぐらいの余裕でいたいのです。ストレスというのは、片づけなきゃいけないことを放り投げているから起ることが多い。だからそんなストレスの被害だけには遭いたくないので、なるべく気になることはサッサとやることにしているのです。

 というのは僕は本質的に怠け者であるということを知っているからで、こんな自分と対峙したくないのがひとつ。それとせっかちな性格を生かして、なるべく物ごとを早目にやることにしているのです。以前はいつも何かに追われていて、追われていないと面白い発想ができないとか、そんないいわけをしながら、いつも〆切に追われていました。

 それが、信州の小布施(おぶせ)に旅行した時、そこで見た新聞だかなんだかで、どこだかの市役所が「何んでもすぐやる課」という部署を創設したという記事を読んで、これは面白い、僕もひとつ「何んでもすぐやる人間になってやろう」と考えて、その時から、そうするようになったのです。

 ところが、何んでもすぐやる僕のところに週刊新潮のTさんから「来週の原稿が入っていません、明日いただけないと困ります」という電話が入って、思わずギョギョギョとなったのです。ヘェーと驚ろくだけで返す言葉もなく、ヘェーと頭を下げるしかない。いつもテーマがなくて困っているのに、こんな急な話じゃテーマなど全く浮かばない。困ったと思っていた時、突然、何の理由も根拠もなく、かなり昔、70年代頃だったか、ハワイに行った時にホノルルの日本のデパートの人が、帰国のために空港に見送りに来てくれた時のシーンを思い出したのです。

 なぜこんなことを急に思い出したのか、さっぱりわかりません。編集部のTさんの、僕がまだ原稿を書いていないことへの危機感が僕の波動に刺激として触れて、ホノルル空港の危機的な一シーンを思い出させたのかも知れません。

 それは次のような出来事でした。デパートの人が見送りに来てくれて、僕は「じゃあね、元気でね、ありがとう」と挨拶して税関に向いました。とその時、デパートの人が突然大声で僕を呼び止めました。そのデパートの人は、僕に手招きして、おいで、おいでと言っているのです。何んだろう? と思って僕は引き返して彼のところに戻りました。すると彼は「横尾さん、もしかしたらこの飛行機墜ちるかも知れませんよ」と言ったのです。一瞬僕はギョッとしたものの、次の瞬間、僕は彼の顔に人差指を差して、「あなたこそ大変なことを起こしますよ。帰りの車が大事故を起こすかも知れない。ではお大事に」と、彼が僕に発した言葉以上の強い言葉を返して、「じゃ気をつけてね」と僕は再び税関に向いました。

 何んで彼が僕に対して、何の根拠もない嫌味な言葉を発したのか全くわかりません。発した彼自身もわかっていたとは思えない。こういう時、僕は本能的に自分の受けたネガティブな言葉や想念を即、発した本人に返すことにしているのです。言葉には言霊というのがあって、その言葉自体が持つ力によって、物事をイメージした通りに実現する場合があります。もし、あの時、僕が彼の言葉をまともに受けてしまうと、僕は機内で成田に着くまで恐怖感と不安感に襲われ続けた可能性があります。だけど、彼の発した言葉を僕はそのまま彼に返すことで、言葉の呪縛から解放されたのです。

 そして8時間半後、僕の乗った飛行機は実に快適な飛行によって成田空港に無事に着きました。成田には東京のデパートの本店の人が出迎えに来てくれていました。ところが、その出迎えの人が、実に深刻な表情を浮かべながら、「ホノルルで横尾さんを空港までお見送りした○○が、実は空港内で大事故を起こして、そのまま病院に入院する羽目になりました」と言うではないですか。ホノルルの一件については僕はその人に話さなかったけれど、僕の口が思わず発した彼への言葉がそのまま現実になってしまったのです。

 あの時、彼が発した言葉を僕はそのまま彼に返しただけです。僕は彼の発した恐怖の言葉を彼に返したために解放されましたが、逆に僕の返した言葉によって彼は僕の言葉通りの現実に直面してしまったのです。マーフィの法則で、人間の想念(言葉)は発した者のところに返ってくると言っています。それは言葉でなくても想念も同じ効果を持ちます。言葉または想念は四次元を通過して再びこの三次元空間に物体現象を起こして戻ってくるというのです。

 僕はただ彼の負の言葉を、発した本人に戻しただけです。確かに僕の言葉が彼の意識に何んらかの影響を与えたかも知れないけど、因果応報、自業自得の論理が現実化したのではないでしょうか。

 気がつけば、このエッセイの書き出しからは想像もつかない話になってしまいました。このような話になるとは僕も想像していなかったので驚ろいています。人間の無意識は不思議ですね。僕はただそれに従がっただけのことです。Tさん、変な話になってスミマセン。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

「週刊新潮」2024年4月25日号 掲載