不倫をした夫は、いつまで制裁を受け続けなければいけないのだろうか。妻からすれば「一生」なのだろうが、そんなことならいっそ離婚したほうがお互いに気が楽になるのではないかとも感じてしまう。

「ただ、こちらが弱っていると離婚もままならないんですよ。もはや妻はただの同居人だと思うしかないのかもしれない。まだ状況が不安定なんです」

 神永祐揮さん(60歳・仮名=以下同)は、少し微笑みながらそう言った。彼は5年近く病と闘っている。最近、ようやく体調も安定してきたというので、短時間で何度か会って話を聞いた。

出されなかった離婚届

 現在は5歳年下の妻、27歳になる会社員の長女と同居している。25歳の長男は遠方で仕事をしているという。

「そもそも僕が悪いんです。10年前、子どもたちが多感な時期に家を出て、当時つきあっていた彼女と一緒に暮らし始めました。離婚届も置いて出たんですが、妻はそれを提出しませんでした」

 祐揮さんは、とある士業についており、自分の事務所ももっている。事務員がふたりいるだけの小さな事務所だと謙遜するが、20代のころは「会社のため」に猛烈に働くサラリーマンだった。同時に勉強も重ねて資格を取得、30歳で事務所を開き、すぐ近くの喫茶店で働いていた智絵美さんと親しくなった。

「智絵美は当時、先行きに不安しかなかった僕を癒やしてくれた女性でした。素直で明るくて、こんな女性と家庭を作ったらきっと落ち着いた生活ができるだろうと思ったんです。ただ、一方で彼女との日常に満足できるかどうかが不安でもあった。智絵美は、自分の意志ははっきりもっているけど、議論ができるタイプではない。現実的な幸福を追い求めるんですね。僕は夢物語も含めて、いろいろな想像のもとに議論を交わすのも好きなので、そういう点では少し物足りなかった」

 それでも2年ほどたったとき、彼女が妊娠しているのがわかって結婚に踏み切った。妊娠したら結婚しようとは思っていたそうだ。結婚に踏ん切りがつかなかったから、ちょうどよかったのだという。

「もうキッチンに入らないで」

 ふたりの子に恵まれ、家庭は順調だった。仕事も多少の波はあったが、生活に困窮するようなことはなかった。なにより智絵美さんは家計のやりくりがうまかったから、彼は安心して任せていた。

「僕は家庭の匂いがするような男にはなりたくなくて、結婚後も頻繁に飲み歩いていたし、仕事関係の寄り合いにもよく顔を出していました。今の言い方をすれば、彼女はワンオペで文句も言わず、母として妻として完璧だった。家事をしてくれと言われたこともありません」

 彼は料理が好きだったから、自分の気の向くままにキッチンに入って腕をふるった。子どもたちの大好きなオムライスやカレー、コロッケなども作った。もちろんきちんと片付けまでしていたのだが、あるとき妻が「もうキッチンに入らないで」と訴えてきた。どういうことなのかと尋ねると、「私の居場所がなくなる」と彼女はつぶやいた。

「僕が作るのはせいぜい週に1回くらいです。それでも子どもたちが喜んで『パパ、おいしい』と言ってくれるのは僕にとっても、日頃あまり接していないだけにうれしいわけですよ。だけど妻から見ると、そうやって子どもの気持ちを釣るのはよくないと。ありていに言えば『ごはんで点数稼ぎをするな』ということなんでしょうね。母親として自信をもてばいいじゃないか、子どもたちはママが大好きなんだから、ときどき点数稼ぎくらいさせてくれてもいいだろと冗談交じりに言ったら、彼女は泣きだしてしまった。子どもをひとりで抱え込みたいのかと僕も不機嫌になって……。あのあたりからですかね、妻との関係がギクシャクし始めたのは」

 日頃は家事も子育ても関与せず、週に1回、子どもたちの好きなものを作ってふるまう。そういう夫を見たとき、多くの妻は苦笑しながらも受け入れるものではないだろうか。それなりに生活費はじゅうぶん渡していたと彼は言うし、家事育児と外での仕事の分業だと思えば腹も立たないのではないか。ただ、智絵美さんはそうではなかった。自分の存在価値の象徴であるキッチンに、夫が入り込むこと自体が嫌だったのかもしれない。

「とはいえ、妻は凝った料理は作らない。日常生活では当然ですよね。だからこそ僕が週末、じっくり煮込んだシチューなどを作ると嫌がりました。市販のルーで作ったシチューを子どもたちが食べなくなるって。言いがかりみたいな気がしましたが」

蘇る当初の不安

 専業主婦という立場が嫌なら、パートにでてもいいし何か趣味を始めてもいい。好きなように自分の人生を生きてみればいいと彼は妻に言った。だが妻は、自分が何をしたいかわからないと答えるだけだった。

「できれば高校までは公立でいいと僕は思っていたから、周りのママ友がお受験と騒いでも、妻はその仲間に入れない。でもママ友の輪に入るためのお受験じゃないしね。なんだか彼女は周りに流されやすいというか、流されたいタイプなんだろうなと思いました。時流に乗り遅れるのが怖かったのかもしれない。彼女とは議論できないと思った結婚当時の不安が蘇りました。うちはうち、よそと同じことをしようと思うなとよく言ってはいたんですが。その代わり、子どもたちがやりたいことはできる限りやらせましたよ。娘にはピアノやサッカー、息子には野球や水泳、本人がやりたいと言えば何でも。続けられなくてもいいと思っていた。ちょっとかじって、嫌ならやめればいい。そのうち好きなものが出てくるはずだから」

 妻はそうではなかった。1度始めたら、ある程度うまくなるまでは辞めてはいけないという教育をしようとした。嫌な習い事などする必要はないと考える彼との間に温度差が広がった。

「それでもお互いに、子どものことがあるから我慢しなければという意識があったんだと思う。表だって口論はしませんでした。その分、不満がたまっていったとも言えるけど」

100万近くの謎の支払い…

 あるとき彼の家族カードの明細を見ていたら不審な使用歴があった。調べてみると、ホストクラブだった。1ヶ月で100万円近くが使われていた。あわてて前月の明細を見ると、10数万円支払われている。妻は家計を考えてうまくやってくれていると信じ込んでいたから、彼は詳細に明細を見る習慣がなかった。そのときはたまたま見つけたのだ。

「さらに前の月を見ると、行ってはいなかった。ここ2ヶ月のことだとわかりました。これはエスカレートする可能性があると思ったので、帰宅して妻に突きつけたんです。そもそも夜、当時、小学生のふたりの子を置いて出かけたのがどうしても気になって。出かけたいなら言ってくれれば僕だって早く帰りますよ。もし近所が火事になったり地震が起こったりしたら、子どもたちだけでどう対処すればいいのか。それが腹立たしくてならなかった。でも責めるような言葉は使いませんでした。これはどういうことなのと聞いただけです」

 すると妻は「私だって息抜きしたかった」と言った。息抜きがホストクラブか、と彼はため息をついた。苦労して事務所を持ち、妻には言わなかったが必死で働いてもきた。飲みに行ったり会合に出たりするのも多かったが、そこで人脈を作ってきたのも事実だ。がんばって働いて得た収入がホストクラブに使われていたらがっかりするのも当然だろう。

「お金を稼ぐって大変なことなんだよと、怒らず穏やかに伝えたつもりでした。でも妻は『もう行かないわよ。それでいいんでしょ』と。この人はどういう人なんだろうと、今まで知らなかった妻の一面に驚きました」

 彼は数日後、妻の実家へふらりと足を向けた。両親は東京郊外で仲良く暮らしているはずだったのだが、行ってみると家はあとかたもなくなっていた。

「ビックリしました。そんなの一言も聞いてない。帰ってから妻に尋ねたら、『ふたりともつい最近、施設に入った』って。どうして何も言ってくれなかったのと聞くと、『だって私の両親だから。あなたには関係ないでしょ』と。いや、教えてくれてもいいでしょと。妻に信頼されていなかったショックが大きかった」

 その後、彼は心にぽっかりと穴があいたような気持ちで過ごすことになる。

後編【大腸がんで「余命1年」と宣告され、不倫相手は逃げた…60歳夫が今になって知った彼女が消えた意外な真相】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部