3月までオンエアされていた人気ドラマ『不適切にもほどがある!』の最終回、校長先生に女装趣味があることがバレたとき、令和から昭和に戻った中学教師・市郎が令和にアップデートされた意識を発揮し、庇うシーンがあった。そういえば昭和61年ころは、そういった個人の性的嗜好や趣味はまったく認められていなかったと思い出した。

 とはいえ、今でもある日突然、夫に女装趣味があったと知ったら、どのくらいの妻が「そういうこともあるね」と納得するのだろうか。差別したり拒絶したりする気持ちはなくても、「身も心も振る舞いも男性」だと確信して結婚したのだから、「裏切られた」と思うかもしれない。

「妻の気持ちもわかるんですよ。黙っていればよかったのかもしれない。でも黙っていられなかった」

 加瀬雅明さん(51歳・仮名=以下同)は苦しそうにそう言った。13歳年下の妻とは結婚して14年がたつ。一粒種の息子はこの春、中学生になった。

「妻は息子が小学校に入る前から、難関私立中学を受けさせると張り切っていました。実は僕はその中高一貫教育の学校の出身。たまたま受かっただけですが。でも妻は僕と結婚したときの決め手のひとつが、その学校の出身者だからと友人に明かしたそうです。理由はわからないけど、そのくらい憧れていた。だから息子もそこに入れようと必死でした」

突然、いなくなった母

 小学生のころから家庭教師が複数来ていて、その私立中高一貫校に対応していたというくらいだから、雅明さんが育った家庭は非常に裕福だった。彼もそれを隠そうとはしなかった。ただ、「お金はあったけど愛はなかった」と苦笑する。

「僕が5歳のころ、突然母がいなくなったんです。いつものように幼稚園まで送ってくれた母に手を振ろうと振り向いたらすでにいなかった。ふだんは僕が中に入るまで見送ってくれるのに……」

 その日は母ではなく、家政婦さんが迎えに来た。ママはどうしたのという彼の質問に、家政婦さんは答えなかったが、目が潤んでいたのを覚えているという。

「なぜ両親が離婚したのかはわかりません。父は何も言わなかった。再婚もしませんでしたが、僕が大学に入ったころ、実は他に女性がいて子どももいると聞かされました。『おまえのために再婚しなかったんだ。そろそろしてもいいだろ』と父が言ったとき、なんだかわけもわからず殺意が芽生えましたね」

父は結局、不倫していた

 彼は家を出たが、父親から生活費はたっぷり送られてきた。学業に励む一方でアルバイトをし、父からの生活費はほとんど貯金に回した。その後、留学先となった国で仕事をしていたが、父の急逝を受けて38歳のときに帰国した。

「父はしっかり遺書を残していました。どうやら毎年書き換えていたようです。父が親から受け継いだ会社は、再婚相手の子どもに譲ると。僕には何もなかった。親戚が気の毒がっていましたが、父からは何ももらわないと決め、遺留分も放棄しました。父が死んで初めて、再婚相手の子が僕の1つ下だと知りました。僕が生まれる前から父には女がいたわけです。母はおそらく知っていたんでしょう。でも我慢していた。出て行ったのはよほど屈辱的なことがあったのか、父が追い出したのか……」

 心の傷を抱えたまま、彼は大人になり、父の会社を継ぐこともなく、親戚との縁も断った。人に甘えることもなく、恋愛らしい恋愛をすることもなかったと彼はひとりごちた。

「妹に会ってみないか」

 父を見送ったあと、彼は再度、外国に出ていくことを考えた。だがそんな彼の気持ちに飛び込んできたのが、大学時代の友人の妹である千芙美さんだった。

「高野というその友人は、数少ない心開けるヤツでした。ただ、僕は彼にさえ自分の親のことは話せなかった。僕が子どもの頃に離婚したとは言ってありましたが。久々に日本に帰ってきて彼と会ったとき、父が死んだけど僕には何の財産も来ないよと言ったら、彼は『そのほうがしがらみがなくていいじゃないか』と言ったんですよ。ああ、確かにそうだなと思いました。親を背負わずにひとりで生きていけるんだから、これはこれでラッキーだったのかもしれないと」

 すると高野さんは不意に「妹に会ってみないか」と言った。雅明さんは、彼に妹がいることを知らなかった。

「妹といっても腹違いなんだけどね、と彼は苦笑していました。『うちのオヤジは女癖が悪くてさ、あるときいきなり女の子を連れて帰ってきて、この子はオレの子だから今日からめんどう見てほしいと母親に言ったんだよ。オレ、そのとき高校生だった。突然、3歳の妹ができたわけ。あのときはどう考えたらいいのかわからなくて、オヤジに殴りかかったんじゃないかな、かあさんの気持ちを考えろよとか言って。妹のおかあさん、そのころ亡くなったというから、まあ、今ならオヤジの気持ちもわからなくはない。もちろん、いきなり連れ帰るのは論外だけど』と。彼もまた、複雑な家庭環境だったようです。だけど妹はいい子だよ、それは自慢できると彼は言っていました」

妹をかばった兄

 高野さんはすでに結婚していた。当時、妹は27歳目前で、雅明さんはもうじき40歳になるところだった。年齢差を気にしたが、高野さんは「オレ、シスコンだからさ、信頼できる相手じゃないと妹と結婚させたくない。おまえならいいよ」と笑った。

「その日、一杯やってから高野がどうしても家に寄れというんですよ。もう夜も遅かったしまた今度と言ったけど彼は聞かない。しかたなくついていったら、奥さんと千芙美が迎えてくれたんです。ふだん千芙美は別のところに住んでいるけど、金曜の夜だったから兄一家のところに来ていたみたい。いろいろ話を聞かされました。とにかく千芙美と高野は仲がよかったようで、最初、奥さんは『この兄妹の間に入り込めるのかと心配だった』と。ただ、千芙美は奥さんともすぐ仲良くなったと。本当にいい子でした。小さいころからいくら父親の家とはいえ、血のつながらない母親の顔色をうかがって育ったんでしょうね。高野の話だと、母親は夫の愛人の子をどうして自分が育てなければいけないんだとイライラしていたようですから。高野はずいぶん千芙美をかばったんだと言っていました」

 千芙美さんはそれを聞きながら、「そうなんです。今でもこうやって恩を売るんです」と笑わせた。複雑な環境で育ったものの、そういうことをすべて克服した女性の潔さと強さを雅明さんは感じたという。

「魅力的でした。高野が言うとおり。いい子という表現は彼が兄だからであって、僕から見たら若いのに人生を達観しているような、腹の据わった女性だなという印象でしたね。ただ、ときどきふっと寂しそうな表情を見せることがあるような気がしましたが、それはおそらく生育歴を聞いたからでしょうね」

千芙美さんの「拭いがたいコンプレックス」

 後日、高野さんに千芙美さんの印象を聞かれた雅明さんは、「また会いたい。語り合いたい」と言ったそうだ。雅明さんは学生時代の友人のツテで外資系の企業に入社して生活も安定した。そしてそれから1年たらずで、ふたりは結婚した。それほどまでに雅明さんの心を奪った千芙美さんとの結婚生活、さぞや順調に進んだのだろうと想像するが、実は最初からそれほどうまくはいかなかったのだという。

「結婚してすぐ、僕は彼女の拭いがたいコンプレックスを感じてしまったんです。そしてそれは僕が持っているのと同じ種類のものだった。つまりは“親に捨てられた感じ”です。彼女は母に死なれて、実の父の元に引き取られたけど育ての母とは、あまりうまくいかなかった。高野の話によれば、父親は連れ帰ってはきたけど、特に千芙美に気持ちを寄せるわけでもなかったというから、やはり寂しかったでしょうね。僕は母に捨てられ、傲慢な父はいたけど、別の家庭があったから僕はどこかに連れていってもらったことも遊んでもらったこともない。家政婦さんやばあやさんはいたけど、心を開けるものでもない。結局、そういうふたりが結婚して家庭をもっても、どういう家庭がいいかまったくわからないんですよ」

 千芙美さんは、二言目には「おにいさんが」と高野さんの話をする。雅明さんは、そんなに兄貴がいいなら、どうしてオレと結婚したんだ、兄貴の家に住めばいいだろとつい言ってしまったことがある。千芙美さんが妊娠5ヶ月くらいのときだった。

「千芙美が顔を伏せたので、泣かせてしまったと思い、ごめんと言うと、彼女は顔を上げて僕を睨んでいました。その顔があまりに怖くて、こちらが顔を伏せた。憎悪が張り付いたような表情でしたね。これほどまでに体内に憎悪を抱えているのかとびっくりしました。僕だって、僕を捨てた母を恨んだことはあるけど、憎悪を持ち続けるのは大変だとわかっているから、さっさと忘れました。でも千芙美はずっと憎悪の塊を抱えて生きてきたんだとわかった」

 妻を怒らせると何が起きるかわからない。雅明さんはそう感じたという。

後編【5歳の時に捨てられた母親の死をきっかけに、夫は年下妻に隠れて化粧を…妻に「変態」と言われてもやめられない“心境の変化”】へつづく

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部