「金[かな]房[ぶさ]村」は南相馬市小高区の西部地区にあり、養蚕の里だった。「国内の絹産業は先細りが避けられないだろう」。未来を予見した男性が昭和40年代、自宅前の桑畑を梨畑に変えた。栽培は軌道に乗り、地元の産品として定着した▼周辺は2011(平成23)年3月の原発事故で一変する。小高区に避難指示が出され、男性は埼玉県に住まいを移す。梨畑は手つかずになり、再開を断念した。寂しくなった地域に、にぎわいを取り戻したい―。指示が解かれた後、埼玉から通いながらバラを植え始めた▼今では150種約3500本がかつての梨畑を埋め尽くす。男性の弟が昨年6月、見頃になったバラ園を訪ねてきた。趣味はギター。麗しい眺めに目を細めながら「ここで震災犠牲者を追悼する音楽祭を開きたい」と語った。夢はかなわぬまま翌月、病で帰らぬ人となった▼兄弟が通った金房小は原発事故で児童数が激減し、廃校となった。校舎は取り壊されたが、跡地では産業団地の整備が進む。復興に向かう地域に彩りを添えるように、バラ園は間もなくシーズンを迎える。花房は値千金。古里を思う、優しげなギターの旋律がどこからか響いてくる。<2024・5・9>