父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?

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前回「性虐待被害者の特性を利用され、新たな性被害に遭った。後遺症に苦しむ最中に届いた一冊のエッセイ『死ねない理由』」はこちら

虐待の後遺症の一種である“慢性疼痛”

現在、私は虐待の後遺症を理由に、障害年金を受給しながら生活している。そんな最中、ある出来事が原因で後遺症が悪化し、生活が一変したことは前回のエッセイで綴った通りである。

心身へのダメージもさることながら、安定して働けない状況により経済基盤が大きく揺らいだことが、現在進行系で私の生活に多大なる影響を及ぼしている。

お金がない。

そのことがどれほど人を追い詰めるかは、実際に貧困を経験した人にしかわからないだろう。もちろん、どの生活水準を「貧困」と定義するかは人による。だが、例えば「体調が悪くても休む選択肢を持てない」人は、生活が安定しているとは到底言えない。

現在、私とパートナーは失われた経済基盤を立て直すべく、日々の楽しみを限界まで削っている。月に1〜2度のカフェでの息抜き、たまの外食、新しい服や下着、ネイルケア。これらはほぼ、私たちの生活から消えた。また、電車で片道2時間かかる通院も、交通費の心配から頻度を減らすよりほかなく、カウンセリングの機会が大幅に減った。

何より辛いのは、慢性疼痛を和らげるべくマッサージに通う頻度さえも減らさざるを得ないことだ。「マッサージ」と聞くと、贅沢品のように捉える人が多いだろう。だが、私のような虐待サバイバーにとって、マッサージに通えるか否かは死活問題につながるケースが多分にある。フラッシュバックや悪夢により、昼となく夜となく全身に力が入ってしまうため、筋肉が固まり酷い癒着が起きる。また、無意識に歯を食いしばっていることから、顎から首筋にかけての筋肉も固まりやすい。首筋の筋肉は、喉、ひいては肺周りの筋肉と直結している。それゆえに呼吸が浅くなり、日常的に息苦しさに襲われる。

“気持ち良さ”を求めてマッサージを受けたことなど一度もない。いつだって「まともに呼吸ができない」苦しみと全身痛に耐えかねて急遽駆け込むのだ。障害年金を受けている場合、マッサージが保険適応になる施設もある。だが、仮に保険が効いても、自立支援医療の対象外である。よって、毎日襲いくる痛みと息苦しさに喘ぎ、拙いながらも自己流で肩や首を指圧しながら不快感をしのいでいる。