「行列ができるほどの大人気!」とテレビの情報番組などで持ち上げられたことで、似たような専門店が続々オープン。しかし、ほどなく「なんか最近やたら多くない?」と大衆の熱が一気に冷めて閑古鳥状態となり、久しぶりに店へ行ったら「居抜き物件」になっていた――。

 ここ数年、そんな平家物語のような盛者必衰サイクルが速いスパンで繰り返されている。記憶に新しいところでは、立ち食いステーキ、タピオカミルクティー、高級食パン、から揚げ専門店だが、その次になるのではないかと心配されているのが、「生ドーナツ」だ。

 ご存じの方も多いだろうが、2年ほど前から生ドーナツブームが続いている。

 火付け役は、2022年3月、東京・中目黒にオープンした生ドーナツ専門店「I'm donut?」だ。福岡発祥の人気ベーカリー「アマムダコタン」が仕掛けるこの専門店は、卵とバターを多く配合したオリジナルのブリオッシュ生地でつくられたふわふわのドーナツを販売。それが「生ドーナツ」として話題を集め、瞬く間に行列ができる人気店となった。順調に店舗を増やして渋谷、福岡・天神、原宿、表参道と24年4月現在で5店舗に拡大している。

 こういう「カテゴリーメーカー」が注目を集めると、2匹目のドジョウを狙って続々とパク……ではなく、似たコンセプトの専門店が生まれるのが常だ。23年ごろから大都市圏でコーヒーショップやカフェなどがスピンアウト的に「生ドーナツ専門店」を続々とオープンしている。

●山崎製パンも便乗商品で売り上げ拡大

 「ブーム」に便乗しようと考えるのは大企業も変わらない。その代表は山崎製パンだ。同社の「稼ぎ頭」は菓子パンなのだが、そこで「ドーナツブーム便乗商品」が売り上げをけん引している。

 それがよく分かるのが、第76期(23年1〜12月)の決算説明資料だ。今期は好調で、売上比36.9%を占める菓子パン部門の売上高も前期を上回って4333億6200万円(対前期比114.0%)となっている。

 そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの菓子パン部門をけん引する商品として、生クリーム入りの生地とフィリングを使用した新商品「生ドーナツ」シリーズや「ドーナツステーション」など低価格のものが挙げられているのだ。

 この傾向は24年も続いていく。株主向け報告書で、菓子パン部門を紹介するページでは9つの「スター商品」を写真付きで紹介しているのだが、そこの「センター」にいるのは、24年1月に発売したばかりの「極生ドーナツ(ミルクホイップ)」。同社の「今年も生ドーナツで稼いでいこう」という決意がよく伝わってくる。

●既に「終わり」を見据えている関係者もいるが……

 さて、このような景気のいい話を聞いていると、心配になる人も多いだろう。冒頭で紹介したように、ブームでこの世の春を謳歌(おうか)している企業や事業者ほど、ブームが終わったときのダメージが大きい。脱サラしてタピオカミルクティー店を始めたが、ブームが去って残ったのは借金だけ、という悲劇もよく聞く。

 実際、当事者も「終わり」を見据えている。『毎日新聞』(4月13日)で取材に応じた「生ドーナツ店関係者」は、こんな切ないことをおっしゃっている。

「末永く愛されたいが、ブーム終了も見据えて初期投資を短期間で回収できるように、出店方法や運営を工夫している」

 多くの人がそう不安に感じるのは「前例」があるからだ。15年ごろもメディアが「ドーナツブーム」を煽(あお)った。大手コンビニ各社はレジ横にドーナツコーナーを設けたが、売り上げはそれほどでもなく1年ほどで撤去されてしまったのである。今回の「生ドーナツブーム」もあのときのように「騒いだわりにパッとしなかった」で終わってしまうのか。

 いろいろな意見があるだろうが、筆者はやりようによってはそのような未来を回避できると考えている。それどころか、うまくいけば生ドーナツを「日本の食文化」の1つとして観光資源などにしていくことも夢ではないとさえ思う。

 「ずいぶん大風呂敷を広げるじゃないか」と失笑する人も多いだろうが、これにはちゃんとした理由がある。

●日本人は大正時代にもドーナツを食べていた

 実はドーナツは、これまでブームになってきたティラミスやらマカロンやらカヌレやらという「輸入スイーツ」とは根本的に違うところがある。それは「120年前から続く日本の伝統菓子」ということだ。

 「ミスタードーナツ」や「ダンキンドーナツ」のイメージがあまりにも強いためか、ネットやSNSで「1970年代にミスタードーナツとダンキンドーナツが上陸したことで日本にドーナツが入ってきた」という説明をしている人も多いが、これは誤りだ。

 実はドーナツは明治時代に「現地化」に成功した日本の食文化なのだ。

 例えば明治36年(1903年)、村井弦斎の小説『食道楽』には「ドウナツ」が登場する。他にも明治や大正にかけてさまざまな物語の中に、家に行った客人が「ドーナツをどうぞ」と勧められるシーンがよく描かれている。なぜかというとこの時代、ドーナツは各家庭でつくられる「日本の手作り菓子」だったからだ。

 例えば、大正7年(1918年)に発行された海軍内のレシピ本「海軍四等主計兵厨業教科書」の中には「ドーナツ・ケーキ」のレシピがある。大正15年(1926年)に発刊された『家庭でできる和洋菓子』(婦人之友社)にも「ドーナツ」のレシピが登場している。

 このようにさまざまな形でレシピが紹介されるということは裏を返せば、各家庭でさまざまなオリジナルレシピもあったということだ。この「人によってさまざまなレシピのドーナツがある」というのは、1世紀を経て生まれた「生ドーナツ」も同じだ。

 ブームの火付け役である「I'm donut?」の「生ドーナツ」はブリオッシュ生地を用いているが、山崎製パンや大手コンビニのものは「生クリーム入りの生地」を用いている。つまり、「生ドーナツ」という大きなくくりはあるが、その製法や定義がカッチリと決められていないので、店によっていろんな個性豊かな「生ドーナツ」が生まれている。

 この「多様性」こそが日本の食文化最大の強みだ。

●外国人も絶賛する日本のラーメン

 例えば、発祥の地である中国の人も「日本食」として称賛している「日式ラーメン」が分かりやすい。しょうゆ、味噌(みそ)、塩、とんこつという大まかなカテゴリーはあるが、基本的に日本のラーメンはそれぞれの店で味や作り方がまったく異なる。

 「天下一品」も「ラーメン二郎」も「日高屋」もみな「ラーメン」という同じカテゴリーだが、そのレシピも味もてんでバラバラで、スープも麺も具材も店によって個性が強い。この多様性こそが実は日本食の最大の強みであり、外国人観光客はその奥行きの深さにとりこになるのだ。

 ここまで言えば、筆者が「生ドーナツ」に大きなポテンシャルを感じている理由が、なんとなくご理解いただけるのではないか。

 生ドーナツもラーメンと同じく、かっちりとした定義やレシピはない。かつて各家庭の「母の味」だったようにメーカーや専門店が好き勝手味や食感を編み出してクオリティーも大きなばらつきがある。

 ということは、ラーメンのように大化けする可能性もある。つまり、定番スイーツとして日本人から永きにわたって愛されつつ、外国人観光客からも「多様性のある日本菓子」として支持されるかもしれないというわけだ。

●ミスドが生み出した完全な日本オリジナルドーナツ

 では、このブームを一過性のものとせず食文化として定着させるには何が必要かというと、「競争」だ。

 専門店や大手チェーンが競い合うように「個性豊かで画期的なドーナツ」を世に送り出すことで、ラーメンのように市場を盛り上げていくのだ。

 「そんなにうまくいくものか」と冷ややかな態度の人もいるかもしれないが、20年前に、日本のドーナツ業界は既にそれをやってのけている。

 2003年に誕生したミスタードーナツの「ポン・デ・リング」だ。

 ポン・デ・リングは海外にはない、日本のオリジナルドーナツだ。なぜあのようなものが生まれたのかというと、ミスタードーナツを運営するダスキンがさまざまな調査をした結果、日本人は「もちもち」食感が好みであることが分かったからだという。そこから試行錯誤をして、あの「揚げているのにもちもち」という生地の開発にこぎつけたのだ。

 20年前にミスタードーナツができた。そして、福岡の有名ベーカリーでも今回、独自の生地を生み出した。ならば、他の日本のパン職人たちも、続くことができるのではないか。なにせ日本人は120年前から各家庭でオリジナルのドーナツを作り続けているのだ。

●日本の観光資源として

 全国のご当地ラーメンが味わえる「新横浜ラーメン博物館」によれば、「日本の食文化」として外国人観光客が称賛するラーメンが初めて日本でブームになったのは1910年だという。「浅草 來々軒」の創業者・尾崎貫一氏が店をオープンして人気に火がついたことで社会に「ラーメン」という食文化が普及していったのだ。

 日本社会に広まった時期は、ドーナツもラーメンもそれほど変わらない。家庭でもつくられ、店でも食べられ、さまざまなレシピがあるという点も同じだ。

 ということは、ドーナツもラーメンのように「日本食」として認められるポテンシャルはあるということだ。

 穴の開いたものは上から見れば「日の丸」のように見えなくもない。外国人観光客が日本のスイーツと聞くと、コンビニスイーツの名が上がることが多い。専門店のスイーツはちょっと手薄なので、狙い目でもある。

 実は世界にはドーナツのような揚げ菓子が山ほどある。中国は大麻花(マーファー)や油条(ヨウティアオ)、韓国のクァべギ、沖縄のサーターアンダギーなど見ようによってはドーナツと言えなくもない。定義がないということは「言ったもん勝ち」でもある。

 一過性のブームで終わらせないためには、「ドーナツ=日本の家庭菓子」というブランド戦略もアリではないか。

(窪田順生)