交通弱者支援の課題

 2023年11月、福岡市の東南東に接する宇美町で派遣社員の男性が運転中にてんかん発作を起こし、高校生ら9人をはねる交通事故を起こしたとして逮捕された。この事件は、男性が運転免許更新時のアンケートに“虚偽記載”をしていたことが報じられ、大きな話題となった。

 道路交通法では、運転に支障をきたす状態での運転は禁止されているため、免許更新時に「てんかん」を含む特定の病気に罹患していることを申告することが義務付けられている。しかし、この制度には問題がある。

“交通弱者”への支援にこれまで携わってきた筆者(伊波幸人、自動車ライター)はてんかん後の運転経験に関わった経験がある。ただ、退院後の彼らに運転禁止を助言しても、それを確認する術はなく、個人の判断を信じるしかなかった。かかりつけ医が問診しても、患者が「運転はしていない」といえば、あっさり見過ごされてしまう。

 一方、適切な評価制度によって運転に支障がないと判断された「一定の病気」の患者を差別してはならず、制度への理解を深める必要がある。

 そこで本稿では、本制度の成り立ちと問題点を解説し、事故再発防止に向けた制度のあり方を再考する。

服薬イメージ(画像:写真AC)

免許取得できなかったてんかん患者

 1960(昭和35)年に道路交通法が公布され、その第88条には次のように免許を与えないことが明記された。

「第88条 次の各号のいずれかに該当する者に対しては、免許を与えない。 一 (略) 二 精神病者、精神薄弱者、てんかん病者、目が見えない者、耳が聞こえない者又は口がきけない者 三〜五 (略)」

 つまり、精神疾患やてんかん患者、視覚・聴覚障がい者は運転免許を取得できず、たとえ運転能力があったとしても、病名だけで取得できなかったのだ。

 この法律が制定された当時は、「てんかん発作」の頻度や再発の可能性といった科学的根拠や運転能力は考慮されず、漫然と運転が禁止されたものと思われる。

 事実、「口がきけない者」は運転可能だろう。「耳が聞こえない者」の場合、サイレンなどの音が懸念されるが、これは程度に応じて判断されるべきである。

 つまり、てんかんや聴覚のハンディキャップがあっても、薬でコントロールされていたり、補聴器でカバーされていたりすれば運転できる可能性があり、その点を考慮すべきである。この不条理に当事者が怒るのも無理はない。道路交通法は改正されることになり、2001(平成13)年には88条が削除され、病名ではなく

「障害の程度」

によって運転能力を判断する相対的欠落事由に変更された。欠格とは、運転免許の場合は

「運転免許を取得できる条件を満たしていないこと」

であるが、相対的欠落の場合は「運転能力」によって判断される。

ヘルプマーク(画像:写真AC)

鹿沼市の悲劇と遺族の声

 てんかん、認知症、精神疾患など「一定の病気」がクローズアップされたのは、2011(平成23)年、栃木県の中部に位置する鹿沼市の小学生6人がクレーン車による事故で死亡した事件がきっかけだった。

 クレーン車のドライバーはてんかんを患っており、事故当時、発作を抑える薬を飲み忘れていた。ドライバーは何度も事故を起こしているにもかかわらず虚偽の返答を繰り返し、「運転をやめるよう」という医師の忠告にもかかわらず、運転を続けていた。裁判では有罪となったが、「運転に支障がある状態での運転」を厳しく罰する法律がないため、懲役7年の判決を受けた。

 遺族や国民はこれを認めず、約20万人の署名で法改正を訴えた。その結果、この事件を契機に次のような措置がとられた。

・一定の病気による危険運転の厳罰化
・質問票制度と虚偽記載の法整備
・医師による“任意”の届け出制度

こうした状況を踏まえて、てんかん、脳卒中、精神疾患や認知症など、運転に支障をきたす「一定の病気」に対する措置がとられた。しかし、冒頭のケースは「同質の交通事故」であり、制度の問題点を再考する必要がある。

「鹿沼児童6人クレーン車死亡事故」に関する資料(画像:法務省)

虚偽記載の罰則と制度の限界

 そもそも、質問票に虚偽の記載があったかどうかを確認する方法がない。仮に虚偽の記載があったとしても

「1か月以下の懲役、または30万円以下の罰金」

で済んでしまう。現行の制度では、患者の危険運転を止めることには限界があるのだ。

 実際、死亡事故後、遺族が警察庁に質問票による申告者数の調査を依頼した。当時の患者総数の3分の1を成人と仮定し、免許更新の頻度を考慮すると、自己申告率は「3%」と推定される。遺族は次のように述べている。

「私達は、てんかん患者の方が、運転してはいけないとは思っていません。運転ができないようにするつもりもありません。ルールを守り、きちんと申告して運転して欲しいと思っています」
「自己申告は、もはや限界です。一日も早く、不正取得ができない免許制度を構築し、不正取得者による事故を無くすことこそが、まじめにてんかんと向き合って、一生懸命生きていらっしゃる患者さんへの偏見をなくす事につながっていくのではないのでしょうか」

そして、「運転しないようにいいました」と述べた医師に対しては、

「あの医師は、結果として、加害者の命も、被害者の命も救っていません。命を救う事を生業としている医師が、本当にとるべき行動とは何だったのでしょうか……「私は言いました……」記者会見で必死に訴えるあの医師の姿は、我々の目には、ただただ空しく見えました……」

医師による届け出制度は守秘義務の範囲外とされ、口頭、書面、電話で行うことができる。つまり、遺族が訴えているのは、自己申告制と任意の届け出制度に関する問題なのである。制度設計に何が必要なのか、冒頭のケースを見直してみよう。

「鹿沼児童6人クレーン車死亡事故」に関する資料(画像:法務省)

限界を迎える制度設計

 冒頭、高校生ら9人をはねる交通事故を起こした派遣社員の男性は、運転免許証の質問票の虚偽記載について、

「運転免許証がなくなると車の運転ができなくなるから」

と述べている。たしかに、仕事や日常生活に支障が出るのはよく理解できる。しかし、免許を更新した2か月後に彼は事故を起こし、車は廃車になった。交通事故を起こす危険性を認識していたことは間違いないだろう。やはり制度設計の再考が必要である。

 てんかんの支援団体などの意見を参考にすることも大切だが、まずは相談しやすい環境を整えることが何よりも重要だ。大病院で月1回でも、運転免許に関する“よろず相談会”を開くなどして、関連診療科の医師と接点を持てれば、相談しやすくなるだろう。

 ただし、患者との信頼関係や医師による届け出制度の周知が懸念され、通院治療が阻害されることのないよう配慮が必要である。また、公共の福祉(事故防止)の観点から運転が制限される場合には、代替移動手段への配慮が必要である。

 病気の可能性は誰にでもあるのだから、病名による差別は慎むべきだし、それは私たち全員の利益になる。一方、

「モラルに頼った制度設計」

には限界があり、交通行政と医療の連携による事故防止が望まれる。