梅の花が咲き始めるこの季節、多くの人が思い返す馬がいる。日本競馬界の歴史を変えたと言っても過言ではない種牡馬サンデーサイレンスの初年度産駒にして、“幻の三冠馬”ともいわれるフジキセキだ。1995年の弥生賞覇者。圧倒的なポテンシャルの高さでクラシック最有力候補といわれながら、屈腱炎を発症してわずか4戦で現役生活に幕を閉じた名馬である。

 父のサンデーサイレンスは脚が曲がっていて馬体が見栄えせず、セールでも買い手がつかなかったほど。競走馬としてはケンタッキーダービーほかG1・6勝を挙げて見返したが、見栄えに加えて地味なファミリーラインが嫌われて、種牡馬としてはまったく評価されなかった。日本に輸入される際も「成功するはずがない」と米国の生産者は笑ったそうだが、ファーストクロップから驚異的な活躍。現役時代と同様に、結果でマイナスな声をシャットアウトする。

 フジキセキも例に漏れず、夏の新潟で8馬身差のデビュー勝ちを収めると、続くもみじSでは後のダービー馬タヤスツヨシを子ども扱い。後ろを振り返るほど手応え楽に1馬身1/4差のレコードV。年末の朝日杯3歳Sは、翌年に米国三冠に挑戦する武豊騎手騎乗のスキーキャプテンにクビ差だったが、着差以上に余裕のある勝ちっぷり。わずか32頭の初年度産駒から初のGI馬が誕生。日本競馬の歴史が大きく動いた。

 そして迎えた年明けの弥生賞。クラシックタイトルを目指す同馬にとって、単なる“通過点”となるはずだった。

 道中2番手から運んだが直線で意外に伸びず、周囲をドキッとさせたのもつかの間。外からホッカイルソーが並びかけると、ようやく本気を出したか、一気にエンジンを噴かせて2馬身半差の完勝。「やはり強かったフジキセキ!」。ステップレースでも底を見せない強さにファンは夢を見た。

 だが、フジキセキは皐月賞を目指す過程で屈腱炎を発症。結果的に弥生賞がラストランになってしまった。大本命が不在となった同年のクラシックだったが、“サンデーサイレンス旋風”が巻き起こった。ジェニュインが皐月賞を制したのを皮切りに、ダンスパートナーがオークスを、タヤスツヨシがダービーを獲得。さらにプライムステージら他の産駒も揃って好走した。同世代の中で一番の素質馬といわれていた同馬が出ていたら……。“幻のクラシックホース”、“幻の三冠馬”とタラレバも言いたくなるのも納得である。

 競走馬としては志半ばとなったが、フジキセキは父として無念を晴らすことになった。日本、豪州で種牡馬として活躍し、産駒はJRA通算1527勝。屈腱炎から復活した不屈のダート王者・カネヒキリなど多くのGI馬を生み出し、ディープインパクトに抜かれるまで、内国産種牡馬で最多勝利を長らく守り抜いてサンデーサイレンスの血を根付かせた。そして、引退から19年後。ラストクロップの一頭、イスラボニータが皐月賞を制し、自身が成しえなかったクラシック制覇も決めている。

 いまや日本馬の血統表に欠かせぬ「サンデーサイレンス」の文字。そこにもフジキセキが4戦で見せた圧倒的なパフォーマンスと、種馬として伝えた確かな父の能力が、繁栄の一翼を担ったといえよう。今年は4頭の無敗馬が弥生賞に出走予定。それぞれの馬はどんな物語を紡いでくれるのか。その馬たちの血統表には、当たり前のように「サンデーサイレンス」の文字があることを付け加えておく。