現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売直後に重版となるなど注目を集めている。
巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。

(以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋)

〜読売巨人軍編〜
◆第二期黄金時代を支えた巨人時代

一九五〇年代後半から七〇年代前半までの後楽園球場のホットコーナーは、カクテル光線以上のスポットライトが常に浴びせられ、白く浮かび上がる別次元の空間だった。

プレイボール前、ファーストの王貞治から投げられたゴロをショートの広岡達朗が軽快に捕球して一塁へ送球する。そこに、サードの長嶋茂雄がツカツカと二、三歩近寄ってくる。右手を軽く口に添え、こう告げる。

「ヒロさん、今日動けないんで頼みます!」
平然とした顔で、守備位置に戻っていく。
「おい、またかよ」
広岡は、苦笑いしながらショートの定位置の土をスパイクで均す。
「面白いやっちゃなぁ」
心のなかで静かにほくそ笑んだ。
〝背番号3〟はいつだって華やかで躍動感があり、守備位置での構えも軽いタッチでいる。
〝背番号2〟の広岡はこれぞ見本といった姿勢で、腰をしっかり落として低い状態のままつま先立ちで構えている。この相反する姿を見るだけで、野球人としての生き方が異なるのがわかる。

広岡が巨人に入団したのは、昭和二九年。戦争が終わってから九年後、戦争の爪痕はまだ残ってはいるが、壊滅状態からの危機は脱し、ようやく混乱期を抜けた感がある頃だ。

当時の巨人は第二期黄金世代と言われ、きらびやかなメンバーばかりが名を揃えていた。投手陣にはエースの別所毅彦、日本プロ野球初の完全試合達成者である藤本英雄、大友工、中尾碩史。キャッチャーには日系二世の広田順一、ファーストに川上哲治、セカンドに千葉繁、サードに宇野光雄、ショートに平井三郎。そしてレフトに岩本堯、センターに与那嶺要、ライトに南村侑好。さらに、監督には水原茂と、プロ野球黎明期のレジェンドがずらりと並ぶ布陣だ。

六大学野球のスター選手として鳴り物入りで巨人に入団した広岡だったが、今の時代のように球団をあげて歓迎ムードで迎えられたわけではなかった。前出のレギュラー陣を見ても一癖も二癖もあるメンツばかり。グラウンドに入れば、自分以外はライバル。この生存競争の激しさこそが当時の巨人の強さを支えていた。

◆「いつまでも打っているんじゃねえ」練習中にバットが飛んでくる

ルーキーの広岡がもっとも面食らったのは、入団間もない頃のバッティング練習での出来事だ。

バッティングケージに入ってカーン、カーンと快音を響かせながら10球ほど打っていると、どこからともなくバットが飛んできた。

「なんだ?」

周りを見ると、ケージの近くに立つ南村侑好の姿が視界に入った。南村は、早稲田大の先輩でもある。

「はい、南さん、どうぞ」

素振りをしていてうっかり手を滑らせたんだなとバットを持っていった広岡だったが、南村は不機嫌そうな顔して「おまえ、はよどけ!」と言う。思っても見ない言葉を浴びせられ焦った広岡だったが、すぐにわかった。手を滑らせたんじゃない、わざとだ。バットを投げつけたのは、いつまでも打っているんじゃねえという意味を込めた洗礼だ。パワハラという便利な言葉がない時代、こんなことは日常茶飯事だった。広岡は言われたとおりそそくさとケージを出るしかなかった。動揺を隠せないままでいると、サードのレギュラーで慶應出身の宇野光雄が近づいてきて声をかける。

「おいヒロ、俺のとこで打て」
「宇野さん、いいんですか?」
「俺は大丈夫だから打て打て、ヒロ」
「ありがとうございます」

南村の予想だにしなかった行動に焦りと戸惑いを覚えていた広岡だったが、ここで遠慮してはいけないと思った。学生野球じゃない。食うか食われるかのプロ野球なのだ。図太くなければ生きていけない。宇野の言葉に甘え、別のケージで何食わぬ顔をしてバッティング練習を続けた。

この出来事によって、広岡はプロとは何かを考えるようになる。通常なら早稲田の先輩である南村が後輩の広岡に目をかけてあげるものなのに、容赦ない鉄槌を下す。そして手を差し伸べてくれたのが、慶應の宇野。たまたまかもしれないが、これにも意味があると感じるのはもっと後のことだ。

広岡は、どこかで驕りがあった自分を恥じた。褌を締め直さないと。新たな再スタートとなった。

プロの洗礼を受けて目が覚めた広岡は、自らを〝六大学野球のスター〟ではなく〝プロ野球選手〟として一から鍛え直すことから始めた。守備に関してはめっぽう自信があったが、ことバッティングに関してはキャンプ終盤まで打てる気配がなかった。しかし、当時はコーチが丁寧に選手を指導するということもなかった。だからといって指を咥えてじっとしているわけにはいかない。広岡はすがる思いで、三年連続でベストナインを獲得していたショートの平井に教えを請いに行こうと決意した。

◆仁王立ちで広岡を睨み続ける平井に…

平井の部屋の前まで来るやいなや、躊躇なくノックする。

「おう、ヒロ、どうしたんや?」
「打てないんです。教えてください」

広岡は恥を忍んで、平井の部屋の前で頭を下げ続けた。ドアノブを手に困惑顔の平井は、頭を少しかきながらようやく話をする準備を整えた。

「……ボールはホームプレートの上で叩くんや」

広岡がハッとして顔を上げると、平井の厳しい顔が視界に入った。仁王立ちで広岡を睨んでいる。広岡は鋭い視線に負けじと目線を切らず、「もっと教えてください!」と懇願した。

「中へ入れ」

平井は表情を崩さず部屋の中へ手招きをした。運良く同部屋の選手が出かけていたため、座布団を目の前にして遠慮なしにバットを持った。

「ええか、ヒロ、ボールはここで引っ叩くんや」

平井自らバットを持ってミートポイントを指し示す。

「ここまでボールを引きつけたら詰まってしまわないですか?」
「バカタレ! それは自分で考えることや。とにかく、この位置で叩くにはどうしたらええか考えてやってみい」

そう語気を荒げ、平井はそっぽを向いた。それからは何も言わなかった。

広岡は礼を述べて部屋を出てから、平井の言葉を反芻した。
「ボールはここで引っ叩くんや」と平井が指し示した位置は、ベースに差し掛かる部分。バッターボックスの一番後ろに立ったとしても、今までのミートポイントよりかなり差し込まれるような形になる。広岡は、部屋に戻ってからも一人熟考した。つまり、今までのホームプレートの前(投手側)にミートポイントを置く早稲田スタイルだと、プロの投手が投げる伸びのある速球とキレのある変化球にタイミングが合わず身体がつんのめってしまう。

「ギリギリまで引きつけることで、ボールを見極めると同時に重心を残すバッティングをしろという意味か……」

平井のおかげで納得のいく自己分析ができた広岡は、すぐさまバットを持って庭に出た。振り遅れないように、もっともっとスイングスピードを速くせねば。祈りを込めながら何度も何度も確かめるように素振りを繰り返した。引きつけても詰まらないようなスイングをするためには一にも二にも練習しかない。一日に二千の素振りを自分に課した。

◆66年間破られなかった大卒新人の最高打率記録

「全員がひとつの目的に向かって力を合わせなければならない」

父の言葉を胸に目標を立てる意義を肌身に感じている広岡は、黙々と素振りをこなした。

すべては、平井のアドバイスをもとに自らのバッティングスタイルを変えるためだ。早稲田時代まで我流でやっており、指導らしい指導を一度も受けたことがなかった。プロに入ってからもコーチから何かを言われたことはなく、初めてアドバイスをくれたのが平井だった。広岡は、指導されることに飢えていた。そして、スポンジのように吸収した。

オープン戦中盤から難なく引きつけて打てるようになり、一年目から遊撃手のレギュラーに抜擢されるようになった。

「平井さんは心臓弁膜症を患っていて、試合に出ると症状が悪化するからと監督の水原さんは俺を使うようになった」

平井が打撃の手ほどきをしてくれた恩人であるがゆえか、現在の広岡はショートのポジションを「奪い獲った」という表現は決して使わなかった。初めてのシーズンを終え、打率三割一分三厘七毛、ホームラン15本、67打点 。堂々たる成績を残して新人王に輝いた。この新人時代の打率は、二〇二一年にDeNAの牧秀悟(打率三割一分四厘)に抜かれるま で六六年もの間大卒ルーキーの歴代最高打率を誇っていた。

―[92歳、広岡達朗の正体]―



【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。