米ネブラスカ大学での3年間を走り終えた富永啓生(23歳)。“マーチ・マッドネス”とも言われる「NCAAトーナメント」にチームを導くなど、アメリカのカレッジバスケ界で鮮烈なインパクトを残した。NBA挑戦、パリ五輪……大きな一歩を踏み出す夏を前に、日本が誇るシューターが現在地と未来を明かした。インタビューの様子はサブスク「NumberPREMIER」でご覧いただけます。

NBAで6年間も…渡邊雄太への敬意

 3月、富永啓生はNCAAトーナメントに出場していた。ネブラスカ大でのキャリアの最後の戦いの場となったのは、渡邊雄太が所属していたメンフィス・グリズリーズのホームコート、フェデックス・フォーラムだった。

 このときはまだ富永も知らなかったのだが、メンタル的な問題から試合を休んでいた渡邊は、すでにシーズン終了時点でNBAを離れ、日本に戻ることを決意していた。このとき、2人がメンフィスで直接会うことはなかったが、これからNBAを目指そうとする富永と、NBAで6シーズンを戦い終えた渡邊の道が交差したかのようだった。

 NumberPREMIERの取材で富永にインタビューをしたのは、その渡邊がインスタグラムのライブ配信(IGライブ)で来季は日本でプレーすることを発表した3日後のことだった。

 渡邊の決断について感想を聞くと、富永は言った。

「僕もそうですし、こうやって(日本人選手たちが)NBAを目指してる中で、先頭を切って日本人でもできるんだよってところを見せてくれたことが、本当に日本のバスケットにとっても大きかったと思います。こうやって6年間NBAでプレーして、彼のようになりたい自分がやらなきゃいけないことを見せてもらえたので、本当に、すごく尊敬してます。日本代表で一緒にやっていてもリーダーシップとかも本当にすごかったですし、その中でたくさん勉強できました」

 渡邊のIGライブを見た後、富永は渡邊に「お疲れさまでした」というメッセージを送ったのだという。すると、渡邊からはこんな返事があった。

「俺より長くNBAでプレーしてくれよ。まだ日本には入国禁止だからな」

 6年の間、何度も崖っぷちに立たされながら、苦労しながらもNBAを生き延びてきた渡邊からのメッセージは、心に響いた。まるで、バトンを渡されたようでもあった。

「そう言われて、本当に、すごい頑張らなきゃなって思いました。とりあえず自分のできる100%の力を出して、それがどうなるかっていうところで頑張っていこうと思います」と、富永は決意を新たにした。

同志・河村勇輝との情報交換

 NBAに挑むうえでの道を見せてくれたのが渡邊だとすると、同じ道を歩む同志なのが、同年代の河村勇輝だ。

 高校のときからアンダー世代の代表チームでチームメイトとしてやってきた仲間でもある。富永は高校卒業後すぐにアメリカに渡り、アメリカの大学で経験を積むことを選び、河村は日本で高校卒業前から特別指定選手として、さらに2年前からはプロ選手として、日本のトップリーグ、Bリーグで自分を磨く道を選んだ。

 富永は河村にアメリカでの経験を伝え、河村からは日本のバスケ界の話を聞くなど、2人で情報交換し、刺激を与えあってきた。去年夏のFIBAワールドカップでは、2人とも代表メンバーとしてパリ五輪出場権獲得に貢献した。代表の中でも若手2人の仲のよさは、合宿中や大会中にも垣間見ることができた。

 試合中の2人は、まったく正反対の性格に見える。感情豊かな富永と、いつでも冷静でクールな河村。

 そう言うと、富永は「(河村は)特にコート上とかではちょっとクール系のタイプの選手なんで」と言い、「これから、ちょっと僕が変えていこうかなと思ってるんです」と笑った。

 富永によると、河村の素顔はコート上とはまったく違うという。

「ふだんは全然クールじゃないですね。もっとおちゃらけた感じです」

 そんな河村のコート上での感情表現を変えていきたい、と富永が言うのは、アメリカに出てきたときには感情を出したほうがいいというアドバイスなのだろうか。深読みしてそう聞くと、そういった意味はまったくないという。どうやら、仲がいい間柄でのいじり合いの一種のようで、本音では変わる必要はないとも明かした。

「あれはあれで、またいいとは思います。自分のプレースタイルを貫けばいいと思いますし、無理することでは全然ないですし。プレーで見せることだけが一番かなとは思います」

 コート上での性格は違っても、2人に共通するのは高みを目指していく向上心と、どこに行っても負けたくないという競争心だ。

「彼は彼なりに、多分プライドを持ってやってると思いますし、彼も本当に負けず嫌いというところが強いんで。こうやってレベルが上がっていくなかでは負けず嫌いっていうところが一番大事なのではないかなと思っています」

“歯切れの悪さ”で確信した特別な関係

 進路の選択に関して、富永自身は人に相談することはほとんどないという。それでは、先にアメリカに出た先輩として、河村に相談を受けたり、アドバイスすることはあるのだろうか。

「それはあるっちゃありますね。ありますけど、何て言っていいかわかんないですけど、もちろんそういうアドバイスをし合ったりとかはありますね」

 自分のことを話していたときと比べて途端に歯切れが悪くなった。進路について注目を集めている親友がまだ公言しないことを、迂闊に口にできないという警戒からのようだ。

「アメリカの事情を共有したり、日本の状況を共有してもらったりっていうことはしています」

──早く出てこいよ、みたいな感じで誘っている?

「まぁ、ふざけてそうやって言ったりもしますし、ま、いろいろ」

──それに対しての河村選手の反応は?

「ふざけた感じでまた……。なんかちょっと、そんな感じ(苦笑)」

 やはり、歯切れが悪い。2人の関係性を知りたくて聞いたことだったのだが、あえてはっきり語らないところに、信頼関係の強さが感じられた。

 そんな河村も、去年夏のFIBAワールドカップでは熱いガッツポーズを見せた場面もあった。日本代表の先輩たちも、渡邊が雄叫びをあげたり、馬場雄大が号泣したり、みんな、まるで富永の十八番を取るぐらいの感情をコート上で表していた。

「(日本代表は)すごくいい雰囲気だと思います。こうやって日本のバスケのレベルも上がってきて、ワールドカップで勝利ができるようなチームになってきたってのは間違いないです。特に先輩方はなかなか勝てない時期とかもずっと経験してきたうえでのあのワールドカップだったと思うんで。僕たちは本当に初めてだったんで、『嬉しい』のひと言しかないんですけど、たぶん先輩たちからしたら、『やっと勝てた』『まず一勝』っていうのがあったと思います」

 勝てないときを経験したからこそ、成功したときの感情があふれ出てくるし、嬉しさも倍になる。代表としてのチームの戦いでも、そして1人の選手としてのNBAへの挑戦でも、苦しさを乗り越えた先に喜びがある。そしてそんな経験を、尊敬できる先輩や、信頼できる同志と共に分かち合えること以上の幸せはない。

文=宮地陽子

photograph by Reuters/AFLO