戦時中、アメリカ軍の攻撃で沈没した湖南丸の犠牲者の遺族が24日、海鳴りの像を参拝しました。

石垣市に住む山里節子さんの兄・秀雄さんは1943年12月、鹿児島県で少年航空兵の試験を受ける為湖南丸に乗船し犠牲となりました。

少年航空兵は当時、軍事機密とされ乗船名簿に記載されず犠牲者の名前が海鳴りの像に刻まれたのは戦後43年が経ってからでした。

節子さんは去年、兄の名が刻銘されているのを知り24日、初めて海鳴りの像を訪れました。

▽山里節子さん:
「兄と80年ぶりに対面させていただいた思いで、関係者の皆さんに感謝の言葉がありません。(来たことを)喜んでいただけたら私はそれで目的が達せられたかなと思います。」

節子さんは「二度と戦争を起こしてはいけない」と力を込めていました。