閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。
英語では更年期を「The change of life」と表現します。
その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか――。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。

今回お話を伺ったのは・・・
関橋知己さん
1963年東京生まれ。「近所にあったから」という理由で女子美術大学付属中学校に入りそのまま大学へ。外資系広告会社と出版社を経てフリーランスのマーケティングプランナーに。現在は「シモキタ園藝部」代表理事。


多忙な日々の中、難病と更年期が重なり……

偶然がもたらす出来事が、人生を変えることがある。しかし、その偶然は、その人が選んだのかもしれないと思ったりもする。  
 
今回お話をうかがった関橋知己さんの人生もまた、必然のような偶然と、偶然のような必然の綾なす織物だ。
 
20代のころから外資系広告代理店でマーケティングの仕事をしていた知己さんは、その後、小さな出版社を経て、30代半ばになってフリーランスになった。
マーケティングプランナー、編集者、ライターとして、会社に属さなくても働ける、という自覚ができたからだ。

しかし、フリーランスのマーケティングプランナーとして海外出張をするたびに体調が悪くなる。
飛行機に乗るとクラクラして動けなくなるほどだった。

「出張中のミーティングではひたすら耐えていましたね」
体調不良の原因にはシェーグレン症候群や橋本病があり、さらに若年性更年期の症状もあった。

「当時乳がんの疑いがあったのでホルモン剤が飲めませんでした。早めの更年期だったので、このまま老け込んじゃうのかなとも思ったけど、幸いそういうことはなかったみたいです」

偶然見た番組がきっかけで文化人類学に目覚める

外資系の会社は知己さんの性質に合っていたし、マーケティングの仕事もおもしろかった。

体調不良のまま忙しくしていたが、たまたま出張のないある日、「昼間何気なく教育番組をつけたんです。そしたらそれがすごくおもしろくて、文化人類学や民俗学に興味を持ちました。今はリモートワークがあるけど、当時会社に行っていたら昼間っからテレビなんて見ないですよね、フリーだったから見れたんです」

それまでは美術や音楽、演劇に興味を持って、夫婦そろって美術館やライブなどに行って、その方
面の造詣を深めていた知己さんだったが、その日以来、文化人類学関連の本を読み漁り、講演会や勉強会に足を運ぶようになった。

「よくわからないのにクロード・レヴィ=ストロースの本なんかも読みました。夫も私の興味につきあってくれて、2人で学びました」
 
この興味の転換がその後の知己さんのライフワークにつながっていく。

そして、一冊の新書を見せてくれた。40代後半でたまたま見たというNHKの教育番組『私のこだわり人物伝 折口信夫』がベースになった中沢新一著の『古代から来た未来人 折口信夫』(ちくまプリマー新書)だ。

どんぐりから人の心の古層を知る

民俗学や文化人類学の興味を深めていく中で、中沢新一氏が設立した「くくのち学舎」を受講しは
じめる。

そこは「これからの日本に本当に必要なものだけを集めた学校」として、農業、経済、地域社会、新しいコミュニティー、先人の知恵などを学ぶ講座と、座学だけでなく実践活動を行なう場所だった。

その一環で生態学者の宮脇昭氏が提唱していた植樹方法の活動に参加した知己さんは、まずは近所の神社にどんぐりを拾いに行った。

手のひらにいっぱいになったどんぐりの重みを感じ、「お金を拾うよりもうれしかったんですよね」と、知己さんは真顔で言いながら、「なんでこんなにうれしいのかなと考えると、やっぱり人の心の古層、狩猟採集民の本能のようなものなのかなと。そしてどんぐりが育っていくのを見るのもうれしくて、どんぐりを拾って苗木を育成するのにはまったんです」

まったくの都会派だった知己さんは、民俗学や文化人類学を実践的に学ぶことによって、「人間が自然と切り離された暮らしをするようになったのはほんの最近のこと。人には自然に親しむことが必要だ」と、実感痛感した。

難病や更年期にともなう体調の悪さは続いたが、「求めるものがあって、それに向かっていたので、充実していました」

ライフワークは「問題解決」

どんぐりとの出合いの直後、知己さんは、市民の有志団体「グリーンライン下北沢」に参加する。最寄り駅である世田谷代田から下北沢、東北沢の線路跡地の緑化などを提案するグループだ。

「母親ゆずりなんですけど、もともと問題解決が好きなんです。マーケティングの仕事は問題の本質とその解決法をとことん考えて提案します。そんなことを20代半ばからやってきたので、解決すべき問題があるのにほうっておくということはできない。だから、自分に問題がふりかかってもくよくよもしないのですが、それを分析して考え過ぎて疲れるんですよね。まあ、問題解決病です」
 
小田急電鉄、近隣住民、町内会や商店街、世田谷区など、さまざまな立場の利害があるなか、知己さんはその問題解決能力を生かして、キーパーソンとなり、今は「シモキタ園藝部」の代表理事の一人をつとめる。

「シモキタ園藝部」は線路跡地の植栽管理をしながら街の緑を見守る一般社団法人だ。

「今も仕事をしている国際的な広報団体のCEOが、マーケティングプランナーはみんなアクティビストになるね、って言っていたのですが、きっとビジネス上のことだけやっているのには飽き足らなくて、社会の問題解決へと自分の力を使いたくなるのでしょうね」

「シモキタ園藝部」は「街の緑を自分たちの手で育て守る」コミュニティー。

東北沢〜下北沢〜世田谷代田駅間の小田急線が地下化したことによってできた元線路を植栽。その手入れが活動の中心。

現在知己さんは、フリーランスの仕事を縮小して続けながら、それ以外の時間はほぼシモキタ園藝部の活動に費やしている。

発足したばかりの団体で、資金不足であり、適所への人材不足もあって、知己さんが無償で働くことで「問題解決」をしている節がある。事務仕事やミーティングのファシリテーター的な役割だけでなく、植栽管理の現場でも活躍する知己さん。

朝早くから長時間の肉体労働もこなす。

「実は大の運動嫌いなんです。ずっと肩こりと腰痛に悩まされていたのですが、数年前に近所にフィットネスクラブができて、筋トレを含む軽い運動を30分くらいやるようになって、調子がよくなりました。それまで受けていた整体よりも費用も安いし、ある程度筋肉もつきました」

「街の緑にかかわって、それを増やしたい。でも最近、私がやっていることは本質的な自然なのかなという疑問も湧いていて……」。答えのない、自然と人間の関係に真摯に向き合っている。

そのおかげで植栽管理という足腰を使う肉体労働をこなせるようになった。

「更年期の症状もおさまって、緑と触れる活動もあり、どんどん元気になっていきました。でもつい最近風邪をこじらせて倦怠感が抜けなくて、更年期のころの症状が再来したのかもと不安になりました。今は治りましたが、年齢もあるし、忙しすぎるんですよね」
 
たしかに今はシモキタ園藝部が忙しすぎて、例えば「高尾山のほうに行って学びたいことがあるのにいけない」のだとか。将来的には、シモキタ園藝部でのリーダー的な役割を減らして、「もっと本質的な環境改善への自然を読む力をつけたいと思っています」と希望を語ってくれた。それから、

「夫と過ごす時間を増やしたいですね。考えてみれば、これから夫と一緒にいられる時間もそう長くはないのですから」
 
20代で出会って、結婚してから、興味の方向をともに重ねてきた尊敬するパートナー。
これから夫とのかけがえのない時間をいかに過ごすか。
この重要な問題を解決していく中には、知己さんが身につけたいという「ほんとうに自然を読む力」が、含まれているのかもしれない。

〜私を支えるもの〜

「この重み、感触、なにか感じませんか」とうれしそうにどんぐりを手のひらに乗せる知己さん。どんぐりとの出合いが、生態系を大きく見つめるまなざしを作ってくれた。

中沢新一著の『熊から王へ』(講談社選書メチエ カイエ・ソバージュ)は、どんぐりと関係の深い熊が主題の一冊。「原初、神は熊であった」という章がある。
自然と人間の奥深いつながりについて考えるヒントがちりばめられている。「民俗学や文化人類学で影響を受けた本はいろいろありますが、今、熊が問題になっているから、この一冊を選びました」

小型のポータブルオーディオプレーヤーには、知己さんにとっての癒やし系の音楽がまとめて入っている。レッド・ツェッペリンやデビッド・ボウイ、リトルテンポなど、ジャンルもさまざま。
「最近風邪をこじらせて寝付きが悪くて困っていたときに、久しぶりに聴いてみたら、よく眠れました」


撮影/白井裕介 聞き手・文/石田紀佳 編集/鈴木香里

※大人のおしゃれ手帖2024年2月・3月合併号から抜粋
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