キョウエイマーチ快勝の裏には数々のドラマがあった
キョウエイマーチ快勝の裏には数々のドラマがあった

【記者が振り返る懐かしのベストレース】栄光のGⅠ馬へと上り詰めるためにはその過程で様々な困難に直面する。97年のキョウエイマーチも、桜花賞Vまでの道程は苦難の連続だった。

 旧阪神1マイルにおいて克服不可能とまでいわれた大外18番枠に加え苦手の道悪…ライバル・メジロドーベルとの戦い以前にクリアしなければいけない課題が山積みだった。そんな最悪の状況下で鞍上・松永幹が鮮やかなプレーを見せた。

 馬場にノメらないようにとスタートからあえてハミをかけて走らせた。スタンドから観戦していた記者には折り合いを欠いているように見えたが、ハミを頼らせて走ることでノメって不安定になった体のバランスをうまく保たせていたのだ。この好判断が功を奏し栄光のタイトル奪取となるのだが、困難はこれだけではなかった。実は回避もやむなしの最大の危機が前日に起こっていた。

 土曜夜に誤って馬房の壁に激突するアクシデント――。額からまぶたの上にかけて数センチにも及ぶ切り傷を負ったのだ。

「傷がまぶたまで達していたら競走能力に影響するのですぐに獣医を呼んだ。その時点では出走取消という最悪の事態まで考えた。でも、幸いまぶたの手前で傷が止まっていて難を逃れた。正直、どうなるかドキドキしたし、その晩は一睡もせずに様子を見守ったよ」

 レースから数日後、野村調教師が口にしたのは衝撃のアクシデントだった。まさに紙一重でのGⅠ勝利。そんな状況下で2着のメジロドーベルを0秒7ちぎった同馬の強さをレース後、さらに思い知らされた桜花賞でもあった。(2007年4月4日付東京スポーツ掲載)

【1997年桜花賞】「最悪の事態まで考えた」前日にキョウエイマーチを襲っていた〝アクシデント〟

著者:東スポ競馬編集部