国内全市場統一の証券コードが誕生したのは今から60年以上前の1960年10月。証券取引所が清算業務を機械化するにあたり、必要になったようだ。当初は各取引所が独自に主要な上場会社を対象に付番を始めたようだが、他市場との統一コードは大阪、名古屋など5市場が1960年4月に使用を開始、半年後に東京と札幌が合流した(略年表参照)。

統一コードは日本産業分類におおむね準拠する形で作成され、上場会社の業種とコードがひも付けられていた時代が30年以上続いた。

証券コードがいきなり変更された企業も

その日本産業分類が数年ごとに改訂を重ねるため、証券コードも変更せざるをえなかったと思われる現象も起きている。

たとえば、百貨店の高島屋は1949年5月、終戦後の証券市場再開と同時に上場してから今年で満75年。現在のコードは8233だが、会社四季報1971年夏号までは8103だった。それが秋号からいきなり8233に代わっている。百貨店に付けられていた8100番台が一斉に8230番台に代わったのだ。

セイコーグループも1971年夏号まで7761だったが、秋号からいきなり現在と同じ8050になった。この番号はもともと、1963年に上場廃止になった日本事務光機が使っていた番号だ。

この理由を証券コード協議会に尋ねたところ、「当時の資料がなく、確証はないが、日本産業分類上の百貨店の分類が変わり、こちらも変えざるをえなかった可能性がある」という。