「中央大サッカー部×パラダンススポーツ選手」持田温紀さんインタビュー前編

 一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)が3月に都内で開催した「UNIVAS AWARDS 2023-24」では、全13部門で学生アスリートや指導者、団体が表彰された。会場には著しい成果をあげた選手や大学スポーツの発展に貢献した受賞者が多く集まったが、この華やかな舞台に2年連続で、しかも異なる部門でノミネートされたのが中央大学4年の持田温紀さんだ。

 高校1年生の時、自転車事故により脊髄を損傷し車いす生活に。4歳の頃から熱中していた大好きなサッカーができなくなり落ち込む時期もあったが、大学進学後、様々な縁もあって中大サッカー部に入部。チームを支える営業担当として創部以来初のユニフォームスポンサー獲得などの活動が評価され、昨年度のUNIVAS AWARDSで「サポーティングスタッフ・オブ・ザ・イヤー」最優秀賞に輝いた。

 そんな持田さんが2年連続で、今度は“選手”として「パラアスリート・オブ・ザ・イヤー」の優秀賞を受賞した。競技種目は「パラダンススポーツ」。中大サッカー部を支えるスタッフの1人だった持田さんは、なぜ未経験の領域で選手として新たな挑戦を始めたのか。前編ではパラダンススポーツとの運命的な出会いや、競技歴わずか数か月で出場した国際大会での出来事などを語った。(取材・文=THE ANSWER編集部・谷沢 直也)

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「パラアスリート・オブ・ザ・イヤー」の最優秀賞として、パラアイスホッケーの藤原芽花さん(佛教大学アイススケート部)の名前が呼ばれると、受賞を逃す形となった持田さんが壇上で感極まる姿を見せた。1年前の表彰式で初めて知り合い、お互いのスポーツの原点がサッカーであること、学生として過ごす中で車いす生活になるなど共通点が多く、すぐに意気投合。世界を舞台に戦う競技者としての姿はもちろん、パラスポーツの魅力を広める活動に携わるなど「ブレないまっすぐな人柄が本当に素敵で、かっこいいアスリート」という藤原さんの受賞を、我がことのように喜んだ。

 そしてもう1つ、持田さんが流した涙の裏には、1年前から「パラダンススポーツ」の選手として新たな道を突き進んできた日々がある。

 物語の始まりは高校3年のクリスマスに遡る。高1の夏に不慮の事故によって車いす生活となった持田さんは、その日、生まれて初めてパーマをかけた。そして都内のある建物のエレベーターを出たところで、突然声をかけられる。

「パラダンススポーツをやってみませんか?」

 熱烈に勧誘をしてきたのは、一般社団法人日本パラダンススポーツ協会の関係者だった。その場で一緒に写真を撮ったものの、直後に新型コロナウイルスが蔓延し社会活動が制限されたこともあり、それ以降、連絡を取ることはなかった。

 しかし約3年の歳月が経過した昨年、ある懇親会に出席した持田さんは、日本パラダンススポーツ協会の別の関係者と知り合う。中大サッカー部の一員として過ごすなかで、「みんなの熱いプレー、感情をむき出しにする姿を見ていて、もう一度、選手としてチャレンジしてみたいと感じ始めていた」時期だったこともあり、練習場に足を運ぶことになった。

 高校3年のクリスマスに熱烈に勧誘され、その出来事がパラダンススポーツ協会内で共有されていたことを知る。持田さんの存在を認識している人がいたことに運命的なものを感じ、2023年3月5日、「UNIVAS AWARDS 2022-23」で「サポーティングスタッフ・オブ・ザ・イヤー」最優秀賞に輝く前日に新たな挑戦を始めた。

昨年8月に代々木第一体育館で開催された国際大会に出場。パラダンス挑戦わずか5か月で8位入賞を果たした【写真提供:日本パラダンススポーツ協会/イシヅカマコト】

選考会の演技で初めて感じたダンスの楽しさ

 車いす生活になってから知った様々な感情や、大学サッカー部の仲間と得た“熱いもの”を表現したい――。音楽もダンスの経験もないなかでの挑戦は困難を極めたが、大学の授業やサッカー部の活動の合間を縫って練習を重ねていく。

 持田さんの新たな挑戦を、周囲も快くサポートした。パラダンススポーツ協会の施設以外での練習場所を確保するため、出身校である町田市立金井中学校の校長に相談すると「気が済むまで練習を続けなさい」と、日によっては21時頃まで開放してくれた。また、中大1年時に履修した体育の先生は新体操が専門。ダンスを学びたいと相談すると、キャンパス内の施設で特別にレッスンを受けることができた。

 そして初挑戦から約4か月後の2023年6月、持田さんの姿は同年8月に開催される「東京2023パラダンススポーツ国際大会」に向けた選考会の会場にあった。出場する種目は男子フリースタイルのクラス2。「イメージとしてはフィギュアスケートに近い」という競技は、好きな音楽に合わせて車いすを巧みに操作しながら演技をしていく。

 選んだ曲は、SUPER BEAVERの「ひとりで生きていたならば」。初めて聞いた時から歌詞に惹かれ、「サッカーを通した出会いを思い出せる曲なんです。この曲なら自分が何よりも思いを込めて演技できる」と選曲。「パラダンススポーツはクラス分けが2つで、僕が出場したクラス2のほうが障がいの重さは軽いので、全体的にレベルも高いんです」というなかで、持田さんは見事に国際大会出場権を勝ち取った。

「じつは選考会直前にスランプのような状況に陥っていたのですが、本番では緊張もあってか、急にそれまでとは見違えるような熱さを出すことができて、初めて『ダンスは楽しいな』と思うようになりました」

 8月に東京の国立代々木第一体育館で開催された「東京2023パラダンススポーツ国際大会」には、21か国の約100名の選手が参加。「最下位になることも覚悟していた」が、大学の友人などが多く見守るなか渾身の演技を披露し、15選手中8位入賞を果たした。

 そして持田さんにとっては、この大会で忘れられないことがある。それは各国の出場選手と限られた時間の中で交流し、お互いの演技を称え合ったことだ。

試合前日のホテルで各国の選手と交流

 持田さんはサッカー日本代表が強豪ドイツとスペインを破り、ベスト16に進出した2022年カタール・ワールドカップ(W杯)を現地観戦。グループリーグ第3戦の日本VSスペインの試合ではFIFAスタッフから声をかけられ、日本代表の選手とともにピッチへ入場。主将の吉田麻也(現・LAギャラクシー)と肩を組んで国歌斉唱をした姿は、当時大きな話題となった。

 そんな“奇跡”と呼べる出来事とともに、持田さんにとって忘れられない思い出となっているのが、世界中から集まったファンと、カタールW杯の試合会場で交流したことだ。サッカーという1つのスポーツを通じて、言葉や文化の違いを超えて心を通わせることができた体験は、その後の生き方に大きな影響を与えている。

 今回もパラダンススポーツを通じて、世界中の人たちと交流したい――。そんな衝動に駆られた持田さんは試合前日、宿泊先のホテルの食事会場で突如手を叩き出し「みんなで一緒に歌おう」と誘った。

「ピカチュウソングをみんなで一緒に歌ったんです。そうしたら海外の選手が僕のことを面白がってくれて。僕は全然期待される選手ではなかったのですが、試合当日は海外の選手たちも僕の演技を見に来てくれて盛り上げてくれました。そうした交流が僕の気持ちをより高め、演技に想いを込めることができたのだと思います」

 演技後、代々木第一体育館で多くの友人やパラダンススポーツの仲間から拍手を浴びる持田さんは、1人の選手として誰にも負けない輝きを放っていた。そしてこの大会で8位に入賞したことで、4年ぶりの開催となったパラダンススポーツ世界最高峰の大会、2023年11月にイタリア・ジェノバで行われた世界選手権への出場が決定する。

「競技は違えど、まさか自分が日本代表の選手としてイタリアへ行き、カタールW杯のちょうど1年後にワールドチャンピオンシップス(世界選手権)の舞台に立つとは……」

 前向きな挑戦が、新たな奇跡を呼び込んだ。

(THE ANSWER編集部・谷沢 直也 / Naoya Tanizawa)