1951年に登場したホンダ「ドリームE型」は、1949年に本格的なバイク生産が始まり、次の新型として4ストロークエンジンを搭載していました。戦後の不況や朝鮮戦争の好景気などに翻弄されながら国産バイクのトップセラーとなり、ホンダ躍進の力となりました。
バイクメーカーが乱立する中、4ストロークOHVで勝負したホンダの躍進
1949年に「ドリームD型」で本格的なバイクの生産を開始したホンダが、1951年に発表した第2弾となるモデルが「ドリームE型」です。
3月にホンダの創業地である浜松から東京工場にエンジニアを呼び寄せ、5月に「ドリームE型」の設計図が完成します。伝説と呼ばれる箱根越えのテスト走行が行なわれたのは7月で、10月には発売されているので、ものすごい開発スピードだったことが分かります。
「ドリームE型」は、D型と同じく鋼板パネルをプレス成形したチャンネル型フレームでした。チャンネルとは「コの字」型の部材を意味しています。コの字型なので表側には広い平面があり、裏側は解放形状で、角型パイプではありません。
このチャンネルフレームは戦前の日本車にも存在しており、ホンダ独自の製法というわけではありません。採用した理由は、戦後の物資不足で質の良い鋼管パイプが手に入りにくい事と、生産工程の合理化やスピードアップでした。
すでに確立された製法を選んだわけですが、エンジンのダイキャスト製法と同じように大量生産を念頭に設計されていました。
ホンダはこの「ドリームE型」で、ついに4ストロークエンジンを開発します。第2次世界大戦以前は、概ね海外メーカーからライセンスを取得して生産した大型バイクが4ストローク、国内メーカーの小型バイクが2ストロークという住み分けでした。
ホンダの創業者である本田宗一郎は、静かで排煙の出ない4ストロークエンジンでの開発を希望していましたが、自社の設計生産能力が熟しておらず「ドリームD型」までは2ストロークエンジンを使用していました。
戦後の数年で乱立したバイクメーカーが、競うように小型車にも4ストロークエンジンを採用しました。ホンダが先んじてというわけではありませんが、「ドリームE型」で念願の4ストロークエンジンの生産にこぎつけたのです。
4ストロークエンジンの最も単純な構造は、SV(サイドバルブ)方式です。コストが安く、製作が容易ですが、現代の目線で見ると過去のエンジン構造です。4ストローク化された日本車は、まだこのSVエンジンが多数派でした。
一方「ドリームE型」の新型エンジンは、排気量146ccの4ストロークで、当時の最新メカニズムである、バルブをシリンダー上部に設置するOHV(オーバーヘッドバルブ)方式を採用しました。
当時はこの排気量でOHVは製作が難しく、ここではホンダがリードしていました。SVエンジン勢と比べると「ドリームE型」の方が馬力があり、最高速は75km/hとなっています。
D型で不評だった半自動クラッチも、「ドリームE型」では左手側にクラッチレバーを配置した、通常の2段変速の乾式多板に変更されました。
発売当初から好評を博した「ドリームE型」は、1950年台前半のホンダの主力製品として、モデルチェンジを繰り返しながら販売を継続します。リジッドだったフレームにリアショックが追加され、エアクリーナーボックスも設置されます。フレーム寸法の変更やスピードメーターの装備、後期モデルでは排気量が220ccまで拡大されました。
「ドリームE型」は1951年10月に発売され、翌年には月産500台となり、さらに3段変速モデルは月産2000台と大ヒットを記録します。発売3年後には年間3万2000台と、国産バイクのトップセラーモデルとなりました。
■ホンダ「ドリームE型」(1951年型)主要諸元
エンジン種類:空冷4ストローク単気筒OHC2バルブ
総排気量:146cc
最高出力:5.4PS/5000rpm
最大トルク:1kg-m/3000rpm
車両重量:82kg(乾燥)
燃料タンク容量:7L
フレーム形式:チャンネル型プレスフレーム
【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)
※2023年12月以前に撮影