平安ブームにとどめを刺す超大作

 大河ドラマ「光る君へ」の影響で、いま、書店は紫式部や「源氏物語」の関連書であふれかえっている。ちょっとした「平安ブーム」の様相ですらある。

 それらのなかで、ある“超大作”が、ひときわ異彩を放っている。帚木蓬生著『香子 紫式部物語』全5巻(PHP研究所)だ。昨年12月から刊行を開始し、最終巻がこの4月25日に刊行、ついに完結した。

 なにしろ四六判ハードカバーで、各巻450頁超、3〜4cmの背幅だ。これはレターパックライトでは郵送できない(厚さ3cmまでなので)。全5巻で計「2544頁」、積み上げた高さは「17.5cm」、総重量は「約2.7kg」におよぶ。現在、日本の新生児の平均体重は約2.9kg。要するにこの全5巻は、生まれたばかりの赤ちゃんとおなじ重さなのだ。

 編集担当にうかがうと、原稿は400字詰めで「4365枚」! 実に170万字を優に超える(ちなみに「源氏物語」原文を、現在の400字詰めに換算しても2400枚前後である)。

 それが雑誌連載ではなく「書き下ろし」、しかもパソコン原稿ではなく「肉筆」だというのだ。書店にならぶ本の多くが「一冊でわかる源氏物語」「漫画で学ぶ紫式部」などの“軽快路線”だというのに、この“超重厚路線”には驚かされる。著者は医療サスペンスなどで熱烈なファンをもつベテラン、帚木蓬生さんである。さっそく全5巻を読破したという、あるベテランの文芸編集者に感想を聞いてみた。

「いやもう、圧巻のひとことでした。巻を措くあたわずとは、まさに本作のことだと思いながら、この数か月、至福の時間を過ごしました」

 まずは、帚木蓬生さんとは、どういう作家なのか、あらためて解説してもらおう。

ファンが待ち望んでいた作品

「帚木さんは福岡生まれ。東京大学仏文科を卒業後、TBSに入社しました。しかし医学への思いを捨てきれず2年で退社、九州大学医学部へ入学〜卒業し、精神科医となるのです。病院勤務を経て、つい昨年までクリニックを開業していました。その一方、はやくから執筆活動もはじめており、医師と作家の二足の草鞋をはいてこられました」

 本格デビュー作は『白い夏の墓標』(新潮文庫)。1979年のことだった。

「これは、あるウイルスをめぐる医療サスペンス風の、壮大な人間ドラマです。先年のコロナ禍の影響か、ふたたび注目を浴び、ここ数年、増刷がつづいて“復活”しています」

 その後、『三たびの海峡』(吉川英治文学新人賞)、『閉鎖病棟』(山本周五郎賞)、『逃亡』(柴田錬三郎賞)、『水神』(新田次郎文学賞)、『守教』(吉川英治文学賞)などの名作を続々発表した(以上、すべて新潮文庫)。

 作品には医療サスペンス系が多いが、本格歴史小説も手がけてきた。

「『国銅』は奈良の大仏造営をめぐる歴史ロマン。『水神』は江戸時代、筑後川の大石堰工事にまつわる涙の物語。『守教』は隠れキリシタンの苦難の歴史。すべて医療サスペンスとは異なるジャンルですが、基本は共通しています。歴史や偏見に翻弄され、抗いながら真摯に生きる人間の姿です。そこには常に帚木さんならではの、温かい視点がある。よって医療系、歴史系の双方とも好きだという読者が多いんです」

 今回の「香子 紫式部物語」は、もちろん歴史系だ。

「実は、むかしからのファンは、“いつ帚木さんは『源氏』を手がけるのだろう”と、待ちに待っていたのです。なぜなら、ペンネーム〈帚木蓬生〉(ははきぎ・ほうせい)は、『源氏物語』第2帖〈帚木〉(ははきぎ)と、第15帖〈蓬生〉(よもぎう)からとられた、それほどの『源氏』ファンなのですから」

 ということは、まさに“満を持して”世に出たことになる。いったいどんな小説なのだろうか。読みどころなどを文芸編集者氏に解説してもらおう。

「まず、全5巻=2500頁超とあって、たじろぐ方が多いと思います。しかし、小説を読みなれた方なら、ましてや『源氏物語』や、紫式部などの平安文学に興味のある方であれば、まったく心配いりません。なぜなら、意外と細かく章立てされていて、後記も含めると全64章で構成されているんです。長短あるものの、平均すると一章が30頁程度ですから、とても読みやすい。連続ドラマを観るような、あるいは雑誌連載を読むような感覚で、どんどん読み進めることができます」

 次が、『源氏物語』現代語訳の部分。

「本作は基本的に、香子(紫式部)の生涯を描いた“小説”です。幼少期より、和歌どころか漢文も理解する才女でした。父親は教養あるひとでしたが、散位(役職のない“無職”官僚)なので、決して豊かではなかった。そこで香子は、常に自分が家族を支えなければとの意識をもっていました。このあたりは明治時代の樋口一葉を思わせます。そして第1巻第9章〈越前下向〉で、越前守に赴任する父に同行します。越前は、貴重品だった紙(越前和紙)が豊富に手に入る環境でした。そして第11章〈起筆〉から、いよいよ“源氏のものがたり”を書きはじめます」

 彼女には仲のよい姉がいたが、病弱で早世してしまう。

「この姉が亡くなる間際、香子に向かって『いつの日か、あれ(蜻蛉日記)を超えるものを書いておくれ。香子ならきっとできる』と言い残します(第6章〈出仕〉)。涙なしでは読めない名場面ですが、香子は、このことばを糧に、新しいものがたりを書きはじめるのです」

 ここからは、『源氏物語』の現代語訳と、香子の生涯が並行して綴られる。

「ここが本作の最大の魅力です。香子が『源氏物語』を書く様子が描かれ、そのまま“劇中劇”のように、その『源氏』の現代語訳が挿入されるのです。つまり、わたしたちは、紫式部の生涯や、当時の平安貴族たちの生活を“小説”として楽しみながら、『源氏』が書き上げられる過程に立ち会うことになります。この現代語訳が、とてもわかりやすい。いままで『源氏』を完読できなかったひとも、これなら最後まで読み通せるはずです」

 いわば“一粒で二度おいしい”アーモンド・グリコのような作品というわけだが、この編集者氏は「いや、二度ではなく、三度おいしい作品です」というのだ。

決して飽きのこない見事な構成

「というのも、ひとつの帖を書き上げるたびに、香子は、家族や周囲のひとたちに読ませるのです。するとみんな、とても面白がって、いろいろな感想を述べる。たとえば父は『全く「長恨歌」を下地にしながら、我が国のものにしている。実に面白かった』という。母は『この若宮が先々、物語の柱になっていくのだろう』と、ストーリーを先読みする。彼らの感想が、そのまま『源氏物語』解説になっており、自然と理解が深まるのです」(第1巻第11章〈起筆〉)

 そのほか、周囲から「まだ若いころの光源氏の恋を描いた帖があるのではないでしょうか」と聞かれ、香子は「はい、ありました。(略)でも破棄しました」と答える。なぜなら「こんな冒頭の物語は、ぼかすに限ると思ったからだ。(略)そこは、読む人の想像に任せた方がよいと、心に決めたのだ」。逸失したといわれている帖〈輝く日の宮〉破棄の“真相”である(第2巻第27章〈賀茂祭〉)。

 また、第50帖〈東屋〉が「地の文に比べて対話と心中を吐露する文章が多くなった」理由を、香子自身が独白する。まさに紫式部の小説技法が明かされる迫真の一節だ。いかに、それ以前の物語にない画期的な手法であったかが述べられる。要するにここは、帚木さんならではの“小説創作論”でもあるのだ(第5巻第58章〈小少将の君没〉)。

 さて――紫式部は、藤原道長の長女・彰子が、一条天皇の中宮(皇后)となった際、女房(家庭教師的な秘書)として仕え、宮中に入る(第2巻第24章〈再出仕〉)。以後、「源氏物語」は、宮中にも読者が増える。

「いうまでもなく、当時は印刷もコピーもありませんから、肉筆で書写するしかなかった。本作では、多くのひとたちが争うようにして『源氏物語』のオリジナル原稿を入手し、次々と書写して読む様子が描かれています。なるほど、当時の貴族たちは、このようにして“読書”を楽しんでいたのかと、微笑ましくなるでしょう」

 そんな宮中の読者のひとりが、当時の代表的なインテリで名書家でもあった、藤原公任だった。

「当初は女房たちが書写していましたが、最後には藤原公任が最初の読者となり、まず公任が読み、書写してから、次に女房たちが書写するようになります。そして香子は、この公任を第一読者と想定して、最終部分を書くのです」(第5巻第58章〈小少将の君没〉)

 そして香子はこう決意する――「源氏の物語も、もはやあと一帖だ。ここは真直ぐ、藤原公任様に向かって書くつもりだ。あなたが残した『和漢朗詠集』や『新撰髄脳』に比肩しうるものを、一介の女が遂に完成させたのだと、胸が晴れる結末にする」(第5巻第61章〈賢子出仕〉)。

「現代語訳の合間に、こういう具体的な執筆裏話が登場するので、飽きる暇がありません。次の帖は、どんな内容になり、周囲はどう読むのか、それこそ帚木さんお得意のサスペンス的な雰囲気さえ漂っています」

 さて、そろそろ、著者の帚木蓬生さんに登場していただこう。

新たにわかった資料や研究も駆使

「いまから11〜12年くらい前、PHP研究所の編集の方が、わざわざ九州まで見えられて、『ぜひ源氏物語を題材にした小説を書いていただけないか』と相談されました」

 と、帚木さんが回想する。ただしこのときの依頼は「歴史ミステリ風に」との話だったという。

「しかし、せっかく書くのですから、紫式部がどうやって『源氏物語』を書いたのかを作家の視点で描き、さらに『源氏』そのものの面白さも、両方描きたかった。そこで、こういう二重構造の小説にしたのです」

『源氏物語』部分は、全文を完全訳で挿入した。それどころか、作中に登場する約800首の和歌も、すべて入っている。

「いままで、多くの方々が現代語訳を手がけていますが、そのどれも、意訳だったり改変だったり、独特な解釈を加えています。この現代語訳は、まったくシンプルな直訳です」

 ただし、小説部分に登場する和歌や漢詩には、一部、帚木さんの創作もあるという。

「もし、ヘタクソな和歌や漢詩が出てきたら、それは私の作だと思ってください(笑)」

 具体的な構想に入ったのは10年前だった。

「小説部分、特に紫式部の生涯にかんしては、もちろん細部は私の創作もありますが、意外と史実に即した部分が大半なんですよ。たしかに紫式部は本名もわかっていない、不明な点が多い女性といわれてきました。しかし近年、かなり研究が進んで、いろいろとわかってきたこともある。それらの資料を十分に入れ込んでいます。たとえば、彼女の名を『香子』としたのは、歴史学者の故角田文衛さんの説を取り入れた結果です」

 第5巻の巻末にある参考資料一覧だけでも5頁、80数点におよんでいる。

 全体は香子の一人称で進行するが、あまり「わたし」の主語は出てこない。そのため、“手記”スタイルのはずなのに、客観的な三人称のような雰囲気で読める。

「実は、以前に書いた『逃亡』も一人称スタイルだったのですが、『私は』は最後の一文まで出しませんでした。できれば今回もそうしたかったのですが、さすがにそうはいかず、時々『わたし』といわせています」

 最終的に本格執筆に入ったのは、コロナ直前の2019年ころだった。

「2024年前半の刊行を目指して、クリニック診療のかたわら、毎朝2時間ほどを費やして書きつづけました。そうしたところ、2022年5月、担当編集者が『先生、たいへんですよ! 2024年の大河ドラマ、紫式部ですよ!』と電話してきて、私も驚きました。いま本書が書店に並んでいるのを見て、私が大河ドラマに便乗して出版したと思っているひとがいるかもしれませんが、こっちが先なんです(笑)。そもそも、あんな分量、すぐに書けるわけありません。校正だけで1年かかりましたから」

 この超大作を書き上げて、「やはり紫式部はすごい女性だ」との思いが強いという。

「『源氏物語』には25名ほどの女性が登場しますが、紫式部は全員を見事に描き分けています。美人もいれば、赤鼻の末摘花、高齢ながら色好みの源典待など、容姿や年齢も幅広い。しかも当時の女性の哀しみも、ちゃんと書き込んでいる。見事としかいいようがありません」

 作中、「源氏物語」を熱心に読んでいた藤原公任だが、なかなか感想を口にしない。それが、完結後、ついに中宮・彰子から、公任の言葉が伝えられる――「あの源氏の物語は、必ずや千年、二千年、いやこの日の本の国がある限り残るでしょう」と。香子は涙を流し頭を下げる。全54帖完成記念に中宮・彰子が贈った記念の品は……それは、第5巻を読んでのお楽しみ。

 最後に、帚木さんに、大河ドラマ「光る君へ」の感想を聞いてみた。

「観てないんですよ。だって、なにやら町娘のような女性に描かれているというじゃありませんか。彼女はアカデミアの世界の、学究のひとです。わたしの小説でも、中宮・彰子に、白楽天の『新楽府』をご進講するシーンがあります。当時の女性が、生半可な知識や教養でできるはずありません。小説では香子が若いころ、具平親王の家に出仕し、そこで『新楽府』の研究をする設定にしました。幼少時代から、この種の経験がまちがいなくあったひとなんです。なのに町娘にしたのでは、観る気になれませんよ」

 大河ドラマは今年いっぱいで終わるが、帚木蓬生著「香子 紫式部物語」は、これからも読み継がれていくだろう。藤原公任が口にした「千年、二千年残る」とは、もしかしたら、帚木作品のことかもしれない。

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部