2008年には「近代化産業遺産」に認定

 近年、マニア筋から熱い視線を集めている廃鉱山がある。

 鳥取県日野郡日南町。広島県、岡山県、島根県と県境を接する町の山中、標高770メートル付近。ふもとの県道から分岐する細い山道を車で10数分登ると、突如として古びた建屋が姿を現す。“天空の要塞”こと「若松鉱山」だ。【華川富士也/ライター】

 ***

 若松鉱山はかつて「クロム鉱石の産出量日本一」の山として知られていた。1905年から95年まで稼働し、ここで採れたクロム鉱石は耐火レンガの原料となって、セメントを製造する焼成窯(キルン)や製鉄所の溶鉱炉の内側に用いられた。

 製鉄所で造られた鋼材は自動車の製造などに使われ、日本が絶好調だった昭和時代、製品は次々と輸出されて外貨を稼いだ。セメントは増え続けた工場やオフィスビル、団地、マンションなどに使われ、工業と街の発展を支えた。つまり日本の近代化に欠かせなかった重要な鉱山だったわけだ。2008年には経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されている。

「若松鉱山」にあって、「軍艦島」にないもの

 閉山から約30年、山の中でひっそりと余生を過ごす間に、山陰地方ならではの厳しい気候にさらされて、屋根はあちこちが崩落した。その穴が開いた屋根の下には貴重なモノが眠っている。当時の選鉱場が全量クラッシャーや比重選鉱機「ハルツジッガー」といった破砕機や選鉱機と共にそのまま残っているのだ。

 選鉱場とは、採掘された原石から必要な鉱石を取り出すための機械類が置かれた場所。ここでは100メートルの高低差を利用して選鉱を行っていた。

「で、その機械がなぜ貴重なの?」と思う人もいるかもしれない。置き去りにされた30年以上前の古い機器だ。おそらくこれからも使われることなどない。いったい何がどう貴重なのか。

 ここでは廃鉱山として最も有名な軍艦島を引き合いに出して説明しよう。長崎港から船に乗ると、しばらくして海上にコンクリートのビル群が見えてくる。ドルフィン桟橋で船を降り、島に上陸すると、目に入るのは住居跡などのコンクリート建造物と赤レンガの壁だ。この赤レンガは世界遺産の構成要素であり、またコンクリート建造物の中にも「30号棟」という日本最古の鉄筋コンクリート造アパートがあって、島の最大の見どころとなっているが、それはいったん置いておく。その景色の中からごっそりとなくなっているものに気づくだろうか。炭鉱にあるはずのものがないのだ。

「ここに来れば鉱石の精製プロセスが理解できる」

 実は軍艦島には採掘関連の機械類が残っていない。閉山後に設備が他の炭鉱に移されたためで、軍艦島だけでなく、日本のほとんどの鉱山は役割を終えると設備を撤去してしまった。

 しかし若松鉱山は設備がそのまま残された。それがいかに貴重かを、産業遺産の保存活動を続けるNPO法人「J-heritage」代表の前畑洋平氏はこう説明する。

「ここに来れば鉱石の精製プロセスが理解できる、それほど機器が残されています。機械もある選鉱場建屋で、後世に残せそうなのは、若松と足尾銅山ぐらいです」

 この国にはたくさんの鉱山があったが、閉山後に機械類がここまで現役時代に近い状態で残っているのは、実にレアなことなのだ。ゆえに「是非、保存プロジェクトに繋げたいと思っています」という。現地では若松鉱山の保存に向けた動きも始まっている。

「熱心な若い保存会メンバーがいて、きめ細かく見学希望者の対応をするなど、めちゃくちゃ頑張られています。町で保存・活用に向けた検討が行われています」

 昨年10月には日南町で「廃墟景観シンポジウム vol.2」が開催された。このシンポジウムをきっかけに、若松鉱山はテレビ、新聞、雑誌、webなど様々な媒体で取り上げられ、一気に知名度を上げた。

 日本の近代化と昭和の隆盛を語る上で忘れられない若松鉱山。活用への取り組みは始まったばかりだが、その秘めたるポテンシャルから、整備して観光地化を進めれば、将来、再び地域を盛り上げる存在になるのは間違いない。

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部