「早期発見・早期治療」から「早期予見・早期予防」へ――。今後、アルツハイマー型認知症の治療が大きく前進するとみられる中、重要なのは「予防策」を講ずることだと、順天堂大学名誉教授の新井平伊氏は説く。以下の「7項目」を今すぐチェックすべきだ、と。

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 2025年には65歳以上の5人に1人が認知症――。15年1月、厚生労働省は、認知症の人が自分らしく暮らせる社会の実現を目指した「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を発表しました。その中で触れているのが冒頭の数字。福岡県で行われている大規模疫学研究「久山町(ひさやままち)研究」のデータがもとになっています。

 久山町研究では、「健常高齢者が生涯に認知症になる確率は55%」という試算も14年に出しています。つまり高齢者夫婦のどちらか片方は、やがて認知症になるということ。

 もはや誰が認知症を発症してもおかしくない。だからこそ、みなさんに実践していただきたいのが、認知症の予防策です。これまで認知症は、「早期発見・早期治療」の考えのもと、早く見つけて早く治療を始めることが重要とされてきました。これは発症後の対応です。しかし今は、敵の正体を知り、迎え撃つ時代。やるべきことは、「早期予見・早期予防」なのです。

「やっと夜明けがはっきり見えてきた」

〈順天堂大学医学部名誉教授の新井平伊(へいい)氏は、「アルツハイマー病研究者世界トップ100」の38位に選ばれたこともある認知症治療の第一人者。順天堂大学医学部附属順天堂医院退職後の19年からは、「アルツクリニック東京」の院長を務める。

 同クリニックでは開院時(18年)に一般医療機関では珍しかった、アルツハイマー病の原因物質の蓄積量を調べる「アミロイドPET検査」を導入。認知症発症“前”から介入し、発症に至らないよう手を尽くす。早期予防の一環として、認知症予防を目的とする「健脳カフェ」も産官学連携で設立。認知症の人やその家族らを主な対象とする認知症カフェと異なり、対象の中心は、年間10〜15%は認知症に移行するといわれる軽度認知障害(MCI)と診断された人、物忘れが気になり始めた人、認知症予防に興味がある人などだ。専門医が常駐し、認知症予防プログラムの効果を検証してエビデンス(科学的根拠)を発信している。〉

 23年12月20日から「レカネマブ」というアルツハイマー病の新薬が保険適用となりました。

 認知症の約7割を占めるアルツハイマー病に対し、これまで病気の進行を止める薬はなく、あるのは症状を緩和する薬だけ。その効果も10カ月ほどしか持ちませんでした。

 一方、レカネマブはアルツハイマー病の原因物質アミロイドβを除去する薬。アルツハイマー病の発症の流れは後ほど詳しく説明しますが、これまでできなかった「原因物質除去」という作用によって、臨床試験では、症状の悪化を27%抑制、期間に置き換えると7カ月半遅らせることができました。

 臨床家の私としては「症状の悪化27%抑制」というのは効果が弱いと思わないでもありません。しかし、「やっと夜明けがはっきり見えてきた」とはいえます。アミロイドβへ働きかける薬の研究は各製薬会社がしのぎをけずっており、今後レカネマブ以上の効果をもたらす薬も登場するでしょう。

12のリスク因子

 そこでますます重要になってくるのが「早期予見・早期予防」です。レカネマブや、レカネマブに続いて承認されるであろう新薬は、アルツハイマー病の前段階であるMCIと、アルツハイマー病の軽症患者さんが対象。進行したアルツハイマー病の患者さんは対象となっていません。遠くない未来、アルツハイマー病の治療は大きく前進するとみていますが、その恩恵を受けるためには、今できる予防策を一つでも取り入れること。備えあれば憂いなし、なのです。

 では、何をすればいいのか? 20年、世界的に権威ある医学誌「ランセット」に、認知症のリスク因子が掲載されました。それは、難聴、頭部外傷、高血圧、糖尿病、過度の飲酒、肥満、運動不足、社会的孤立など12項目にわたり、これらをすべて改善することで発症を40%予防できるとしています。

 認知症の研究は国内外で盛んに行われており、「ランセット」の12のリスク因子のほかにも、発症予防に役立つ行動、食事、生活習慣などが発表されています。

生活習慣の改善で仕事復帰が可能に

 私の患者さんには、MCIと診断されたことをきっかけにエビデンスに基づいた予防策を取り入れるようになり、現状維持どころか認知機能が改善した方が少なからずいます。

 当時51歳の大学教授はひどい物忘れがあり、ある認知症専門病院で画像検査などを経て若年性アルツハイマー病と診断されました。セカンドオピニオンを求めて私のクリニックを受診。最初の病院で「5年後には介護を受ける手配も考えてください」と言われたそうで、この先を絶望視されていました。

 話を伺うと、毎晩かなりの量のワインを飲むとのこと。また、アミロイドPET検査では、アミロイドβの蓄積は認められませんでした。そこで、断酒・節酒を含んだ生活習慣改善の具体的なポイントを伝えたところ、物忘れがなくなり、元気に仕事へ復帰されたのです。もし過度の飲酒を続けていたら……。認知症のリスクはもちろん、ほかの病気のリスクも高くなっていたでしょう。

40〜50代がドミノ倒しの始まり

 アルツハイマー病は、25〜30年という長い年月をかけて発症に至ります。それは、ドミノ倒しに似ています。始まりは、“脳内のゴミ”に例えられるアミロイドβが何らかの理由で分解、排出されなくなり、くっつき合うこと。それがタウというタンパクの蓄積・凝集を招き、神経細胞が変性し死滅。認知機能低下の症状が出てくるのです。

 一般的な認知症の発症が65歳以降であることを考えると、40〜50代がドミノ倒しの始まり。認知症というと随分先のように感じるかもしれませんが、予防策を取り入れるタイミングは「今」です。

 とはいえ、やるべきことがたくさんあり過ぎると、人は実践を後回しにしてしまうもの。選択肢が多いほど選べなくなる心理現象を示した「決定回避の法則(ジャムの法則)」もあります。そこで厳選した「今すぐやるべきこと」を紹介しましょう。

アプリでも聴力チェックが可能

【聴力をチェック】

 子どもたちが聞こえると言っている「20代」の音が、私には聞こえない――。数年前、こんな投稿がTwitter(現X)にアップされ、話題になったのがパナソニックのウェブサイト「聞こえチェック」。

 聴力は加齢で低下します。聞こえなくなるのは、高音域から。このサイトでは10段階の音域が流れるようになっており、20代の目安が1万9000ヘルツ、30代の目安が1万7000ヘルツ……というように、年代ごとの「聞こえる音域」が記載されています。

 同様のサイトやアプリは複数登場しています。いずれも診断用の聴力検査ではなく、聴力を詳細に調べるには耳鼻咽喉科を受診しなければなりませんが、こういったサイトやアプリの利用で、自分の聴力が年代相応か、それ以下なのか、見当をつけられます。

「ランセット」誌の認知症リスク因子12項目のうち、最も認知症への影響が大きいとされたのが難聴です。頭部外傷が3%、高血圧が2%、喫煙が5%とされる中、難聴は8%。難聴があると周囲とのコミュニケーションも難しくなるでしょう。それによって起こり得る社会的孤立もリスク因子12項目に入っており、その影響は4%となっています。

 聴力が衰えているなら、補聴器で聴力を補う。「若いから聴力は大丈夫」とは言えません。ヘッドホンやイヤホンの使用で、聴力低下の若者が増加傾向にあるのです。こういった音響性聴器障害(または騒音性難聴)は二度と回復しません。早めに気づき、対策を講じることは聴力を守り、認知症予防になります。

大股で歩く

【血圧を測定する】

 血圧は、家庭用血圧計で測定できますし、スマートウォッチなら血圧測定機能がついていることもあります。薬局など無料で利用できる血圧計を設置しているところでも測定可能です。

 そして高血圧であれば、高血糖(糖尿病)、高コレステロール(脂質異常症)の可能性も高い。高血圧のリスク因子は加齢、適切でない食生活、肥満、喫煙、運動不足などですが、これらは糖尿病、脂質異常症のリスク因子でもあります。

 高血圧、糖尿病、脂質異常症は動脈硬化を引き起こし、脳梗塞や脳出血のリスクを高め、血管性認知症の原因になります。自覚症状に乏しいので、数値を測定しないと分からない。高血圧、糖尿病、脂質異常症であれば、速やかに治療を受けなくてはなりません。

【大股で歩く】

 国立環境研究所の谷口優主任研究員が、歩幅に関する研究結果を発表しています。それによると、歩幅が狭い人は広い人に比べて認知機能が低下しやすい。歩幅が特定の脳の部位の大きさや血流の状態と関係しているため、歩幅を広げれば脳が刺激され、活性化が期待できる、というのです。

 姿勢を正し、腕を振って大股でさっさと歩けば、ブラブラ歩くより消費カロリーが増えます。下肢の筋肉が鍛えられ、基礎代謝が上がり、太りにくくなる。認知症のリスク因子である中年期の肥満解消を目指せます。

ながら作業の重要性

【ながら作業を増やす】

 近年、デュアルタスク、つまり「AをしながらBをする」といった「ながら作業」が認知症の予防策として注目を集めています。

 国立長寿医療研究センターが開発した「コグニサイズ」は軽い運動をしながら計算やしりとりをするプログラムですが、運動と認知トレーニングの組み合わせで、MCIの段階から認知機能が低下するのを抑制できることが示唆されています。

 前項の「大股で歩く」に「歌を歌いながら」「おしゃべりをしながら」を加えると、脳へより刺激を与えられます。ただ、やるなら楽しい内容で。「せっかくなのでウォーキング中に苦手な英単語を覚えようと頑張っています」なんていうのはお勧めできません。気乗りしないことを無理にやるとストレスになり、脳に悪影響を与えます。

寝る前にスマホを触らない

【スマホを寝室に持ち込むのをやめる】

 スマートフォンやパソコンの画面が発する強い光を夜に浴びると、活動時に働く交感神経が優位になり、目がさえて眠りづらくなります。加えて睡眠ホルモンとも呼ばれるメラトニンの分泌が抑制され、体内時計が乱れて睡眠の質が下がります。

 理想は、夜間はスマートフォンやパソコンを見ないこと。しかし、仕事などで難しい人もいるでしょう。せめて、寝室に持ち込むのはやめるべきです。

 睡眠と脳は非常に深い関係があります。ラットを使った動物実験で、睡眠時間を短くすると脳にアミロイドβがたまることが分かっています。人間でも、一晩の寝不足でアミロイドβの蓄積が増えるという報告があります。

 他に「寝具や寝室環境の見直し」「睡眠直前の食事をやめる」「寝る前に軽いストレッチをする」「朝起きたら太陽の光を浴びる」なども、睡眠の質を高めることに役立ちます。

食事と認知機能の関連

【食事の品数を増やし、食卓を彩りよく】

 認知症予防の食事としてエビデンスがあるのが、地中海沿岸の国々で伝統的に食べられている地中海食。

 では、日本食はどうなのか? 国立長寿医療研究センターが、日本人のエビデンスを得るために食事と認知機能の関連を横断的に検討し、結果を発表しています。それによると「DHAの血中濃度が高い=魚をよく食べている」「乳製品やココナツミルクに多い短鎖脂肪酸・中鎖脂肪酸の摂取が多い」「緑茶を日常的に飲んでいる」「アミノ酸摂取量が多い」人は認知機能が保持されている――。

 いずれも日々の食事に取り入れたいポイントですが、同センターの研究結果には、もっと簡単に、今すぐ取り入れられそうなものがありました。それは「さまざまな食品群をバランスよく食べている食の多様性が高い人ほど認知機能が低下しにくい」というもの。

「食の多様性」はつまり、さまざまな料理を食べているということ。「パンとコーヒー」ではなく、「ご飯、みそ汁、サラダ、煮物、納豆、緑茶」といった具合です。研究では「主食も、混ぜご飯やオムライスなど具材入りで、サラダや煮物、汁物は具だくさん」が良いと報告しています。

「食の多様性」を実現するには、献立を考える、食材を買いに行く、料理を作る、余った食材の使い道を考える……と脳を働かせなければなりません。自炊派でなくても、多種多様な料理を食べるために、どこで何を買うか/食べに出かけるか、考えなければならないでしょう。食が豊かになり、栄養面も良くなる。認知症予防にならないわけがありません。

脳に限ってはたばこよりアルコールがだめ

【お酒の量を減らす】

 脳に限っては、たばこよりアルコールの方が害が大きい。アルコールは神経毒であり、神経伝達物質アセチルコリンの働きを低下させます。アメリカで行われた大規模な研究では、60歳の脳の萎縮度合いは、大きい順に「大量に飲んでいる人」→「大量に飲んでいたがやめた人」→「少量だけ飲む人」→「酒を飲まない人」だったとの結果でした。

 アルコールは睡眠の質を低下させます。食事の摂取量が増え、肥満になりやすくなる。塩分や脂肪分の多いものをつまみとして取りがちになり、高血圧、糖尿病、脂質異常症のリスクを高めます。いずれも、認知症のリスクを高める要因です。

 理想は、休肝日を作る。適正飲酒量(1日平均純アルコールで20グラム程度。ビールならロング缶1本)にとどめる。しかしお酒を飲むのが習慣化している方には、いきなりは難しいかもしれません。とにかく、今飲んでいる量より1割でもいいので、減らすことから始めてみませんか?

 まずは上の7項目から。「暇ができたら」などと思わず、読んだらすぐ、行ってください。

新井平伊(あらいへいい)
順天堂大学医学部名誉教授。2019年よりアルツクリニック東京院長。 1999年、日本で初めての「若年性アルツハイマー病専門外来」を開設。 アルツクリニック東京では、世界に先駆けてアミロイドPET検査を取り入れ、また、認知症発症前の人を対象にした健脳カフェを開くなど、「認知症にならない・進行させない」に取り組む。

「週刊新潮」2024年3月7日号 掲載