書きやすい環境づくりへの強いこだわりが

 机には拡げられた地図、開かれたままの何冊もの資料本、正面にあるのは執筆中の原稿。その脇に万年筆が3本、タバコ、メンソレータムも並んでいる。2006年に79歳で亡くなった作家・吉村昭が多くの傑作を生みだした書斎の、往時のままの姿である。夫人で芥川賞作家の津村節子氏(95)により寄贈され、3月9日に東京・三鷹市に文化施設「三鷹市吉村昭書斎」としてオープンした。

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 吉村夫妻は1969年に三鷹市に自宅を購入。当初はその家に夫婦それぞれの書斎があったが、10年もすると吉村の書斎は資料であふれかえってしまった。新たに自宅の敷地内に建てられたのがこの書斎である。その際、吉村は原稿が書きやすい環境づくりにとことんこだわった。

 造り付けの机はたくさんの資料を並べられるよう横幅が2.6メートルに設(しつら)えられた。机の右手には病院のカルテ棚を参考にした棚があり、書きかけの原稿やゲラ刷りが作品ごとに収められるようになっている。机の下に置かれた金庫には完成した原稿が大切に保管されていた。キャスター付きの回転椅子は、革を張り替えながら終生愛用したものだ。長時間の執筆に耐えられるよう、相撲取りが使うような座布団も置かれている。

「書斎に出勤しているみたい」

 吉村はこの書斎を「この世で一番安らぐ場所」として愛したと津村氏は話している。

「(吉村は)毎朝8時に起きて朝食を取り、9時半には書斎に向かいました。12時半に母屋に戻って昼食を取ると、再び午後6時まで書斎にこもっていました。まるで書斎に出勤しているみたいでしたよ」

 吉村は取材で日本中を旅したが、外泊は2泊までと決めていた。理由は早く書斎に帰りたいから。津村氏の記憶では「元日まで書斎に行くというので怒ったこともある」というほどだった。

「三鷹市吉村昭書斎」には、吉村夫妻に関する企画展示を行う展示室、茶室が設置されているほか、併設された交流棟で両氏の著作約700冊や映像資料などが常設展示されている。

撮影・本田武士

「週刊新潮」