長らく日本には国立の歴史博物館がなかった。1983年には千葉県佐倉市に国立歴史民俗博物館が開館したものの、何と現代史のコーナーがオープンしたのは2010年のことである(しかも無味乾燥な内容だった)。国立の施設として、太平洋戦争を含む現代史の展示には、慎重にならざるを得なかったのだろう。

 日本以上に現代史を描くのが難しいのが台湾である。歴史認識が政治的立場に直結するからだ。一体、台湾の歴史博物館は何をどう展示しているのだろうと思って、台南にある国立台湾歴史博物館(台史博)に行ってきた。中華民国建国100周年を記念する企画の一つとして2011年にオープンした(21年リニューアル)。

 一言で言えば、全方位への配慮に溢れた博物館だった。台湾史で難しいのは、誰を主役に置くかということ。多様な原住民もいるし、漢人も主に17世紀以降に大陸からやって来た本省人と戦後来た外省人に分かれる。

 そこで台史博では、台湾史を「出会いの歴史」であると定義する。常設展冒頭では、台湾が海と大陸の交わる場所で、世界各地から多くの人を呼び寄せてきたことが説明される。台湾は新旧移民の衝突と共存の過程だ。だから「私たちは同じ土地で暮らしていますが、台湾の未来に対してそれぞれ違ったビジョンを描いています」という。

 まさに台湾は、中国や西側諸国とどう付き合うかに揺れている。この台史博では、一つの答えを示そうとはしない。だが展示方針には一貫性が感じられた。

 戦後、蒋介石たち国民政府が台湾に移った頃は、中国大陸を共産党から奪還することが真剣に考えられていた。戒厳令を敷く軍事独裁政権が築かれた。

 台史博は、こうした歴史に違う角度から光を当てる。たとえば戒厳令下のレコードだ。1969年に発表された映画主題歌「今天不回家」(今日は帰らない)は政府から家庭の和を乱すという指摘を受けた。そこでレコードケースだけを「今天要回家」(今日は帰る)と変更して検閲を逃れたのだという。

 台史博は原住民に共感的だ。17世紀以降、オランダや清国に統治される中で、いかに権利が奪われてきたかをきちんと描く。同時に彼らがただの弱者ではなく、したたかな戦略を持っていたことにも触れる。

 展示の終盤には色とりどりの石が並べられていた。2017年、原住民の土地が大規模開発されそうになった時の抗議運動に使われたものだ。これらの石は「人々の土地に対する思いを呼び覚まさせたのです」。それ以上の説明はないが、どうしても中国に対峙する台湾の姿を重ねてしまう。

 このように台史博では、小さな歴史を通じて大きな歴史が描かれている。政治的立場は鮮明にはしないが、血の通った展示が多く、決して無味乾燥ではない。日本にも見習ってほしいものである。ただし佐倉の国立歴史民俗博物館と共通点もあった。辺ぴな場所にあり交通の便が悪いのだ。台湾でUberが使えてよかった。こちらも見習ってほしい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2024年3月21日号 掲載