今年2月、アップルがゴーグル型VR端末「ビジョン・プロ」をアメリカで発売した。僕も試してみたのだが、さすが50万円以上するだけあって、非常に高性能ではある。視線と指先での操作は快適だし、画質も満足できるレベルだ。重さやバッテリーの問題はあるものの、「未来」を感じさせるデバイスである。

 だが僕がビジョン・プロを手にして、ずっとしていたのは「過去」を振り返ること。簡単にiCloudと同期できるので、今まで撮りためていた写真や動画を見ることができる。友人の誕生日にクイズ大会をした時の動画、五輪エンブレム騒動の最中に訪れたリエージュ劇場での取材動画など、存在さえ忘れていた「過去」を大画面で鑑賞していた。

 時代をさかのぼるほど画質は悪くなっていくものの、それもまた叙情的でいい。昭和時代は「セピア色」が過ぎた日々を表現する言葉だった。現像した写真が色あせていったからだ。

 デジタル画像は褪色するわけがないものの、時代ごとに解像度が全く違う。2003年の写真なんて、サイズがわずか65KBだった。

 最新のiPhoneではビジョン・プロ用の「空間ビデオ」が撮影できる。VR視聴に適した奥行きのある動画が撮れるのだ。ちょうど友だちの家に招かれた時に空間ビデオを試したのだが、こちらは4分半の動画でサイズは650MB。2003年の写真の1万倍だ。

 写真よりも動画、ただの動画よりも空間ビデオの方が、より没入感を伴って「過去」に戻ることができる。これからはできるだけたくさん空間ビデオを残しておこうと思った。

 ビジョン・プロでは、VRの特性を生かして絶景やゲームを楽しむことができる。もちろん映画を大画面で鑑賞するのも簡単だ。装着者が実際に見ているはずの風景も見えるので(自室にいるなら、きちんと部屋がゴーグル越しに擬似的に見える)、まるで本当に部屋に巨大モニターが出現したような感覚を味わえる。

 だがふと疑問に思った。自分がしていることは全て、今すべきことなのか、と。ビジョン・プロを着けていたのはロサンゼルス、ウェストハリウッドのホテル。Uberを数十分走らせれば、グリフィス天文台でラ・ラ・ランドごっこもできるし(しないけど)、話題のドジャー・スタジアムにも行ける(行かないけど)。

 いくらビジョン・プロで見る絶景が素晴らしいとはいえ、まだ体力的に本当の絶景を観に行くことができる。ロスからならセドナやグランドキャニオンまで日帰りで行くツアーさえある。それなのに、かれこれ何時間もホテルの部屋でビジョン・プロを装着したままでいる。いくらゴーグルの向こうが魅力的だとしても、こちら側の世界も素晴らしいのではないか。

 ビジョン・プロを部屋に置き、ホテルの外に出た。VRは体が衰えた後、老後の楽しみでいいだろう。だがあいにく外は寒く、ホテル前は不審者がうろうろしている。すぐ部屋に戻りたくなった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

「週刊新潮」2024年3月28日号 掲載