将棋の名人戦七番勝負(主催・毎日新聞社、朝日新聞社)の第1局が、4月10、11の両日、東京都文京区の「ホテル椿山荘東京」で行われ、141手の激戦の末、藤井聡太八冠(21)が先勝した。昨年、史上最年少で名人位を獲得した藤井は、初防衛に向けて好発進。挑戦者の豊島将之九段(33)にとっては、久しぶりのタイトル戦だった。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

初日は40手しか進まず

 5年ぶりの「名人奪還」を狙う豊島だったが、初戦は藤井に惜敗した。藤井は4月20日に行われる叡王戦五番勝負(主催・不二家)の第2局で伊藤匠七段(21)に勝利すれば、大山康晴十五世名人(1923〜1992)が持つ「タイトル戦17連勝」の最多記録に並ぶ。

 局後、藤井は「終盤はこちらがどう粘るかだったと思います。『5七玉』と桂馬を取ったあたりで頑張れる形になったと思います」などと話した。

 敗れた豊島は「『4四香車』を打って『5七玉』とされたのはひどかった」と悪手を自ら認めて悄然としていた。

 先手は藤井。初手「2六歩」と指すと、豊島はすぐに角道を開き、4手目に「9四歩」と端歩を進める異例の展開となった。藤井は「9六歩」と受けず、その後、互いに飛車を進めて「横歩取り」の模様になり、豊島が角を交換した。ゆっくりとした展開の序盤から飛車と角が飛び交う空中戦の模様になり、少し落ち着いたところで午後6時半、豊島の封じ手となった。まだ40手目だった。

豊島優勢となった局面も

 翌朝、立会人の青野照市九段(71)が開いた封じ手は「7二銀」。これは大方の予想通りで、「ばらばら感」のあった自陣を豊島が引き締めた手だ。

 この一局は極端な長考こそなかったものの遅い展開で、2日目の午前は10手しか進まなかった。昼食は藤井が「天ぷら蕎麦・冷」、豊島は「うなぎ あいのせ重」で英気を養う。ABEMAのAI(人工知能)が示す両者の勝率もほとんど互角で、残りの持ち時間もほぼ同じだった。

 午後も膠着するが、豊島は「9五」に角を打ち、藤井の飛車にぶつけた。勝負手だった。副立会人の中村太地八段(35)は「この角が活躍できるかどうかが分かれ目」と見ていたが、功を奏し、次第に豊島優勢になっていく。

 藤井の比べ豊島の玉のほうが固かったが。ABEMAで解説を務める佐藤康光九段(54)と北浜健介八段(48)も「『2二』の歩で玉が逃げられない。壁になってしまっている」と心配していた。豊島は「3三」に桂馬を跳ねて、それを解消した。

佐藤九段が「あ、ありますね」

 ABEMAのAI評価値は「70%豊島優勢」を示していた。そして122手目に豊島が「4四」に香を打ち込んだ。この瞬間、佐藤九段が「あれっ」と叫んだ。攻め手が緩んだのを見た藤井は「5七」へ玉を逃がし、豊島の桂馬を取る。これで藤井玉を脅かしていた駒の一つが消えた。藤井は「(自玉は)すぐに寄らない」と判断し、守勢から攻めに転じる。

 さらに、藤井には秘めた大きな一手があった。「3七桂」である。自陣の桂馬が跳ね、銀が「3三」に打てると、安全に見えていた豊島玉が急に危うくなるのだ。藤井の桂馬使いの巧みさが出た。

「なかなか豊島九段の玉が詰めろ(相手の王手がなければ詰んでしまう状況)にならないですね」と手を模索していた佐藤九段が、急に「あ、ありますね」と声を出した。藤井が「3七桂馬」と跳ね、「3三銀」が打てるようになると、豊島玉が詰めろに追い込まれることを紹介。聞き役の山口恵梨子女流二段も「うわあー、すごい。『3七桂馬』があったなんて」と興奮気味だった。果たして、127手目、藤井は満を持して「3七」に桂馬を跳ね、そこから豊島陣は崩れていった。

藤井は終盤でも大局的に見る

 豊島のほうが持ち時間を多く残していたことから優勢と見られていたが、藤井の思わぬ手に長考が続き、いつの間にか豊島の消費時間が長くなっていた。

 結局、141手目に藤井が「4一」に銀を打ち込んだ王手を見た豊島は、考慮中に9時間の持ち時間が切れて1分将棋に入ったが、将棋盤に手をかざして投了した。

 佐藤九段は「終盤になるとどうしても玉の周辺にしか目がいかなくなりがちですが、藤井名人は『8八』に歩を打つなど、大局的に見ることができることが素晴らしい」と感服していた。

「8八歩」は、藤井が「8一」に飛車を打ち込んでいたため、遠くからこの歩に「ヒモ」がついて、藤井陣の片隅の「9九」にいた豊島の馬が歩で止められて効かなくなっていたことを示す。結局、一局を通じて佐藤九段の見る通りになっていた印象だ。さすがは50歳を過ぎてもまだまだトップ級で戦う元名人である。

 藤井は局後に「想定していない展開で、形として思わしくなく、苦しくしてしまった」と話したが、心底、負けを覚悟したはずだ。

2つのタイトルを藤井に取られた豊島

 関西の名棋士・桐山清澄九段(76)の愛弟子である豊島は、2019年に佐藤天彦九段(36)から名人位を奪取し、棋聖と王位と合わせて三冠を達成。その後、竜王との「二大タイトル」を同時に手にしていた時期があった。

 あれよあれよという間に台頭してきた藤井に対しても、6連勝するなど当初はトップ棋士の中で最も藤井に強かったが、追い付かれ追い抜かれた。渡辺明九段(39)に敗れて名人を奪われた。その渡辺が昨年、名人戦で藤井に敗れ、藤井が最年少名人となったことは記憶に新しい。8つのタイトルのうち渡辺は4つ、豊島は2つのタイトルを藤井に取られている。

 これで豊島は公式戦で藤井に対し11勝23敗となった。タイトル戦で藤井と相対するのは5回目で、今年2月にA級のリーグ戦で7勝を挙げて挑戦権を決めた際、豊島は「自分なりに力を尽くして頑張りたい」と闘志を見せていた。

 豊島は一時期、AI将棋研究だけに専念し、対人の練習局を指さなかったことがある。当時、筆者は「タイトル戦などで急に人を相手に指すのは心配ではないですか?」と尋ねたが、「公式戦の対局は多いので大丈夫です」と答えていた。最近になって対人も指すようになったようだ。

 最近は、以前は指さなかった「振り飛車」も使うケースも出ており、序盤から「振り飛車になるか」も注目されていた。

 豊島は藤井と同じ愛知県出身だが、父親は大阪で弁護士をしており、長く関西に暮らした。知的で優しそうな眼差しのルックスから、女性ファンから「トヨピー」という可愛いらしい愛称で呼ばれ、NHKの将棋番組でも指南役として人気があった。

「マス」はいっぱいになった

 さて、今期の「第82局」というのは、新たなる名人戦の歴史に入ったという意味もあるそうだ。その理由は将棋盤。名人戦がそれまでの世襲制から実力制度になって、1937年12月に9人のリーグ戦などを制して誕生した初代名人の木村義雄十四世名人(1905〜1986)から大山康晴十五世名人などを経て現在の藤井名人に至るまで、歴代の名人獲得者を盤の「マス」に埋めてゆくと昨季で81マスがいっぱいになったわけだ。

 果たして「新しい将棋盤」のマスに入る1人目が藤井なのか豊島なのか。第2局は4月23、24の両日、千葉県成田市の「成田山 新勝寺」で豊島の先手番で行われる。
(一部敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお) ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に『サハリンに残されて』(三一書房)、『警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件』(ワック)、『検察に、殺される』(ベスト新書)、『ルポ 原発難民』(潮出版社)、『アスベスト禍』(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部