「生存不可能」「登山者の末路」など扇情的な文言で再生数を稼ぐ遭難事故を扱ったYouTube動画。亡くなった方を冒涜するだけでなく、様々な問題をはらんでいる。こうした動画が大量に投稿される背景には何があるのか。(前後編の後編)【森山憲一/登山ライター】

【故人を冒涜する「遭難系YouTube」が人気 登山ライターの怒りと警鐘】のつづき

遭難ルポから盗用

 YouTubeにあふれる遭難動画のもうひとつの問題。それは盗用によって成り立っているものが少なくないことだ。

 実際に、私自身が写真を勝手に動画に使われたことがあるうえ、同様の経験をもつ知人も何人かいる。私の周囲だけでも何人も被害者が見つかるほど、いわゆる「拾い画像」(無断転載した画像)が大量に使われている。

 個人的には、撮影者や被写体の尊厳を損なわない使い方である限り、趣味目的で運営されている動画にそこまで目くじらを立てるつもりはない。しかしそれが何十万回、何百万回と再生されるようになってくれば、やはり話は別だ。

 写真や動画だけでなく、台本も盗用もしくは度を超したフリーライドによって作られることがある。

 山岳遭難ルポの第一人者で、多くの遭難関連著書を持つ羽根田治さんはこう語る。

「2年ほど前から、私の著作をそのままなぞったような内容の動画が目に付くようになりました。文章表現や構成の盗用など、度を超していると思われるものは削除申請を行ない、チャンネルごと削除されたものもあります。しかしその後も雨後の筍のように同様な動画が次々にアップされて、完全にイタチごっこになってしまっています」

 被害は羽根田さんの著作だけではない。別の人が書いたウェブ記事をほぼそのままコピーして作ったようなナレーション原稿になっている動画もある。

 羽根田さんのところには、かつて取材をした人から「自分たちの遭難のことがヘンな動画になっている」と連絡がくることもあるという。「盗用もさることながら、取材を受けてくれた方を冒涜するようなことが許せない」と羽根田さんは言う。

1本5000円前後で台本募集

 どうしてこんなことになっているのか。

 そのヒントをクラウドソーシング(企業や個人が、インターネット上で業務を発注したり請け負ったりすることのできるマッチングサービス)で見つけた。

 クラウドソーシングサイトで「YouTube 遭難」と検索してみると、台本執筆者を募集する案件がいくつもヒットする。条件を見てみると1本(6000〜7000字ほど)につき5000円前後が相場のようだ。応募資格に「登山の知識があること」と書かれているものが多いが、その知識がどの程度チェックされているのかは不明。そもそも、執筆者を募集している動画制作者本人に登山知識があるのかどうかも不明だ。

 台本の執筆要項を見ると、「このチャンネルを参考にしてください」とURLが張られている場合が多いことに気づく。多くの案件でその参考チャンネルとして挙げられているのが、「山岳遭難ファイル」というYouTubeチャンネルである。

そっくりなチャンネルが続々と…

「山岳遭難ファイル」は、遭難系チャンネルのなかでは登録者数・再生回数ともにトップクラスで、この世界では大手といえる。その運営者に連絡を取ってみると、以下のように語ってくれた。

「当チャンネルを始めたとき、山岳遭難をアニメーションで表現する動画をメインで扱うチャンネルはほとんどなかったと記憶しています。その後、当チャンネルの再生数が大きくなってきたころから、当チャンネルとサムネイル構成やチャンネルアイコン、動画構成などが非常に似たチャンネルが増えていったように感じます。極端なものでなければ、動画構成などを参考にする行為自体を否定的にとらえているわけではありません」

「山岳遭難ファイル」が動画の投稿を開始したのは2023年5月。同じ年の9月から似たようなチャンネルが登場し始め、現在では私が把握しているだけでも20以上の遭難動画チャンネルが存在する。そしてそのほとんどが、判で押したように同じ作りになっている。

「山岳遭難ファイル」には過度な煽りは見られず、良心的な運営がされている印象だが、その後に続くチャンネルでは、サムネイル画像の扇情性が無視できないほどにエスカレートしている。

 すなわち、「成功したチャンネルのフォーマットコピー+クラウドソーシング利用による大量生産+クリックを呼び込むための過度な煽り」、これが遭難動画の爛熟した状況を生んでいるのではないだろうか。

 一方で、ある遭難動画チャンネルがウェブサイト売買サイト上で売りに出されている事実も発見した。人気テーマをコピーしてチャンネルを立ち上げ、ある程度の規模に育ったら売り抜ける。そんな構図も浮かんでくる。

ヒットすると真似するチャンネルが続々できる

 こんな体制で量産されていく遭難コンテンツに意味はあるのだろうか。

 多くのチャンネルでは「過去の事例を知り、事故防止に役立てていただくことを目的としています」などと記されているが、それが建前であることは明らかだ。そう書かれているチャンネル紹介文自体が、これまた判で押したようにどこも同じで、コピペで作られているようなのだから救いがない。

 実はこうした状況は山岳遭難に限らず、他ジャンルでも同様に見られるのだという。

「教養系チャンネルといいますか、学び直しができるYouTube動画が流行っています。そのなかに歴史や事件モノがあり、少し前から遭難系や航空事故を扱ったものが目立つようになりました。ひとつのテーマが当たると、同じ題材、同じようなフォーマットで動画を作る人が現れ、結果的に同じような動画を出すチャンネルが大量にできるのだと思います」(ITジャーナリスト・井上トシユキさん)

「事故防止」にはならない

 それがインターネットといってしまえばそれまでなのだが、遭難動画の場合、内容的な間違いが少なくないこともひとつの問題だろう。

 山の説明をしているときに、全く関係ない別の山の写真が映し出されることはよくあるし、道具の説明がまるで間違っているときもある。ときには、主題とは微妙にピントが外れた一般論がやけに長く続き、Chat GPTなど生成AIで作った文章を読んでいるような印象を受けるものもある。実際に台本をAI任せで書いているのかもしれない。

「遭難しないための有用な知識を得たい」。それが遭難コンテンツを求める主要な動機であることは冒頭に述べた。ならば、内容に間違いがないことは他ジャンルにも増して重要であるはずだ。

 ところが、低品質な遭難動画は、作っているのがどういう人なのかはわからず、台本も誰が書いているのかわからない。そこに盗用や間違いがあっても責任を取る人はいない。外部から指摘されると黙って削除して逃げるのみである(私が過去に経験した削除案件はすべてこうだった)。

 そんなコンテンツに意味などあるはずがない。むしろ、社会に悪影響を与えるだけだと思うのだが。

森山憲一(もりやま・けんいち)
1967年、神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立厚木高校、早稲田大学教育学部(地理歴史専修)卒業。山と渓谷社、枻出版社で編集者として活躍。現在は、登山、クライミングをテーマに執筆を行う。

デイリー新潮編集部